北九州市立高校 未来共創ワークショップ [振り返り] | 本当の自分の言葉
いよいよ実践です。今回のワークショップでは、ついポイ捨てをしてしまった高校生を主人公にして、ポイ捨ての問題をテクノロジーで解決するためにはどうすればよいかを皆で考えていきました。
おれは、高校生3人と一緒にグループになり、「ポイ捨てをしてしまった高校生」のことを一生懸命想像していた。
- 名前、性別、学年、部活、通学手段、家族構成、似顔絵。
- 性格、趣味、好きなこと嫌いなこと、平日の過ごし方、休日の過ごし方、将来の夢…他にもいくつか。
短い時間でペルソナを完成させるため分担して作業を行った。おれに割り振られたのは「性格、趣味、好きなこと嫌いなこと」。
- 性格は多面的。おおらかだけどせっかち。楽天家だけどマジメ。お調子者だけどガンコ。
- 趣味は水泳。背泳ぎが専門。理由は空を見るがの好きだから。でも本当は、息継ぎがあんまり得意じゃないんだよね。それにめんどくさいし。だって普通、呼吸なんて無意識にするもんじゃん?
- 好きなことはゲーム。嫌いなことは…それもゲーム、かな。理由? うーん…教えない!
「ポイ太郎」…なかなかめんどくさい奴。なお、彼には兄弟が1人いて4人家族。高校にはチャリで通っている。母親とは「ゲームは1日2時間まで」って約束しているけど、まあその辺りは案外テキトー。
ところで最近、部活の顧問が「背泳ぎ以外もやれ」ってなんだかうるさい。次の大会では個人メドレー種目にも出させようと考えているみたいだ。…背泳ぎだけでいいんだけど。
ところで、個人メドレーって、なんか変な感じしない? 個人が種目を連続して変えながら競い合うスポーツって、他にないよね? 陸上競技で100メートル走った後にそのまま続けて幅跳びと障害物競走やるみたいな。違うか。
先月、北九州市立高等学校(市高)に伺い、3時間弱の「地域共創DXワークショップ」を行ってきました。
上のリンク先、市高のブログにその様子が紹介されています。
ワークショップは、地域活性化やデジタル人材育成をメインの目的に掲げ、地域自治体や地域のお客様と共に日本IBMと日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社(IJDS)が共創しており、今回は「IBM地域DXセンター 北九州」が中心となり企画・運営を行いました。
今回のワークショップの目的は、「テクノロジー×デザイン思考で社会はもっと楽しくステキな場所になり得ること、そして誰もが傍観者ではなくその一部になれるってことを知ってもらうこと」ということ。でも、おれは個人的に「それはそれでもちろん大切なことだけど、それ以前に、高校生たちには「オトナと一緒に何かをやるのも、まあ悪くないじゃんと思ってもらいたいなあ」と考えていました。
というのは、おれは結構昔から、年に数回は学生たちとのワークショップや雑談・対話の場に参加していますが、ここ数年なんだか「オトナの期待通りの発言」を耳にする機会がどんどん増えている気がしているのです。
その発言内容が本当に自分が思っていることならもちろんそれで構わないけれど、なんだか本当は違うんじゃないだろうか…? それって本当は自分の意見じゃなくて、「場に求められていそうなもの」をググって答えているんじゃない…?
おれにとっての「ワークショップ」は、計画に基づいて予定調和を進めていくことではありません。
決まった答えや正解は存在せず、事前に作られたタイムスケジュールに縛られることもなく、設定されたテーマや目的を見直しこと自体が「アウトプット」となることも厭わない。そんな「オトナに合わせなくてOK」「本当の自分の意見を出してOK」という「ワークショップという場」を経験することを通じて、本来の自分のままでワークショップを楽しんでもらいたかったのです。
そして、「空気を読んだり、状況を察したりして、場や相手に合わせなくてもいいんだ。誰かが言ってた「正しい意見』を、それっぽく自分の言葉として出す必要なんてないんだ。むしろ、新しい何かを生み出そうとするときには、そうしない方がいいんだ」と思える体験をしてもらいたかったのです。
と、おれなりの「ワークショップの姿」を頭においてはいたものの、実は今回、おれははっきりとした「役割り」を持っていたわけではなく、オブザーバー的な立ち場でワークショップ会場にいました。
なので、高校生たちの邪魔にならないように、そして準備を重ね、自分たちの「ワークショップの姿」を思い描いてきたファシリテーターたちの邪魔にもならないように、「今日はおとなしく傍観者でいよう」と思っていたのです。
ところが、いざワークショップがスタートすると、1人人数が少なく、かつ、最初のアイスブレイク・タイムでブレイクどころかアイスがカッチカチのままのグループがあったんですよね。そしてどうやら、周囲のオトナたちも「…これはちょっとヤバいかも」という空気を醸し出している…。
そして、ワークショップ会場には、結構な数の傍観者たち…。これはもしかすると、このままズルズル「傍観者効果」や「社会的手抜き」という、ネガティブな状況へとつながりかねないかも??
「このグループ、1人少ないんでおれも参加しまーす!」と、気づいたら、急遽参加者として飛び入りしていました。
「緊張をほぐしてあげよう」「意見を引き出してあげよう」「発想を柔らかくしてあげよう」「場を和ませてあげよう」——そんなことばかりを考えて、おれは「xxx君はどう思う?」「じゃあxxxさんの意見も教えて!」なんて感じで、やたらとみんなを喋らせようとしていました。
そんな時間が5分以上続いたと思います。でも、みんなあまり乗ってきませんでした。いや、全然乗ってきていなかったな。
そこで「手を替え品を替え、さらに頑張って発信を促さなきゃ」なんてことが頭によぎった瞬間、ハッと気づきました。
「これって、おれが『嫌だな』と思っていた、状況を察した行動を求めている行為じゃん」と。
そもそも「引き出してあげよう」だの「和ませてあげよう」だの、どれだけ偉そうなんだ、オトナぶっているんだって話ですよね。
それこそ、オトナの勝手な「上から目線」だし思いこみ。彼彼女らに「しょうがないな」とこちらの顔色を伺わせる行為に他なりません。何が「予定調和の発言や行動を高校生たちに取って欲しくない」だおれ!!
まずはおれ自身が楽しむこと。そして「周囲から引き出す」のではなく、「おれが自分らしく出し続ける」こと。それを見てどうしたいと思うかは、彼彼女たちが自分で決めればいいんです。
それに、おれが自分らしく楽しんでいないのに、どうして周りのみんなが自分らしく楽しめるのでしょうか。
というわけで、ここからはすっかり自分が楽しむことに集中しました。そしておれから出てくるアイデアを、どんどんマネしたりリミックスしたり、遠慮せず好きなように煮たり焼いたりしていいし、むしろそうしてもらえるとおれは嬉しいんだということを伝え、同じように彼彼女らから出てくるアイデアや意見を、好きなように煮たり焼いたりさせてもらいました。
そんなふうにワークを重ねていく中で、おれには、グループのみんなの顔が、ワークショップの最初の頃とはずいぶんと違う感じに、アイスもそれなりのサイズに砕けていたように思たんだけど…。
「上手くいったと思いたい」というおれの無意識がそういうふうに感じさせただけなのかもしれません。
でも、「こういうみんなと一緒にワークする場でも、自分の意見やアイデアを大事にしながら、共同作業を進めようとするオトナもいるんだな。いてもOKなんだな」とは思ってくれた人もいたんじゃないかとも思っています。
「あのとき本当はどう感じてたの? 最初『うざいなぁ』って思ってたよね。今振り返るとどんな経験だった?」って、いつかグループのみんなに聞いてみたいな。いつか…そうだな、1年後くらいかな。
そのとき、「場や相手に合わせるのではなく、本当の自分の言葉」を言ってもらえたらサイコーだな。
Happy Collaboration!