Collaboration Energizer | #混ぜなきゃ危険 | 八木橋パチ

コラボレーション・エナジャイザーとは、コラボレーションの場を作り、場のエネルギーを高め、何かが生みだされることを支援する人

身内が亡くなるということ

「亡くなる」という言葉は尊敬語ではなく丁寧語らしく、自分の身内に使ってもおかしくない言葉だそうです。
 
確かに、「×××は死にました。」という言葉では、その死との時間的、心理的、物理的な距離が近い者たちにとっては、「死」に対する厳かな気持ちをうまく込めるのがとても難しく感じます。
なんというか、「離れ」がすでに風化しつつあるような気配、あるいはそれに似たようなもののたゆたい、そんな感じを今の俺は受けるんです。
 
書き始めたら、思いの外うまくまとめられなくて、何度も書いたり消したりしているのですが、昨日、親父が亡くなりました。
とても急な話で、多くの初めてのことに見よう見まねで対応しています。
 
事務的な作業にも対応しつつ、同時に「自分の心の動き方」を脳はせっせと分析しているみたいです。
そんな中、自分に対する意識から、亡くなった親父へと意識の向きを変えざる得ない場面が時折訪れて、そんなときに親父に対して以下のようなことが頭を巡ります。
 
うまくいかないことばかりだったと思うけど、それでもやりたいことにチャレンジする機会はたくさん持てた人生だったんじゃないですか?
生活のリズムも、食べたいものも、行きたいところも。とりわけ日々の生活においては、自分がしたいことを(周りに悪態つきながら)好きなようにやって暮らしていたよね。心臓止まるまでそうやってたんだから、きっと「不満足込みで満足」だよね。
皮肉な言い回しとか、毒のある冗談とかが好きだったけど、ヘタクソだったよね。
若い頃はもう少し上手だったのかな? 俺も似たようなもんなんだね。
思ったより早くて突然だったけど、さようなら。
さっき死に顔見たら、やっぱり涙がブワッと出てきたよ。でも、安らかそうでよかった。