『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談』と牛乳で、反骨心を太く育てよう!!
もともと私は歴史があまり得意じゃないんです(『歴史が嫌いなわけじゃなくてね』 参照)。
でも最近、本や博物館や旅行先で、太平洋戦争前の東京や地方の様子や、その頃の暮らしや出来事などの話に触れる機会が続いていて、「昔過ぎない昔」に興味がわいてきています。
ただし、興味の先は、尾ひれがつきまくっているであろう歴史的な出来事だとか、教科書に出てくるような偉人たちの話だとかではなく、もっと大衆的なものごとだったり日常的な習慣だったり、そんな事柄です。
だってなんだか、その頃の話って見たり聞いたりする機会って、少なくないですか?
それとも私が学生時代にちゃんと勉強していなかったから知らないだけ?
…と、ここまで書いて、NHKの朝の連続ドラマシリーズがどうやら最近その頃のモノを続けて取り上げているらしいことに気がつきました。
そうか。ひょっとして今、「20世紀前半」がブームなのか? 俺も知らずに流行りに乗ってるだけ?
まあ、それならそれで構いません。ちなみに、私が最後に観た朝の連ドラは『おしん』です。
そんな私が、最近読んでものすごく強烈な一撃を喰らった本を紹介します。
『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談』。
常識とかそれらしい歴史とか、見事にうっちゃってくれます。
この反骨心とくだらなさときたらもうサイコー!! 骨太さと読みやすさときたらシビレちゃう!!
切れ味の鋭さに、おもわず弟子入りしたくなりました!!!
(なお、この本によれば、広告のコピーに「!」がやたらと使われるようになったのは大正時代中頃で、その起源は明治時代に二葉亭四迷らが日本語に取り入れ始めたことだそうです。)
取り上げられている日本史のテーマについては、著者ご本人がライナーノーツ(『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談』ライナーノーツ (文庫版は『誰も知らなかった日本文化史』と改題)』)に書かれているのでそちらを見ていただくとして、ここでは私がとりわけ打ちのめされた2つのテーマについて書こうと思います。
■おいしい牛乳のみたいな
日本の牛乳が今の味になったのには、いろいろ裏があったのですね。
この本を読んですぐ、低温殺菌牛乳を捜して飲んでみました。なるほどぜんっぜん味が違うものですね。
そして、コーヒーにもわざわざ植物油を加えるのはやめました。
以下は上の話とはちょっと違う観点ですが、本書から一部引用です。
牛乳が好きか嫌いかって聞かれれば好きという人の数はさほど少なくないのに、でも実際に飲んでいるかというと…というお話の部分です。
ほんと、アンケートってコワいですね。
アンケート調査って、コワいんですよ。牛乳は好きか嫌いか、とだけ聞かれれば、イエスと答える人は多い。でもこれは、純粋に牛乳という存在だけを想定した回答なんです。現実の人生における選択は絶対的でなく、つねに相対的です。牛乳の他にも飲み物の選択肢は沢山あります。魅力的なライバルがひしめく中で、牛乳をあえて選ぶかとなると、自ずと答えは変わってきます。
(…)本当に牛乳が好きなら、中学卒業後も飲み続けるはずですが、飲まなくなるってことは、じつはたいして好きではなかったってことです。中学までは給食で出るから、惰性でほぼ毎日飲んでるだけなんです。
■新聞と広告
新聞を中心に、最近は叩かれまくっているマスメディアですが、そもそも「新聞は品行方正な公器」っていう前提から間違っていたのかも? なんて思わせてくれる内容です。
雑誌だけじゃなくて新聞も、昔から相当「売らんかな!!」でやってきていたんだなぁと教えてくれます。「良い悪い」ではなく、「そういうものだ」ってことですよね。
「紙の新聞の重大な変革期」とも言われている今、第1面の全面広告ってそう遠くない未来に復活したりして…?!
朝日新聞が一面全広告をはじめたときの変わりっぷりがまた、すごいんです。1904年(明治37)12月31日までは、朝日の第一面は広告をまったく載せていません。記事のみだったんです。広告が載るのは二面以降で、最終面にまとめて載せていたり、広告だけ別刷りになってる時代もありました。それが突如、180度の方針転換です。明治38年1月1日から、第一面をすべて広告にしてしまいました。なんという大胆なビジネスモデルでしょう。
なお、メディアリテラシーに関してもとてもステキなことが書かれていました。
いわく、メディアリテラシーを身に着けるのは難しくない。ただ一つ前提を持って取り扱えばよい:「マスコミもネットの意見も学者も専門家も評論家もあなたも私も全員バカである」
「認識を激しく揺さぶられる言葉に溢れた一冊」は、世の中にたくさんあることでしょう。
ただこの本のそうした言葉たちは、地味な調査と固くて太い反骨心により組み上げられたものばかりです。
知らなかったフリを続けたい人にはお勧めしません…。
最後に3つ、そんな言葉を。
おたくのお子さんに、「交通ルールを守りなさい」といい聞かせたとしましょう。こどもは素直にルールを守り、信号が青になったら横断歩道を渡ります。そこへ、交通ルールを無視したクルマが赤信号で突っこんできたら、ルールを守ったこどものほうが轢かれてしまうのです。
人里にクマが出没したら、看板になんて書きますか。「クマに注意」ですよね。「自然界のルールを守りましょう」なんて書くマヌケはいません。
(『東京の牛』より)
◇
太平洋戦争については、戦争の悲惨さという視点から語られることがおおいのですが、それは本土が爆撃されるようになってからで、最初のうちはけっこう国民も盛り上がっていたようです。
日露戦争時の日本人のはしゃぎようといったら、太平洋戦争の比ではありません。
(…)100年も前の世相を、現代の倫理道徳のものさしで批判否定するのは無意味です。むかしの人たちは、こんなこと考えてたんだ、やってたんだ、とおもしろがるだけでいいんです(逆に、むかしの人の行為を道徳的に尊敬したり正当化するのも無意味なことであると、クギをさしておきます)。
(『戦前の一面広告』より)
◇
大正末に出版された『貘の舌』という評論集で、内田魯庵はすでに亡国論のいかがわしさを見抜いています。
魯庵はこういいます。新しい文明が燎原の火のごとく広がるときは、いつでも古い文明を驚かす。鉄道が敷かれれば街道の宿駅の連中が騒ぐ。自動車が増えれば馬車が廃れる。活動写真が流行れば寄席が廃れる。そのたびに、新たなものを排除せんと、亡国論が台頭するのだ、と。
(『たとえ何度この世界が滅びようと、僕はきみを離しはしない』より)