Collaboration Energizer | #混ぜなきゃ危険 | 八木橋パチ

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2020年の10冊とビッグイシュー

そういえば、去年の読書まとめ的なブログ記事を書いていませんでした。
85冊…少ない。やっぱり移動時間が減ったことがその理由ですね。

…と思ったら、2019年も91冊でした(<2019年の15冊と振り返り>)。
なんだ。ほとんど変わっていない。ここ数年、少しずつ読書量が減少しているんだな、おれ。やっぱりオンライン記事に時間使ってるのかな?

ということで、2020年の10冊を選んでみます。
なお、例年恒例ですが、自分が2020年に読んだというだけであって、出版年はなんの関係もありません。
あ、その前に! 今年はまず雑誌を1つ紹介します。
数10年ぶりに購読契約して、毎号しっかり隅から隅まで読みました。

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www.bigissue.jp

THE BIG ISSUE

すごく知名度が高い雑誌だとおれは思っていたんだけど、案外知らない人も多いようです。ひょっとしたらタイトルを知らないだけで「街かどでホームレスの人が売っている雑誌」って言ったら分かる人もいるかな?

ホームレスの人たちが自分たちの力で現状を変えるための仕組みとなっていて、1冊450円で販売されているうちの230円が販売者の収入として手元に残ります。
おれも最初は彼らへの応援として買っていたんだけど、今ではすっかり貴重な情報源になっています。「フィルターバブル」という言葉で表されるように、情報ソースがオンライン中心になり過ぎると自分が興味を持っている分野の情報ばかりに寄ってしまいがちです。
そんな中、『THE BIG ISSUE』はおれの興味分野にいい感じに掠る情報を提供してくれるのです。

ぜひ、街中で売っているところを見かけたら、声をかけて買ってみてください。バックナンバーを売っている人も多いです。
あるいは「街中へ外出する機会なんてほぼすっかりないし…」という方は、おれのように月2回、計6回が3カ月送られてくる「コロナ緊急3ヵ月通信販売」を注文するのもよいかもしれません。


『デザインのデザイン』

原 研哉 著


デザイン界隈の人には言わずと知れた名著ですよね。おれはなんちゃってなアウトサイダーなので去年読みました。そしてぶっ飛ばされました。読んでなかったことを少し悔やしく感じました。

新奇なものをつくり出すだけが創造性ではない。見慣れたものを未知なるものとして再発見できる感性も同じく創造性である。既に手にしていながらその価値に気づかないでいる膨大な文化の蓄積とともに僕らは生きている。それらを未使用の資源として活用できる能力は、無から有を生み出すのと同様に創造的である。僕らの足下には巨大な鉱脈が手つかずのまま埋もれている。

読んだちょっと後に、講演会に参加する機会がありました。そのときのことはこちらのブログに:
ランダムノート | 原研哉さんの講演会「日本、モダニズムを挟む過去と未来」


『他者と働く~「わかりあえなさ」から始める組織論~』

宇田川 元一 著

自分の中に今ある問いと、これまでに消化したつもりだった問いと、そして未来にきっと思うであろう問いに先に向かい合い、その発見や気づきを丁寧にシェアしてくれる一冊でした。

まさに"「わかりあえなさ」から始める組織論"であり、それこそが本当に社会が今一番求めているものなのかもしれないな。

上司と部下という関係はときに上下関係や対立を生み出すものです。しかし、優れたチーム、困難な問題に挑むチームは、上司と部下という公式的な関係を超えた、ひとつのまとまりとして動いているように見えるときがあるものです。そうした状態は、「私とそれ」の関係性から個々の違いを乗り越えて「私とあなた」の関係性へ移行したものとして捉えることができると思います。

対話とは、権限や立場と関係なく誰にでも、自分の中に相手を見出すこと、相手の中に自分を見出すことで、双方向にお互いを受け入れ合っていくことを意味します。

少し面倒でナイーブな話に思えるでしょうか。しかしこの問題こそが、私たちが実際に直面している「適応課題」の困難さなのです。


『人口減少社会のデザイン』

広井 良典 著

<思い込み>というのは、注意していても気づかないうちに自分に染み付いているものです。それに気づかせてくれたり、そいつらを振り払ってくれる本はとても貴重で、この本はそういうアップデートとfood for thoughtをたくさん与えてくれる一冊でした。とは言え、若干「押し付け」感もあるかな。

日本人は"場"の空気というものを最優先で考える傾向が強いため、「分配」や「負担」のあり方といった"場"の合意がなかなか難しそうな話題については、議論を避け、その場にいない人々に押し付けてしまいがちである。そして、思えば"その場にいない人々"の典型が「将来世代」だろう。他国に類を見ないような、将来世代への借金のツケ回しの背景には、こうしたことが働いていると私は思う。


『北欧の幸せな社会のつくり方 10代からの政治と選挙』

あぶみ あさき 著

最初に手にしてパラパラっと見たとき「て写真が多くてページ数も少なめだし、キラキラした様子を伝えるだけの本だったらイヤだなぁ」と思ったのですが、まったくそんなことはありませんでした。これだけの写真量とキャプションには、然るべき理由があるなと思いました。

選挙ってこんなに自由で良いんだなぁ。北欧的民主主義(ディープ・デモクラシー)を掴みたい人にオススメします!

ノルウェー地方自治省に問い合わせたところ、「子どもや若者が選挙運動に関わることを制限していない」そうだ。成人か未成年か、選挙権があるかないかは、関係ない。国の未来を決める政治は、みんなで一緒に考える。なぜなら、それこそが彼らが大事にする民主主義だからだ。

民主主義には「わかりやすさ」も含まれており、一部のエリートや専門家だけにわかる言葉で政策や資料を作るのではなく、「誰もがわかりやすい」ような表現やデザインが、民主的なのだ。


ハーメルンの笛吹き男』

阿部 謹也 著

<「市民」という言葉が指すのはいわば特権階級に所属する人たちであり、庶民とは別物である>こと。そして<自分たちの生活が脅かされない限り、統治者が誰であるかなどどうでも良い>ということ。

この2つは(少なくとも)中世ヨーロッパにおいては事実だった。それをきちんと理解していないと、市民や民主主義というものを正しくは理解できないよなぁ…ということを改めて考えさせてくれた一冊でした。

農民の逃亡の目的地はどこでもまず近隣の都市であった。
しかし土地は狭隘で手工業もあまり発達していない都市に、多数の人間を養うゆとりはなかった。市内にこうした下層民があふれることは市内の社会的不安を増大せしめた。農村を逃亡して都市に流入してきた下層民の多くはすでにみたように市民権をとることが出来ず、したがって都市内に住みながら都市共同体から排除された被差別民の集団をなしていたからである(…)いうならば生得の身分・地位は金銭や財力では動かせない堅固なものであった。 もっと正確にいえば、金銭は中世社会においてはまだ現在のように大きな社会的な魔力を発揮するまでにいたっていなかった


『遅いインターネット』

宇野 常寛 著

難しい本です。ただ、著者である宇野さんの力量が、内容の難しさのわりには読みやすくしてくれています。
「遅いインターネット」が提唱する「ポピュリズムに流れない時間軸でじっくりと受発信をするスロージャーナリズム+コミュニティー」の実践は、今後ますます重要になってくると思います。
今後も、インターネットが、それぞれが独立した状態のものをつなげていくためのものであり、グローバルネットでもインテグレーティングネットでもユニバーサルでもないままでいられるように。

今日の民主主義では、基本的に私的なものと公的なものは物語(イデオロギー)によって、接続されている。日々の生活に追われる「大衆」が、その生活を守るために政治への参加が必要であることを啓蒙され、「市民」になる。この回路を通じて、私的なものと公的なものが接続され、民主主義が機能する。

しかしその建前は早々に破綻し、無知蒙昧な大衆を想定したシステムと、教養化された市民を大衆にしたシステムを併走させその二者のバランスを取る二重構造が近代社会の常となった。そして、いま直面しているのはこの二重構造の破綻なのだ。


デンマークのスマートシティ データを活用した人間中心の都市づくり』

中島 健祐 著

2019年までデンマーク大使館で勤務していた著者の本。デンマークにおける<データと人間とテクノロジーと生活>の取り組みが包括的に捉えられて書かれています。

なお、現在オンライン開催中の<東京デンマークWEEK 2020>では、著者の中島さんのデンマークのスマートシティについてのプレゼンテーションと、中島健祐 X 岡村彩のパネルトーク<課題解決先進国。「日本x デンマーク」は他の国の組み合わせではできないコラボレーション>を観ることができますよ(有料)。

デンマーク・デザインセンター(DDC)は1978年に設立されたデザインの国家クラスターである(…)DDCが強調していることは、デジタル化が進むなかで、人間中心であること、公共の利益(社会福祉)を追求すること、環境とのバランスを考慮した持続可能性だ。彼らはこれを、従来の「官僚型ガバナンス」と対比する形で、「人間中心ガバナンス」と呼んでいる。

そのために重要なことは、実行すること、つまりなるべく多くの企業や研究機関に参加してもらい、イノベーションの実現プロセスを実証する。そして実証だけで終わらせることなく、きちんと社会実装することである。大切なことは、関わる利害関係者が、実際のプロジェクトで課題や取り組み方法を体験し学習することと、それらを多くの関係者と共有して、ノウハウを広めることである。


『断片的なものの社会学

岸 政彦 著

ジワジワとおもしろくなっていき、終わりの方はもうサイコー!

いくつかのサイコーに好きなエッセー(と言っていいのかな?)の中に、オンライン上で公開されている<笑いと自由>という作品がある。ぜひ読んでみて欲しい。そしてこれが好きだったら、この本を手に取ってみて欲しい。

「良い社会」というものを測る基準はたくさんあるだろうが、そのうちのひとつに、「文化生産が盛んな社会」というものがあることは、間違いないだろう。音楽、文学、映画、マンガ、いろいろなジャンルで、すさまじい作品を産出する「天才」が多い社会は、それが少ない社会よりも、良い社会に違いない。

さて、「天才」がたくさん生まれる社会とは、どのような社会だろうか。それは、自らの人生を差し出すものがとてつもなく多い社会である。

ひとりの手塚治虫は、何百万人もの、安定した確実な道を捨ててマンガの世界に自分の人生を捧げるものがいて、はじめて生まれるのである。

だから、人生を捨ててなにかに賭けるものが多ければ多いほど、そのなかから「天才」が生まれる確率は高くなる。


『年収100万円で生きる』

吉川 ばんび 著

悲惨な現実に生きる日本で暮らす人びとへの取材をルポの形でまとめた一冊。
著者の「自己責任」という言葉を安易に使う人への怒り、よく分かります。なぜなら、おれ自身が昔は安易に自己責任論を使う人間だったから。そうすることで、考えても考えてもどうにもできないことに蓋をしたかったから…。

もしかしたら、声を挙げても何も変わらないかもしれない。でも、それは声を挙げなくていい理由にはならないですよね。

仕事を最優先し、人生を犠牲にしてきた日本人が限界を迎え、働き方を省みて豊かな人生を取り戻そうとしている。まさに「働き方を改革する」ときが、今なのではないか。

不寛容な社会で私たちが手に入れたものは、一体なんだったのだろう。日本の時間あたり労働生産性は47.5ドル。G7(主要7か国)では、データ取得が可能な1970年から48年連続で最下位という結果だ。長時間労働に加え、不寛容な社会を強いることで得たかったのは中身を伴わない、ただの「頑張っている感」だったのだろうか。


アルケミスト - 夢を旅した少年』

パウロ・コエーリョ 著

もしかしたら、すばらしい本の多くはそうなのかもしれないけど<深く読めば深く、浅く読めば浅い>って作品ってありますよね? これもそういう一冊です。ちゃんと読んだことないけど、聖書とかコーランとかも、最初はこんな感じで書かれたのかも? なんて思ったりも。

ある意味、プランドハプンとかキャリアドリフトとか、そういうキャリア論を描いた物語なんて読み方もできるかもしれませんね。

自分のことをどろぼうに会ったあわれな犠牲者と考えるか、宝物を探し求める冒険家と考えるか、そのどちらかを選ばなくてはならないことに気がついた。
「僕は宝物を探している冒険家なんだ」と彼は自分に言った。

傷つくのを恐れることは実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい。夢を探求しているときは、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が…永遠との出会いだからだ

2021年もたくさんのよい本と出会えますように。たくさんのよい本と会話できますように。

Happy Collaboration!