遠近法で描かれた森へ - 「魔王のテーブルのその上で」にて
デザインそのものをリフレーミングする全6回シリーズを開始!デザインをしていない人など、現代には存在しません。しかも、常に誰もが知らず知らずのうちにデザインし続けている状態で、デザインすることから逃れる術がないわけです。(…)新しいデザインの方法に関する知識に飛びつき、その知を貪り食っている場合じゃないありません。パターン化された方法論や先行事例をつまみ食いするだけでは知りえない、デザインの深い森に足を踏み入れ、デザインという魔術の本質を明るみに出していきます。
千葉工業大学デザイン科学科教授・山崎和彦さん
株式会社ロフトワーク イノベーションメーカー・棚橋弘季さん
こりゃ行くでしょ! というわけで行ってきました。
会場はデザインやアートに造詣の深い方々、あるいはそれを勉強している学生の皆さんばかりのようでした(でもその完全な畑違いな感じが心地よかったです)。
今回のメインスピーカー棚橋さんは、中世以降のヨーロッパ文化のヒストリーに対して恐ろしいほどの博学ぶりで、その知識を深い洞察で当時の社会的な出来事と絡めて一本のストーリーにまとめ上げられていました。
それはもう、さながら巡り巡る知識のラビリンスに迷い込んだよう!
もう楽しいったらありゃしない。ビンビンきました。
1日経って改めてメモ書きを見直していたら、ちょっとこのまま自分だけのメモとしておくのはもったいないというか、忍びないという気がして、ブログに書こうと思いました。
ただ、それでもやっぱり集めて並べて分類して、アウトプットすることで吸収力を高めたいので、独りよがりなまとめ方でアウトプットします。
なお、お断りしておきたいのですが、ここに書かれていることは、セッションの全容を表しているわけではまったくありません。
お話のごく一部のエッセンスを自分なりに消化したものだったり、あるいはまだ反芻中のものだったり、さらには未消化物として自分の中から出てきたものだったりをゴッチャにして書いているので、セッションの中で語られていない言葉すらも混ざっています。
くれぐれも棚橋さんの発言だと決めつけないでください。おかしなところ、不明瞭なところは私の「未消化の思考」が混ざりこんでいると思っていただいてまず間違いないかと。
■欺きの技術
■光と錯覚
デザインとは主観的真実を作り上げることか?
■同じと似てる
「似てる」ことの価値を暴落させ、「同じ」であることの価値を高騰させた。
その後、たくさんのテクノロジーが視覚以外にも多くの「同じ」を生みだしてきた。そしていよいよ五感全体での「経験」を同じにするのか?
■脅威の部屋と抽象化
それを分類して見せたのが美術館や博物館(集めて並べて分類)。それに値札をつけたのが「百貨店」。
デザインとは集めて並べて分類して「意味を与える」こと。
複数の要素を統合して分かるように抽象化するための技術(あるいは詐術)。
■雑多もろもろ
- 記録するとは、観察して「数、形、位置、比率」を残すこと
- 抽象化とは、余計なことを排除してシンプルにすること
- 型を持つ物体はデザインから逃れられるのか? それを逃れるための欺きなのか?
- 情報過多と過剰整理とデザインと。デザインが過剰整理を進めているのか。過剰整理がデザインを進化させるのか。
- サブジェクトとオブジェクト。視覚優位と認知の偏り。ロジックとエモーション。
デザインの深い森、次回は「草原の泉(仮)」(10月30日開催)だそうです。