Collaboration Energizer | #混ぜなきゃ危険 | 八木橋パチ

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不機嫌の考察

「不機嫌であること」と「不機嫌を表すこと」はまったく異なることである。

数日前に実にどうでもいいことがあり、それに対し「不機嫌であることを一生懸命アピールする自分」を発見して、我ながらちょっと呆然としてしまった。

一体これまで、「どれだけ自分が甘えてきたのか」に気づいていなかったことに。そしてその機会がありがたいものだということを理解していなかったことに。

 

「不機嫌になるな」はちょっと乱暴過ぎる感がありますよね。「そんなこと言われたら不機嫌になるっつーの!」と不機嫌に言い返してしまいそうです。

だから、不機嫌になるのはいいと思うんです。いや、ならなくて済むならならない方がいいのかもしれないけど、まあそれは止められないと考えた方がいいかなと。

ただ不機嫌になっても、それを表出させることに対しては、すっごく慎重でありたいなと思うのです。

だって、「自分は不機嫌である」と態度や表情で表すことって、「あなたたちがなんとかしてください」か、あるいは「私は変える気はありません」か、それとも「本当は私がしなくて済むことをしてやっているのである」というアピールをしているってことですよね。

意志や考えを伝達する手段に「不機嫌」を選択して利用しているってことですよね。

…これって、「私は自分の面倒を自分で見れないのです」だったり「自分の機嫌一つすら取れないのです」と言っているようなものじゃないですか?

 

 自分が不機嫌であることを他者に提示するのは、多くの場合「甘え」である。

もちろん、「常に不機嫌を表出すべきではない」と言う気はありません。もっと意識的に自分の不機嫌と付き合った方がいいんじゃない? ということです。

冒頭の「不機嫌さを一生懸命アピールするおれ」を発見したとき、おれは「もっと気を使ってください」と主張し「それじゃ足りません!」と表現していました。言葉を使わずに不満げなふくれっ面をして。

それは妻に対するもので「だからOK」とは言わないものの、2人の間でそれぞれが相手に対してちょくちょく行っていることであり、「コミュニケーションの1つの形」として相互理解できているものでした(あ、でもおれの方が頻繁にしてしまっているかも…)。

もう1度書きますが「妻だからOK」ではありません。でも、稚拙であると同時に相当な複雑さを持つ「不機嫌を示す」は、コミュニケーション方法として通用するのは(熟練の?)カップルとか、かなり分かり合えている友だちくらいではないでしょうか。

 

だって、シンプルに言って、嫌なやつですよね「不機嫌さを押し出してくる人」って。他者に対するコミュニケーションとしてはリスクが高いものであり、そんなに簡単に使用してよい手段とは思えません。少なくともおれはそんな相手はゴメンです。

(でも、これが「まるっきりの他者」(一度だけすれ違うような関係性)になると、人は簡単にこの手段をまるでなんでもないかのように使ってしまいがちですよね。なんでだ。)

 

 甘えを表せる相手は貴重であり、大切にせねばならない。

いろいろと書いてきましたが、不機嫌にならないことは無理だし、不機嫌を出せる相手がいることはとてもステキで恵まれていることなんだと思います。

そして同時にどこか逆説的でもありますが、不機嫌を出せる相手を持つためには、不機嫌をある程度ちゃんとコントロールできる自分でいることがポイントになるのではないかと思うのです。

 

最後に、特に、立場や身分、年齢などで「受容されやすい状況や環境」にいる方に、おせっかいな一言を。

自分でちゃんと自分を労ってあげましょうよ。そうじゃないと、やたらと不機嫌になっちゃいがちだから。あ、空腹も大敵ですよ。

それから、はっきり言ってあなたの不機嫌、本当は受け入れられてないと思いますよ。仕方ないって諦めてられているだけじゃないかな。だから、ちゃんと不機嫌を許してもらっていることに感謝しましょうね。そしてそれを同じ相手に頻繁にしてもらっているのなら、しっかり感謝を伝えましょう。

 

Happy Collaboration!