外国ルーツの子どもを支援する団体でボランティアをしている。
ちゃんと思い出せないけど、まだ10年は経っていないと思う。8年くらいだろうか? その前は紛争や被災地区の支援ボランティアをしていて、子どもにフォーカスした団体ではなかった。
おれの気持ち的には本当は子どもじゃなくてもいい。ただ「家族支援」となると、そこまでの力量を持ち合わせていないおれにはなかなかハードルが高いのだ。
だから、家族の支援は組織がしっかりやってくれて、その一環として子どもの勉強をサポートする役割を担える「さぽうと21」でボランティアをしている。
週に一度、ほぼオンラインで2時間弱程度の勉強のお手伝い。ときどき悩みを聞いたり遊び相手になったりしながら。
それからもう一つ。こちらも全体は組織がしっかりと支援してくれる「KATARIBA Rootsプロジェクト」でもゆるく。
おれはときどき開催されるミートアップや発表会的なイベントで、対話ボランティア的なことをしている。
このどちらも、専門的な知識やスキルは求められることはない。
支援対象となる人たちへのリスペクトと、その人たちの役に立ちたいという気持ちと、それから少しの想像力と向上心があればできるもの。そしてリターンも(少なくともおれの場合は)たっぷりもらえる。
興味がある人は是非以下をご覧いただき、やってみたいと思ったら連絡してほしい。
ボランティア活動を続ける上で、気をつけていることが一つある。それは、ときどきだけれど意識して「しっかり情報を仕入れる」こと。
ボランティア活動をしていると、どうしても自分が関わっている現場で見聞きする話や出来事が「すべて」のように感じられる。身の回りにリアリティを持った息づかいのある話があると、人はそれに引きづられるものだろう。
そしてもちろん、そういう身近なところで得る経験や情報は貴重だ。
ただ貴重ではあるものの、情報源がそこだけになってしまうと、思い込みが強くなってしまいがちだ。
そして思い込みの強さは、先入観や独善的な判断を強化してしまう。
だから、意識してしっかりとした情報を仕入れる。
『多文化理解からはじめる外国ルーツの子ども家庭支援ハンドブック』(南野奈津子 著)は、アカデミアと実践の双方で活躍されている著者による本で、多面的な研究やデータの紹介はとても役立つものだった。
もし、あなたが外国ルーツの子ども支援に興味を持っているなら、あるいは実践しているけど情報に偏りがあると感じているのなら、ぜひオススメしたい一冊。
以下、書籍よりいくつか『8 母国文化と日本文化の間で生きる子どもたち』を中心に引用を。そしてコメントも。
なお、データ・数字系の記載はここではピックアップしていないので、そちらは書籍を見てもらうのがよいかと。また、個人的に「これは特に多くの人に知ってもらいたいな」と思ったことが書かれていたのが以下の章。
3 外国ルーツの子ども家庭と格差
6 障害と文化的スティグマ
10 外国ルーツの子どもと発達障害のアセスメント
12 外国ルーツの少年と非行
13 外国ルーツの子どもといじめ
16 子育て・しつけのスタイル
17 保護者のニーズを理解する
ムスリムは、一日に5回礼拝をするため、保護者が「学校でも子どもが礼拝をすることを許可してほしい」と希望することがあります。そのような場合、学校の空き教室を使用できるようにしているケースが多くなっています。また、イスラム教では、男性は金曜日にモスクで集団礼拝(金曜礼拝ともいう)を行うのですが、昼休みに車で学校から男の子を連れて行き、終了後また学校に連れて帰る、という例もあります。ただ、周囲の子どもと違うことをすることに抵抗感をもつ子どもや、礼拝に必ずしも熱心ではない子どももいるため、周囲の大人たちには、他の子どもの前で礼拝について話をしない、などの配慮が求められるようです。
(『8 母国文化と日本文化の間で生きる子どもたち』より)
学校を抜けて金曜礼拝に行く話は子どもから直接聞いたことがあったのですが、そのことについてあまり話をしたがらない雰囲気を感じ「なんか…今はやめといた方がよさげかな」と思ったことがありました。
なるほどこういう背景だったのかもしれません(まったく関係なかったかもしれないけど)。
ともあれ、子どもが話をしたくなさそうな雰囲気を出しているときは、一度スッと引き、後から二人だけのときに改めて聞いてみる…なんてことは意識しようと思います。
宗教であれ、ジェンダーであれ、あるいはそれ以外のものであれ、子どもは親の母国文化を重視する態度に対して、フレディのように反発したり、悩んだりすることも多いようです。宗教により他の子どもと同じ給食を食べることができない子どもは、他の子どもから「なぜあの子は別のものを食べているのか」という視線を感じたり、他の子どもができていることを自分はできないことに対してストレスを感じたりもします。また、女性であるゆえに、日本では他の女の子ならやってもいいこと、厳しく注意されないことを自分の親からは厳しく禁じられることに対してストレスを感じ、反発することもあります。
(『8 母国文化と日本文化の間で生きる子どもたち』より)
母国文化を重視「し過ぎる」親に対するフラストレーションが強い学生が多い気がします。そしてさらに、そんな自分(親を認めリスペクトできない自分)を攻めてしまう学生もいるかな…。
なお、<フレディのように反発したり、悩んだり>というのは、クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーのこと。
難民としてイギリスに渡り、ゲイであることで父親との確執を抱えていたことなど、2018年の大ヒット映画「ボヘミアン・ラプソディ』を観た方なら覚えているのでは?
「誰でも文化の影響を受けているものだ」ととらえ、話し合いながらできる範囲で個々のニーズに応えていくことが求められるように思います。
また、母国文化や宗教に基づく生活様式を日本で行うことに、違和感や拒否感を抱く子どももいます。子どもの生活に関することである以上、子どもの意見や思いをきちんと聞くことが大事です。女の子と男の子ではそれぞれ違った感覚を抱えているかもしれません。保護者に自分の気持ちを言いづらい子どももいることでしょう。中立的な態度で、子どもの気持ちを受け止めるような存在が子どもの近くにいることが必要ではないでしょうか。(『8 母国文化と日本文化の間で生きる子どもたち』より)
子どもに関することである以上、子どもの意見や思いをきちんと聞くことが大事——これはとても大事だけど、つい「保護者がそう言っているのなら」と思ってしまいがちかなと思います。
個人的には「中立的」よりさらに「本人寄り」でいたいかなと思います。
この辺りの話は、障害者にかんしても同じかと思います。親兄弟に自分の気持ちを言いづらい障害者もいることでしょう。親兄弟の「代弁」に意識が向いてしまいがちですが、当事者の意見や思いをきちんと聞くことが大事。
同じ経験や生活背景をもつ同世代との出会いは、子どもたちの心の健康に大きな意味を持ちます。子どもたちは「日本人でもないし外国人でもないし、自分は一体何者なんだ」と思っていても、それをどう解決してよいのかわからず、胸の内にすっきりしないものを抱えたままで生活していることも少なくありません。したがって、自分から「同じような生活歴の人と会いたい」と先生や周囲の大人に訴えてくることはないかもしれません。
しかし、本人からの訴えがないからと言ってニーズがないわけではありません。特に進路決定などの人生の節目では、ロールモデルの存在はとても大きな意味を持ちます。外国ルーツの子どもたちがイベントで出会う機会を設ける、あるいは、個別に引き合わせる、でもいいでしょう。状況に応じて、できる形で仲間と出会う場の設定をしてみてはどうでしょうか。
(『18 思春期の子どもたちの未来を支える』より)
#meet5000のページには、先輩との出会いに関する外国ルーツの高校生たちの声なども記載されています。ぜひ、こちらも見てみてください。















