海外生活とか英語とか
ということで、たまにはただの昔ばなしなぞ。
フリーターでやりたいこともやれることも見つけられないまま、なんとなく日々を過ごしていた俺は、一緒に暮らしていた彼女の提案に乗っかることにしました。
予備知識ゼロ。英語力ゼロ。貯金ゼロ。のゼロスタートでした。
そして繰り返しになりますが、別に「イイ話」でもなく、ただの思い出話です。
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そもそも、当時はワーホリの制度があるのがカナダ、オーストラリア、ニュージーの3カ国だけで、カナダとオーストラリアは25歳が年齢上限でした(例外が効くケースもあったようだけど)。
ただ、「治安や気候や生活費の観点で暮らしやすそうな土地がイイ」というレベルで行き先を考えておらず、どの国に対しても思い入れもなかった僕らには、「ニュージーしかないならそれでいいじゃん」という位にしか考えていませんでした。
もう1つ気になったのは、日本人でも1番仕事が見つけやすいのがオーストラリアと聞いていたので、「生活費を稼ぐのはちょっと厳しいことになるのか…?」とは思ったけど、まあしょせん知らない国のことを勝手に想像して話しているだけのことだし、行けるところがそこしかなきゃそこに行くでしょ、ってことでした。
ということで、Visa取得の準備のかたわら1年間バイトで金を貯めて、27歳のときにニュージーランドはクライストチャーチに旅立ったのでした。
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ヤバイ。これ、本当に長くなっちゃうヤツだ…。
たまたまかもしれないけど、自分の場合はうまくいきました。
あのとき「ヤバい…何かしなきゃ」って状況になれてよかったなと思っています。
そして、心の奥底に持っていた「何かのきっかけを掴める機会」というのも、さっぱりなさそうだなと思いました。たまたま日本人の若い男を探していた映画監督に出会うとか、大金持ちのニュージーランド人の未亡人に見初められるとか、そんな夢物語はないなって。
このままじゃ本当に、ただニュージーにいただけで、何も手にしないで日本に帰ることになるんだなぁって…。
何かを手に入れたい。だってそれなりに苦労しながら暮らして手に入れたモノが「心細い気持ちを噛み殺しながら節約生活する術」だけじゃ切ないよって。
そして、「よし、じゃあせめて英語をマスターしてやろう!」と決意しました。
時間だけはたっぷりあったので、毎日ただひたすら英語の勉強をして過ごしていました。
実際には知らない単語も多いしスピードにいていけないことも多いんだけど、必要とあらば「僕は英語はそんなに得意ってわけじゃない。でも僕はあなたとコミュニケーションしたいと思っているし、あなたがその気になってくれればそれが可能だとも確信している。」くらいのことは臆せず言えるようになりました。つまり、気持ちとして「喋れる」と思えるようになったということです。
ずいぶん昔の話で、どれだけ今「海外暮らし」や「ワーキングホリデー」を考えている人に役立つか分からないけど、そんなケースもあったんだねって思ってもらえたら嬉しいです。