学校の制服が10万円近くとか、もうやめて欲しい。 | を考察してみる
1カ月ほど前、録画しておいたとあるテレビ番組を観てどうにもやるせ無い気持ちになり、以下をツイートしました。
学校の制服が10万円近くとか、もうやめて欲しい。 ユニクロとか、100パターンくらい作って「学校さん、この中から1つ選んで。どれでも1万円です」とかってできないものかな? エンブレムも1000円くらいで売って、自分たちでそれ取り付ければよくね?
これがなぜかバズって、そのあと1週間近く多くの方がリツイートしたり、コメントしてくれました(ところで、なぜバズったんだろう? インフルエンサー的な人のRTやコメントは見あたらなかったんだけど…)。
バズりに対して変化していく自分の心持ち(心に余裕がないときだったら、おそらくコメントに過敏反応しちゃうんだろうなぁ…)もそれはそれで興味深いものだったのですが、それはまた別の機会にするとして、論点の食い違いを少し引いた目線で分析しつつ整理してみます。
もくじ
■1. Twitterの数値と典型的な意見&反応
ツイートに対する数値データはこちら。7月23日の昼頃取ったデータです。 184万のインプレッションと30万強のエンゲージメント。いいねが35,000でリツイートが7,000強。普段の自分のツイートへの反応からは考えられない数字です。
そしてコメントやそこから派生する会話の中で、たくさんの意見や反応を目にしました。以下、9タイプに分けてみました。なお、とってもと〜ってもマイルドな表現にリライトしています。
・ 賛同タイプ
- 乳幼児を2人抱えています。彼らが中高生になるまでにはこの提案が受け入れられていて欲しいです。
- 天才現る! それ今すぐやるべき!!
・ 制服擁護論タイプ
- 制服のおかげで貧富の差が服装に出ず、いじめなどにつながらないのだから制服は大切です。
- 1万円の安物じゃ3年間持たないことくらい想像つきませんか? 3年で10万円はむしろ経済的です。
- 私服にしたらもっとお金がかかるので、親御さんにかかる経済的負担はもっと大きくなります。
- 葬儀などのフォーマルな場にも着ていける服を用意するのですから、10万円でも高くありません。
- 繁華街への出入りや夜遊びが抑制されるのですから、制服は必要です。
・ 制服不要論タイプ
- そもそも制服などない方がいいものなのですから、その金額の議論は的外れです。
- 制服というものは購入するものではなく、支給されるべきものです。
- 成長期の子どもに3年間も同じサイズの服を着せるなんて…。それに毎日同じ服を着るのは不潔です。
・ 学校異常論タイプ
- 制服だけじゃなく、体操着やコート、上履きや通学靴など学校指定には高額なものが多すぎます。
- 「多様性を認めあう社会を」と言いながら、同調を強制する学校の異常さを制服が象徴しています。
・ 日本社会異常論タイプ
- 裁縫職人や生地屋に適正金額を払えば10万円は当然であり、異常なのはデフレ社会です。
- シングルマザーや非正規労働者の親も増えているのに、制服が値上げされる日本社会は異常です。
・ 努力不足タイプ
- 本当に子どものことを思う親なら、パートでもなんでもして10万円くらいどうにかできるはず。
- 制服代なんて事前に調べれば分かるのだから、それが嫌なら最初から進学候補にすべきではない。
・ グローバル経済反対タイプ
- 地域密着型の商売を無くしてしまう気ですか? そんなことをしたら国内産業は潰れてしまいますよ。
- 海外の不当に安い労働力を搾取するブランドの服なんて子どもに着せたくはありません。
・あきらめタイプ
- 学校と業者の癒着です。中抜きが跋扈する世界ですから、変えるのは不可能ですよ。
・ 情報提供タイプ
- 海外では学校単位ではなく、制服は地域や全国で一律になっているところが多いです。
■2. そもそもの発端はなんだったのか
録画しておいたとあるテレビ番組とは、Eテレ ETV特集『すべての子どもに学ぶ場を~ある中学校と外国人生徒の歳月~』というプログラムです。
義務教育の対象外となってしまう外国人の子どもたちを、だれ一人取り残さず学校につなぎとめようと奮闘する姿を追った番組で、とてもグッとくる内容です。
そして番組のほぼ最終盤、コロナで職を失った家庭の生徒が、貧困に苦しみながらも周りの支援もあってどうにか入学金をかき集めて「高校に行きたい」という気持ちを実らせた女子生徒を、新たに10万円という制服の値段が襲います。
「こんなに頑張ってここまでこぎつけたのに、制服10万円のせいで夢を諦めなくちゃいけないなんて…。」 -- ボロボロ涙がこぼれました。
それで冒頭のツイート『ユニクロとか、100パターンくらい作って「学校さん、この中から1つ選んで。どれでも1万円です」とかってできないものかな? エンブレムも1000円くらいで売って、自分たちでそれ取り付ければよくね?』と書いたのです。
おそらく、制服廃止を求め訴えても、そこに至るまでにとても長い時間がかかるだろうと思ったから。時代に合わなくなった社会的な慣習を変えていくことはとても重要なことだけど、同時にそのために夢を諦めなきゃならない人が量産されるのは、とても悲しいことだと思ったから(コロナで生活や将来のプランが大きく変えざる得ない人は、マジョリティーの目に付きづらいところにこそたくさんいるから)。
https://twitter.com/dubbedpachi/status/1277770808371240960 「制服廃止・自由化」のハードルは高くて超えられなさそう…と思っていて、こっちの方が有望かなと。ただ「圧力とやりとりできる規模と覚悟」のある会社が必要かな? と。 ユニクロさんはここ数年でESGに振り切ったと聞いているので、社会的価値の大きさから「仕掛けよう」になってくれないかなって。
https://twitter.com/dubbedpachi/status/1277613828365139968 いえ、別にユニクロじゃなくてもいいんです。 廉価一律価格で多くのバリエーションを学生を持つ家族に提供できる会社なら、どこでも。 https://t.co/I8BA9e3Pt6
https://twitter.com/dubbedpachi/status/1277858001005600770 「制服は結局安くつく」って考え方ですよね。そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれませんね。
それが「制服廃止」を求めるんじゃなくて「廉価な制服」を求める理由だったりします。なにも初期コストが高いことがトータルコストを安くしているわけじゃないですよね。
■3. なんらかの結果につながったのか
昔から疑問に思ったりおかしいと感じることを言葉にしたり態度にしたりして表すようにしていますが、最近では特に「アテンションとアクション」という2つを念頭に置くことを意識しています。
- アテンション | 注意、関心。その「おかしさ」に対して十分な関心が社会的に示されているか?
- アクション | その「おかしさ」に対して変化が起きやすい形になっているか?
アテンションですが、制服や不条理な校則に対する社会的関心って、これまでに何度となく表出しているものの、ほとんど変化せずになんとなく終わってしまっていると思うんです。それが原因なのか、親も生徒も、なんなら教師までも「学校の制度面に文句をつけたところで変わりはしない」とほとんどが諦めてしまっている気がします。
なので、改めて違う角度から光を当ててアテンションを引く努力が必要だと思うし、そこにはメディアと市民の差はないと思います。
アクションですが、「言葉や態度で発信する」のもその1つではありますが、それだけでは連鎖しにくいものです。一人の人間が言い続けることは本当にすごくすごく重要だと思いますが、やっぱりそれがなんらかの変化につながるか否かは、それが誰かの(願わくば多くの)人のアクションを呼び起こせるかどうかにかかっていますよね。
そんなわけで、「どうすればそれを見たり聞いたりした人がアクションを取りやすいか」を意識して発信するようにしています。
ですから、制服廃止よりも廉価な制服を訴えました。制服は残したいって人が根強くいるのは知っているし。でも高いままであるべきだって人はほぼいないでしょう? 市や県に訴え出るよりも、志高く財力もある私企業の方が行動力はあるでしょう? -- 個人としてUNIQLOさんやワークマンさんやイオンさんに話を持っていくことはできていませんが、どなたがパスをお持ちの方で機会があったら「そう言えばこんな声もあるようですよ」ってぜひお伝えしてみてください。
なお、今回ちっぽけではありますが、こんなアクションを取ってくれた人たちがいました。
- 地域の住人たちで、学生服のリサイクル・サークルを作ろうと呼びかけてみました。
- 総会では提案しませんでしたが懇談会では意見を伝えてきました。その結果真夏には体操着の半袖で登下校しても良い事になりました。
なお、偶然ですがちょうどツイートした2日後にこんなニュースが流れたそうです(ツイッターで教えてもらいました)。
東海テレビニュース『大丸松坂屋や衣料品販売業者らが“独禁法違反”…談合で県立高校6校の制服価格を平均約8%引き上げ』
それから「ツイナビ」さんとこんなやり取りをしました。
https://twitter.com/dubbedpachi/status/1278594114083160064 こんにちは。ご連絡ありがとうございます。 どのようなトーンや内容の記事をお考えになられていますか?(規約は見ました。) 私のツイートの趣旨は「制服代を工面できないが故に進学できない」といった社会課題に対して、「できない理由」を挙げるのではなく、未来志向で考えてたいというものです。
■4. なぜこれを書いたのか
多分、これからもおれは市民としてだったり消費者としてだったり、社員としてだったりフリーランサーとしてだったり「小さなアクティビズム」を実践していくんだと思います。
個人が日々の出来事から学び、意識や判断や価値観を、変化させていく。 組織も、そして社会も、過去と現在の相違をまずは認め、未来のために対話していく。
過去や歴史はとても重要なものだけど、それは今と未来があってこそ。 どうしたらより多くの人にとってより良い未来につながるのかをみんなで考え、みんなで実践していく。 そうやって、対話と提案という行動を繰り返しながら、未来の自分と仲間たちのためにルールや制度を変えていこう。
Happy Collaboration!