200度、確保してる?
人間の視野って、200度なんだそうです(いくつかの説があるようですが)。
「目を動かさないで見ることのできる範囲」を視野と呼ぶそうなのですが、360度の半分をちょっと超えているっていうのは目が球体で、そこに映りこむ範囲を考えると「うん、180度をちょっと超えていて、そんな感じ」って思いますよね。
さっきまで電車に乗ってシートに座っていたのですが、ちょっと混んでいて両隣にも人が座っていました。
ちょっと実験のつもりで、目を正面に据えたまま動かさず、少しだけ身を乗り出して 両側を意識して見ると…うん、右の人はテトリスみたいなゲーム。けっこううまいみたい。左の人は…海外ドラマ、ネットフリックスかな?
そんな感じで、やっぱり180度をちょっと超えて、多分200度見えているようでした。
で、電車を降りた後、せっかくなので実験をもう少し続けてみました。
まずは、正面から目を動かさないまま、ゆーっくりと歩いてみて。それから少し早歩きにして、最後は軽いジョグからもうちょっと本気で走ってみました。
予想通り、スピードが上がれば上がるほど、視野はどんどん狭くなっていきます。ゆっくり歩いているときは、座っているときとほとんど変わらない感じ。ジョギングしていると160度くらい、最後は120度かもっと狭いくらい?
上の変化は肉体的というか、とても物理的な状況に影響されている状態ですが、実は200度の視野がある状況って結構限られていそうな気がしています。肉体以上に、精神的な状況に影響されて。
今、おれはいい感じのコミュニティースペースでゆったりとした気分でこの文章を書いているんで、多分、201度か202度くらいまで見えている気がします。でも、体は静止していても、何かに見張られているような落ち着かない気分だったり、一刻も早く何かを済ませたいって焦っているときには、その状況によって180度、150度、そしてやっぱり120度下手したら90度くらいまで視野が狭まっていませんか?
そんな風に考えると、「今、自分の視野はどれくらいあるだろう?」って意識を向けることで、自分の精神状態を把握することができそうですね。
今、あなたの視野は何度ありますか? 狭まっているとしたら、それはなんでだと思いますか?
常にいつも落ち着いてリラックスしている必要はないけれど、逆にいつも焦って前のめりになっていたり、大丈夫なのか問題ないのかと心配している必要もないですよね。
一方で、同じ場所に座ったままで、キョロキョロくるくる目や首を回してみても、そこから見えるのはその場所からの「 360度の視野」だけです。それを超えるものは目に入ってきません。
そしてその状態で一所懸命に新しいものを見つけようとしても、そこで手に入るのは、自分の目で見て感じたものではなく、誰かの見聞きした情報を間接的に受け取るだけ。
そんな情報が多くなり過ぎちゃうと、見るべきストーリーはむしろ埋もれてしまって、目に付くのは分かりやすそうに大幅に加工されたものばかりだったり…。
疲れていて、これ以上新しいものを目にしたくないときには、目の前のことにただ意識を集中してそれに向き合っていればいいのかもしれないけれど、でも、たいていずっとそこに留まり続けるわけにはいかないものですよね。
動かされるか、自分から動くか -- 道を教えてもらったり紹介してもらうのはいいけれど、走らされるのは嫌ですよね?
コース取りもペースも、おれは自分で決めていきたいな。もちろん、「こっちに来なよ!」って声かけてもらったところにあちこち立ち寄りながら(声かけてください!)。
前代未聞のウイルスが世界を席巻していて、あれもこれも延期、停止、中止、終了って、なんだかいろいろ大騒ぎで大変ですよね。
たくさんの人びとの日常が狂わされて、たくさんの不都合や苦悩が生まれています。そんな只中にいる方々に、心から同情と応援を送ります。
でも、そうでもない状況なのになんとなく足元がふわふわして落ち着かない人は、ちょっとクールダウンしてわざわざ自分を情報過多な状況に置い入れていないかとか、不安材料や安心材料ばかり探し求めていないかとか、見つめ直してみてもいいかも。
周囲がどんな状況になろうとも、自分から飛び込まずに自分の軸を持っていたいと意識していれば、不安や不満の波に飲み込まれちゃうことはないんじゃないでしょうか。
慌て過ぎず騒ぎ過ぎず。自分自身で行きましょう!
あ、そうそう。人間の視野が200度って話は、家具ブランドの201˚を運営している設計デザイン会社DRAFTさんに遊びに行った際に教えてもらいました。
おれも、200度を201度に拡げたり、150度とか狭くなってしまっている誰かの視野を少しでも元に戻すお手伝いができたらいいな。
Happy Collaboration!