Collaboration Energizer | #混ぜなきゃ危険 | 八木橋パチ

コラボレーション・エナジャイザーとは、コラボレーションの場を作り、場のエネルギーを高め、何かが生みだされることを支援する人

2024年(結局少なめ)読書棚卸し

今年はよく本を読んだ年でした。

数えてみたら112冊。去年が例年より少なかったので、比較すると1.6倍くらいになるのかな(74冊でした)。

ただ…。残念ながら、「すごくおもしろかった」と言える本は例年より少なかった気が。
でもこれは、あたしの本の選び方が下手くそだったってことだと思う。
「読んでおくべきかなぁ」みたいな本をちょっと手にし過ぎました。もっと自分の中から浮かび上がる声を信じないと。ね。

ということで、満足した本を並べておきます。例年の如く、出版時期は関係なく、「あたしが2024年に読んですっかり気に入った本」です。

 

 

『実験の民主主義-トクヴィルの思想からデジタル、ファンダムへ』

宇野 重規 著 + 若林 恵 聞き手

民主主義の生き字引である宇野さんと、あたしがもっとも憧れる編集者の若林さんによる共著(若林さんのクレジットは「聞き手」となっているけれど)。それにしても宇野さんも若林さんも相手の土俵にしっかり上がりきれる人同士ですごいなぁ。この二人だったら「どの店のチャーハンが一番か」みたいな話でも相当おもしろいものになるのではなかろうか。

www.chuko.co.jp

右派の人たちが「人権」を蛇蝎のごとく嫌って、左派を「人権教」と呼んで反発するのも、人間の本性的には自然な反応です。自分の身内や仲間の権利を大切にしたいと思うのは人間の本性ですが、その権利を自分の仲間ではない人間や、よその国の名も知らない人間に対しても等しく拡張するとなると、直感的に抵抗を感じます。
とはいっても、その直感にだけ従っていると、不条理な差別や抑圧が起きたり、戦争が起きたりして大変な思いをすることになります。そこで、動物的な本能には反するけれど、人権は最低限認めたほうがよさそうだという合意をどうにか作り、その合意を積み重ねることで近代社会は発展してきました。とはいえ、どうしても腹にストンと落ちきらない部分はある。であればこそ、何かのはずみにそれが暴発しています。

 

『コモンの「自治」論』

斎藤幸平 + 松本拓也 編

松本卓也さんを初めて知った一冊。…とは言え、この本以外で書かれたものを読んだことはまだなく、早くじっくりと読んでみたいので、精神医学と哲学以外の本を出してほしいな。あるいは、トークイベントとかあれば行きたいのだけれど…そうか。この方も京都なのか。。。

www.shueisha.co.jp

自治〉とは、「一見、便利なもの」に潜む抑圧の構造を認識し、かといってそれを全否定するのではなく、「ちょっとした工夫(+α)」で、既存の仕組みを組み換え、世界の見え方を変え、このクソみたいな世の中をちょっとでもましにしていくこと

 

『責任の生成ー中動態と当事者研究

國分 功一郎 & 熊谷 晋一郎 著

こくぶんさんとくまがやさん。苗字の読みが微妙に難しいお二人。
ご自身たちも語っているように、組み合わさることでそれぞれの話の理解が深まるのですが、どうやらそれは読者だけではなく、ご本人たちも同様のようです。「中動態と当事者研究」のコラボはぜひこの後も続けてほしい!

www.shin-yo-sha.co.jp

重要な点は、周囲から見てわかりづらい障害は、自分から見てもわかりづらい、ということです。例えば、小さいころからなぜか周りの人と同じように振る舞えない、あるいは同じように感じられないというかたちで、名状しがたい際を経験してきた自覚はあるけれども、いったいなぜそうなってしまうのか、自分の性格あるいは人格に問題があるのではないか、あるいは努力不足のせいなのではないかと悩み、自分を責めてきた方が数多くいらっしゃいます。そのような状況にあって、社会の側に変わってくれ、という要求をするのは難しいですね。うまくいかないのは自分のせいなのかもしれない、という可能性が否定しきれない状況において、社会に配慮を要求するのは並大抵のことではありません。

 

『従順さのどこがいけないのか』

将基面 貴巳 著

「しょうぎめん」さんとお読みするのだそうです。そしてニュージーランドダニーデンにある大学で教授をやられているそう。先日、オンラインでのトークセッションを聞いたのですが、とても良かったです。こうした方が日本にベースを置いて活動されていないことが、少し悲しくなりました。「大事なものを守るために」みたいなところがあったのかなぁ、なんて想像が働いて。

www.chikumashobo.co.jp

たとえば、あなたが誰かのことを「偉いなあ」と思っていて、その「偉い人」の言うことにあなたが従うとき、あなたとその「偉い人」との間には「政治」という現象が出現していることになります。
権威が存在するところでは、権威に対して服従が求められます。あなた自身がほかの人々にとって「権威」として振る舞う以外、あなたは、誰かの権威に服従することが求められているはずです。その権威とは、家庭では親であり、学校では教師であり、会社では上司です。

 

『生き延びるために芸術は必要か』

森村 泰昌 著

あたしはこれまで何度殺されたのだろう。そして何度死なないために魂を売ってきたのだろう。…そしてまだ、売ることのできる魂は、この身体の中に残っている?
——読んでいる間に、何度かそんな言葉が頭に浮かんできました。著者は言います。
<生き延びるために芸術が必要なのではない。生き延びることができないもののために芸術は必要なのだ>と。

www.kobunsha.com

有効に活用して世の中に役立たせる。もちろんわるいことではない。むしろ称賛されてよい発想であり実践である。しかし有効に活用できないようなら廃棄する、役に立たなければ意味がないというふくみがかいまみえる気がしないでもない。
役に立つことと生き延びることは、まったく別問題である。役に立つから生き延びるのではない。役に立つかどうかとは無関係に、生き延びたい、生き延びていてほしいとねがう気持ちが、なにものかを生き延びさせるのである。

 

『夜明けのすべて』

瀬尾 まいこ 著

エンタメに弱いあたしは、「これ、映画化したいって脚本家やプロデューサー多いだろうな」と読み終えて思ったのでした。
久々に読書中に大爆笑した作品でした。何年ぶりだろう? そして心から大笑いできたのは、この本の中に、違和感や後ろめたさ、抵抗感や反発心という、あたしの中に常に潜んでいる芽が顔を出さなかったからだろう。
自分にとって「障がいは遠い」と思う人に読んでほしいな。

www.suirinsha.co.jp

働かないと生きていけないし、仕事がなければ毎日することもない。だから会社に勤めている。けれども、仕事のもたらすものはそれだけではない。自分のできることをほんの少しでも、何かの役に立ててみたい。自分の中にある考えを、何らかの形で表に出してみたい。そういう思いを、仕事は満たしてくれる。

 

『正欲』

浅井 リョウ 著

こちらの作品は映画化されたことは知っていたものの、そちらには食指が動かず(観たくないというよりは「そこまで興味を広げたら自分のリズムが破綻してしまいそうだから」という理由で)。で、本ですが、浅井氏は違和感をしっかり見つめるのが得意な人なんだなぁと思いました。実は、氏のことはほぼ何も知りません。…なんというか「知ること」への興味を沸かさせない著者なんですよね、彼はあたしにとって。そういう作家の作品を気が向いたときにふと読めるのって、幸せなことだなぁって思ったり(って、なんのことやらな感想ですね)。

www.shinchosha.co.jp

多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ。

 

『ほたるいしマジカルランド』

寺地 はるな 著

一番好きな作家さんである寺地さんの代表作の一つだと思うのですが、なぜかずっと、この本だけは手に取らずにいました。なんでだろ?
そして期待に違わない結果。「あたしももう少し強くなれる」って、自分を信じる力がちょっとアップした気がします。

www.poplar.co.jp

すべての生きる者は働く。働かなければならない。ただ、「働く」とは金銭を稼ぐことだけではない。照代のように主として家事をおこなう者も「働く」者だし、生きていることが、生を全うすることこそが、山田はそれこそが、すべての人に課せられたもっとも重要な仕事だと思っている。
生きてくれ。すべての人にたいして、そう願う。

 

『最期を選ぶ 命と向き合う人々、その家族の記録』

山本 将寛 著

あたしは薄めの「ドキュメント番組マニア」なんですが、フジテレビの『最期を選ぶ~安楽死のない国で私たちは~』は、「知っていること」をさらに深めるのではなく、「知らなかったこと」を目の前に提示してくれたドキュメント番組の中で、今年一番心に残るものだった気がします。そしてそのディレクターが書いた本が、ここまで心に迫ってくるとは…正直予想していませんでした。多くのドキュメント番組が元になった本って、番組の追想以上にはならないものが多いので…。ドキュメンタリー本として非の打ち所がないものだと思います。願わくば、氏の次の作品を見逃してしまうことがありませんように。

magazineworld.jp

数量的にもう少し調べてみると、スイスではここ数年、死亡者総数の約2パーセントが自殺幇助による死亡者であることがわかりました。つまり、死亡者の50人に1人が自殺幇助を受けた、ということになります(…)スイスにおいては一般的にホスピス安楽死を遂げることはできません。ホスピスは自殺幇助を行わない、ということです。
なぜなら、ホスピスの関係者の多くは自殺幇助による安楽死に反対しているからです。自分から死を選ぶ必要はなく緩和医療で人は救える、自殺幇助による安楽死は認めるべきではない、という考え方がホスピスの基本的な立場です。

 

来年もすてきな本に出会えますように。