Collaboration Energizer | #混ぜなきゃ危険 | 八木橋パチ

コラボレーション・エナジャイザーとは、コラボレーションの場を作り、場のエネルギーを高め、何かが生みだされることを支援する人

なんで民主主義? そして民主主義に何をしてるの?

 

今朝、坂本さんの24時間ライブ配信ラソン「のたりのたり」に、ゲストとして1時間、原さんと一緒に参加させていただきました。

週初めの月曜朝9時から約1時間、民主主義とデザインにまつわる話をあーでもないこーでもないと楽しく話をさせてもらったんだけど、自分の中では「ぱちはらダイアログ 番外編」的な位置付けでもあったかな。

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話はあちこちに飛びつつも、自分的には坂本さんから なんでパチが「民主主義」なの? そしてパチは民主主義に対して何しているの? という問いを貰った時間で、それについて頭を巡らせ会話する時間だったという気がしています。

終わってからも、自分の中で問いへの答えへの思いが拡がり続けていて、とってもありがたい時間でした。

 

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イベント詳細はこちらのページでご覧ください。 www.facebook.com

 

なお、WHOのための新型コロナウイルス感染症連帯対応基金への「500円寄付チケット」も購入できるようになっています。

番組の中でも少しお話ししましたが、こういう寄付を求める行為を実践できる道具をみんなが簡単に手にできて、誰もがそれをいつでもどこでもスタートできて、それに応えることができる。これも民主主義が僕らに手渡してくれているものだよなって感じています。

 

少し、話したことと話せなかったことを書いておきたくなりました。

 

■ なんでパチが「民主主義」なの?

実は「民主主義」という単語を意識するようになったのはここ3年くらいです。

それまで自分にとって民主主義という言葉は身近じゃなくて。日々の生活から離れた場所にあって、「政治家やジャーナリストたちが使う単語」くらいのイメージでした。

 

もともともおれは「自分が自分らしいままでいられること」 -- 納得のいかない常識やら世間体、社会的圧力みたいなものに押し流されず、好きな自分自身でいること -- に強いこだわりがあって、それを脅かす内外のものに強い嫌悪感と反発心を持っていました。

だから常に「自分が自分自身でいられる社会を」ということは機会があるごとに口にしていましたが、それが「民主主義」という言葉には結びついていなかったんです。

 

さっき、坂本さんから「なんで民主主義なの? 」という問いを貰ったとき、「ああ、そうだったのか」って思いました。

おれの中では、自由を大事にして、それを実践できる社会のことを「民主主義」と呼んでいるんです。なぜなら、その対極にある独裁主義のもとでは、自分の意見や愛するもの、信ずるものを取り下げざるを得なくされてしまうから。自由でいるためには、民主主義が必要なんです。

それは政治だけではなく、会社や学校、自分が暮らす地域やコミュニティーでも同じです。 合わせるか、さもなくば弾き出されるか -- そんな恐怖を抱えながら生きていかなければいけない社会はゴメンです。

 

■ そしてパチは民主主義に対して何しているの?

「どんな具体的な活動をしているの?」と問われると、説明しやすい活動はしていないなぁって思います。ただ、どこにどんな状況にいても、「自由と民主主義に信を置いていますよ」というのを、実践し続けているつもりです。

社会的に無名の「少々おしゃべりな人」がそれをやり続けることで何か意味があるのか? という言葉が頭を過ぎるときもなくないけれど、でも「意味がある」という確信めいたものもあって。それは自分が直接的な起点ではないかもしれないけれど、「そういうことを言っていた人、やっていた人」を実際に目や耳にしている人を少しでも増やしていることが、いつかどこかで意味を持つんじゃないかなって。

 

ステキな曲を生み出すミュージシャンや偉大な作品を描きあげる小説家とかって数少ないけれど、でも彼らが生まれるのは、その活動をやり続けたからですよね。

そして偉大な才能を持っていたとしても、やり続けられるかどうかにはあまり関係がない。やり続ける人を増やすには、2つのアプローチの両方が取られることが大切だと思うんです。

まずは、やっている人を応援すること。やっていることを評価し、やめずに続けられるよう後押ししてあげること。

もう1つは、やろうとする人を増やすこと。「そんなの上手くいかないよ」ってやろうとさせないんじゃなく、やる人が増えれば続ける人も増えて、そこにたどり着く人も増える。

 

坂本さんに話した、IBMでの「野鴨コンテスト」で一番を取って「救われています」って言ってもらったこととか、制服をもっと安いものにしたいってツイートして大きな反響をもらったこととか、そんなのも少しではあっても、誰かの「続けよう」とか「始めよう」につながっていると思うんだよね。

www.sofia-inc.com

pachi.hatenablog.com

 

■ その他、話しそびれたこと

インターネットがアメリカ西海岸のカウンターカルチャーと軍事技術という、開かれたものと閉じたものという相反する2つに深いルーツを持つように、ソーシャルウェブもコミュニケーション・バリアフリーという「開くモデル」と、そこで可視化され生み出されるデータ資本の搾取という「囲い込みモデル」、この相反するものを内在しています。

どちらかだけにフォーカスして良い悪いを判断し排除するのではなく、両者の存在を認めながら調和するバランスを見つけようとするのが「民主主義」なんじゃないかとおれは思っています。

 

ちょっと概念的過ぎる話に聞こえるかなって思うけど…。

全員が100パーセントの力を集結して一気に白黒をつけてことを成し遂げるというやり方、あるいはそれを可能とする権限を1箇所に集中してスピーディーに進めるやり方は、成功するとキラキラとまばゆい光を放ちます。でも一方で、失敗すると立ち直りにすごく時間がかかる仕組みなんですよね。

何が言いたいかというと、民主主義は白黒つけれないものを内在したまま進められる仕組みだということです。そして、失敗しても立ち直れる仕組みだということです。

 

たとえ人間的に非の打ち所がなく、天才と呼ばれるような頭脳明晰の人だって、失敗はします。少なくともそこには常に失敗の可能性があります。

だからこそ、失敗してどこかが崩れても回復できる、ネットワーク型の仕組みが社会に必要なんじゃないでしょうか?

そしてそれを担保するのは、多様性(diversity)と多元性(multiplicity)により成り立つ民主主義であって、多様性と多元性には、一人ひとりが自分自身を尊重すること、つまり「自由」が欠かせないんじゃないかな。

 

Happy Collaboration!