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『ITビジネスの原理』を読みました - ハイコンテクストとスタンプ

 

本当は、違う見立てで読書メモを書こうと思っていました。

とても多くの学びがあったので、それをシェアしたいと考えていたのですが… イメージ

なんだかここ数日の世の中の動きが別の視点での考えとシンクロし始めて、この本の中で唯一ストンと腹落ちしなかったというか、「納得できない…したくない…」という複雑な気持ちになった唯一の部分について書きたくなりました。

んというか、「確かにそうなのだろうな」という気持ちと、「でも認めたくない」という相反する気持ちが…。んー。

あ、まだなんの本だか紹介してませんでした。

ITビジネスの原理』(尾原 和啓 著)です。

今年の1月に出版され、いろいろなところで絶賛されているベストセラーなのでイマサラ感強いかもしれませんが、まだ読んでいない人の背中を押せるかもしれないのでそこは気にせず。

引っかかっていたところを、すごく簡単にまとめてみます。


日本にはハイコンテクストなコミュニケーションを積極的に楽しむ文化があって、人々はそこに手間暇もお金もかけている。それは、濃密な同じ環境を持っている同質性の高い人間の集団だからできることだ。

例えば、ガンダムマニアたちが各話の作画の違いを語ったり、その背後の歴史との関連から読み解くといった楽しみ方も、江戸時代の茶道の「この茶碗の価値は、それが分かる人にしか分からない」と、価値をインフレにしていったオタク消費と同じだ。

そうしたコミュニケーション消費は日本のガラケー時代から顕著で、昨今のスタンプは、着メロ/待ち受け/ストラップ/絵文字の延長線上にある。似たようなスタンプがいくつもある中から微妙な違いを共有して、「あれ、いいよな」「あ、お前も分かる?」という、阿吽の呼吸を楽しみ、隙間を楽しむための消費なのだ。


なんだか、この文化を認めることに、いまだにすごく抵抗があるんですよ。イメージ

「些細な違いを理解しあえる関係を楽しむ」と言えばとても微笑ましいものに聞こえるけれど、私の中ではなぜか一足飛んでしまい「些細な違いを分からない人を排除する文化」という文脈に頭の中でつながっていくのです。

同じであれ、という同調圧力だったり。

分かるようにならなきゃ、という自己抑制的なものだったり。

知識自慢大会やウンチク語り合戦につながっていったり。

分かってもらえないだろうから、と臆病すぎるほどの抑止力を働かせてしまったり。

なんというか、それが真実なのかもしれないけど、それを認めるのは…

やっぱりなんか嫌だ。

ともあれ、ここの数日の周囲の反応を見ていると、やっぱり著者の言うとおりなんだろうなと思わざるを得ません。

Facebookスタンプがコメント欄でも使用可能に--日本が世界初(CNET Japan)』

なぜ「日本が世界初」なのか。これはやっぱり日本が一番「スタンプが金になりそうな国だから」ってことですよね。

私が大好きなアーティスト、井上涼さんも、不気味な絵文字が二人をつなぐ曲『ツタンカーmail』を今リリースしてきているし…。

いろんな意味で、コミュニケーションツールとしてのスタンプの便利さは、やっぱり無視できないんだろうな。


ここまで、ハイコンテクストとスタンプに対するネガティブな自分の意見ばかりを書いてきました。

これ、このままじゃこの本のすばらしさが伝わらないですね。最後に、とりわけ私にとって響いたところを引用させていただき終わろうと思います。

■インターネットの最大の特徴は、空間(距離)的、時間的な制約なしに世界中を結ぶ、ということ

情報が共有されることで「場所による価値の差」そのものがなくなってしまうのです。まったくなくなることはないかもしれませんが、 それはとても小さなものになってしまう。となるとつまり「場所による価値の違いを金に換える」というビジネスモデルが成立しにくくなってしまう。

■インターネットのビジネスというのは「ユーザを安く仕入れて高く売る」

インターネット以前のビジネスは「モノを安く仕入れて高く売る」ものでしたが、インターネットのビジネスというのは「ユーザを安く仕入れて高く売る」もの

(…)世界中に散在しているユーザを一か所に集めて、そのユーザを金を出しても欲しいと思っている企業や人と結びつける、マッチングするのが、インターネットのビジネスなのです。

■情報発信のインセンティブ

低いとはいえコストをかけてまで発信するのは、発信することにメリット、インセンティブがなければなりません。逆に言うとメリットがなければ発信しないし、もし発信しないことにメリットがあるのなら、やはり発信しないのです。

(…)インターネットの存在によって、情報を隠しておくことのメリットがなくなってしまったのです。いくら私が隠しておいても、京都でバスが余っている、東南アジアでバスを欲しがっているという情報は、誰かの手によって発信されてしまいます。

(…)現在では、隠しておくことのメリット、発信しないメリットは劇的に小さくなり、むしろ隠しておくことのデメリット、発信しないことによるデメリットが大きくなりました。

■リアクティブな受信技術

どうでもいい情報を苦にしないこと、どうでもいいものとして右から左へ受け流すことは非常に重要

(…) 役に立つかどうかは知らないけれど、とりあえず情報を垂れ流していても怒られない、迷惑じゃないということになると、発信者も心置きなく垂れ流せるわけで す。 変な抑止力が働いて、出てきた方がいい情報が隠れてしまうのはつまらない。しかし、怒られないとなると、まあ出しちゃえということになる。発信力が強まるわけです。情報が情報としてあるために、このリアクティブな受信技術は不可欠なのです。

『ITビジネスの原理』に書かれていることは、ネットビジネスやインターネットへの関わりとは関係なく、今後多くの人の生活に関係してくることだと思います。

まだ読んでないよ、という方には強くオススメします。

Happy Collaboration!