Collaboration Energizer | #混ぜなきゃ危険 | 八木橋パチ

コラボレーション・エナジャイザーとは、コラボレーションの場を作り、場のエネルギーを高め、何かが生みだされることを支援する人

あらゆる類の誘いは断っていい (Feel no guilt

 

「あらゆる類の誘いは断っていい。それに対して罪悪感を感じる必要はない。感じ過ぎると自分もみんなも生きづらくする。」 今回、もっとも書きたいことはこの55文字に集約されます。でも、だからと言って「罪悪感を感じないで!」とだけ言われても、「どうやって?」という方が多いですよね。なので、私が思う方法を書こうと思います。

…と、思ったら、effy系ギークハウスを母体に社会変革を企てている小出さんがすでに書いていました。読んでみれば「なるほど〜。違和感ないです!」って感じ。

というわけで、今回は以上です。

 

…と言うのも芸がないので、小出さんの論を受けて少し違う観点から書いてみようと思います。

なお、遅くなりましたが、今回の話の発端はこちらの『Zoom飲み、なぜ疲れる? スマートな4つの断り方とは | Zoom飲み・集いの誘いを断ったっていい。そして、それに対して罪悪感を感じる必要もないのだ。』というHUFFPOSTの記事に関するやりとりが発端となっています。

 

まずは、小出さんの論をおれなりにザクっとまとめてみます。

[小出さん曰く…]に続くのが記事につけられている小見出しで、そのあとに俺なりにミニマムにポイントを[なぜなら…]に続けて書いてみました(「なぜなら」で文章がつながらないところもあるのはご愛嬌)。

 

  • [小出さん曰く…] ちょっと疲れるけど、人は本能的に群れることが大好き! | [なぜなら…] 群れる生物として生き抜いてきたのがヒトだから
  • [小出さん曰く…] 技術が群れなくても良い手段を作った | [なぜなら…] インターネットにより、物理的に群れなくても群れることのメリットが得られるようになった
  • [小出さん曰く…] 頭ではわかっている! でも心が追いつかない... | [なぜなら…] 「群れる必要はない」と理屈では分かっていても、DNAに染み付いた不安感は拭えないから
  • [小出さん曰く…] 不安を煽る噂話、怒りを誘う陰謀論 | [なぜなら…] 自分の「群れたい」欲をデマなどで煽って満たす人、それを金銭に変えている人もいるから要注意
  • [小出さん曰く…] 「群れる」のに使いやすいレッテル | [なぜなら…] 人種・国籍・イデオロギーなどによる区分で形作られた「対立構造」を目にしたら疑ってかかろう
  • [小出さん曰く…] 自分を変える | [なぜなら…] 人に「レッテル」を貼って安心感を得るのではなく、自己肯定感を高めるて「群れる/群れない」の選択権を手にしよう
  • [小出さん曰く…] 火をつける | [なぜなら…] とは言え、全員が自ら自己肯定感を高めるのは難しい。まずはできる人から丁寧に周囲に広げていこう
  • [小出さん曰く…] システムを作る | [なぜなら…] 心理的な安全性を提供する技術とシステムがあれば、活動は効率的になる。一緒に作りませんか?

 

note.com

 

ここからは「あらゆる類の誘いは断っていい。それに対して罪悪感を感じる必要はない。感じ過ぎると自分もみんなも生きづらくする。」という自分の考えに肉付けしてみます。

 

■ 人はなぜ断ることが怖いのか

人が誘いや頼まれごとを断るのに対して感じる「抵抗感」の中心は、この辺りではないでしょうか。

  •  誘ってくれた相手をがっかりさせたくない
  •  協調性がない人、付き合いの悪い人だと思われそうで不安
  •  自分を仲間だと思ってもらえなくなりそうで怖い

他にもきっとあると思いますが、8割型ここに収まりそうな気がします。そしてもう一歩その先に進むと「不利益を被りたくない」という意識/無意識が見えるような気がします。

 

■ 断ることが怖いと人は何をしてしまうのか

それでは、誘いを断ることが怖い人はどんなことをしがちなのでしょうか?

  •  誘いに乗って、自分をすり減らす
  •  誘いに乗って、家族や別の人との関係性をすり減らす
  •  誘いに乗らなかったものの、「それが正しかったのか」とか「それが何かを引き起こしやしないか」とあれこれ考え自分をすり減らす

結局全部、何かをすり減らしてしまう気がします。でも、すべての誘いを受けていても「何もすり減りやしない」という人がもしいるのならば、それはそのままでいいのでしょう。

 

ところでこの「抵抗感とすり減らし」の関係、「失敗を恐る感覚と挑戦を避ける」関係性にどこか似ているような気がしませんか?

  •  十分な能力がない人だと思われてしまいそうで怖い
  •  実際の能力が明るみになりそうで怖い
  •  弱点が明るみに出たらそこに付け込まれてしまうかもしれないという不安
  •  現在の自分のポジションや役割に疑問を投げかけられることにつながりそうで不安

 

こうした失敗への恐怖と不安が、以下の行動につながっていきます。

  •  挑戦する/せざる得ない場面に居合わせないよう常に注意を払う
  •  挑戦する対象に興味がないふりをして距離を取る
  •  挑戦の難易度レベルを極端に下げる

 

「良い結果だけを褒められた子どもは、良い結果が出せるものしかやりたがらなくなる」 -- このマインドセットの研究結果を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。大人も同じですよね。

それでは、これによって得られるものはなんでしょうか。あからさまな書き方をすれば「メンツをどうにか保っている(ように本人には思える)」ことだけではないでしょうか。

表面的には自尊心を下げないかわりに、その裏で「恐怖や不安に屈した自分」という場面を1つ増やしてしまっている…。おれにはこれは自分を傷つけ自己肯定感を下げていることに思えて仕方ありません。

 

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■ 断ることを怖くなくするためにはどうすれば良いのか?

これに関しては、小出さんが『自分を変える』の中で書いていることとほぼ同じことが頭に浮かびます。

  •  自己肯定感を高める訓練
  •  自分は十分素晴らしい(…)十分承認されているんだと、心の底から確信できるようにする
  •  何があっても自分は大丈夫だと、自分に自信を
  •  群れる必要はなくなったんだという体験を、自ら飛び込んで、たくさん積んでいく

 

1つだけ、小出さんが書いていない要素を加えます。

逆説的ですが、断ることに慣れるために、断られることに慣れることから始めてみてはどうでしょうか。そのためには、まずは自分が誘ったり頼んだりすることが必要です。

自分が誘う側になると、断られることはわんさとあります。断られる理由はいろいろとあって、その理由を1つ1つ追っていてはキリがありません。そんな経験を身を以てすることができます(マーケティング/集客を仕事にしている人はむしろここを徹底的に掘り下げる訓練にはなりますが)。

 

とは言え、一世一代渾身の企画をして断られまくるのは練習にはふさわしくありません。

断られたところで痛みを感じない、むしろ「断られて当然」というレベルのことを企画して、友人知人をお誘いしてみましょう! 誘う相手も、広く軽くゆるく選んでみましょう。

 

いまなら、ゆるイベントへのお誘いを、広く伝える手段はたくさんあります。

Facebookを使っている人なら、15分もあれば「非公開イベント」を作ることができます。あるいはPeatixなどのイベント管理ツールも簡単に使えます。

なにしろ、「断られて当然」で、誰も来ない可能性もあるゆるゆるイベントなんですから、かっこいい募集ページなんて必要ありません。

 

例えば、下記のようなイベントはどうでしょうか?

  •  (手芸が好きなら)マスクの作り方を実況中継するオンライン・イベント
  •  (生け花が好きなら)自分が生け花をする様子を実況中継するオンライン・イベント
  •  (料理が好きなら)キッチンで料理を作る様子を実況中継するオンライン・イベント
  •  (読書が好きなら)自分のお気に入りの一冊をひたすら説明するオンライン・イベント
  •  自分が感謝している人やものについてそれをただ紹介するだけのオンライン・イベント

 

ポイントは、人が来ようが来まいが自分が楽しめそうなことをすること。そしてイベントの説明に「自分が好きなことをするだけのイベントであり、参加者の期待に応える気はない」と明記すること。

ひょっとしたら、「軽く」誘ったのにも関わらず、誰かが「ごめんねその日は参加できません。なぜなら…」って説明を送ってくるかもしれません。そのときにはそれもさらっと「軽く」答えましょう。誘いに乗るのも断るのも別に大ごとじゃないってことを自分自身に教えるために(そしてできれば、同時に相手にも伝えるために)。

 

1つ、気をつけるべきことがあります。イベントは非公開として、自分が招待した人以外は申し込めないようにすること。あくまでもこちらが誘った人だけが見ることができるようにするのを忘れないように。

むかーし、誕生日パーティーが公開イベントになっていて、何千人も来ちゃったなんて事件がアメリカでありました。同じことが起きる可能性は少ないですが、あなたのことを知らない人がふらっとやってきて、「こんなイベントは意味がない!」みたいなことを言い出す可能性もありますから(「参加者の期待に応える気はない」と書いても、そう言う人はいるものです)。

 

■ まとめ

デンマーク文化を研究していると、彼らの中に確固とした「自分とみんな」というスタンスがあることに気がつきます。

自分が他人と違うというのは当たり前のことであり、だからこそ一緒に何かをするのが楽しいし意義深いことになるということを彼らは知っています。意見や感じ方がみんな同じだったら、何かを一緒にしても新しいものが生まれる可能性は少ないですよね。

もちろん、意見や感じ方が同じってことが仲間意識を高めてくれるし、その機会がとても貴重なことは間違いありません。でも、いつも常にみんなと同じって、おかしいですよね? (深く深く「みなとまったく同じ自分」を突き詰めていくと「一体自分は何者で、どうしてこの世界に存在しているのだろうか」というアイデンティティ・クライシスにつながりそう…。)

 

「自分はみんなと同じだけど違う」あるいは「自分はみんなと違うけれど同じ」。

それが当然なんだから、それをもっと肯定的に受け入れてみませんか?

それを実践していくと、もしかしたらあなたは「変わりもの」「変人」として周囲に受け止められるようになるかもしれません。でも断ることに慣れていくように、群れから距離を取ることにも慣れるものです。

そして本当のあなたを出して暮らしていくのは、ずっと楽しいしずっと楽で、生きやすいですよ。

Happy Collaboration!

 


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