Collaboration Energizer | #混ぜなきゃ危険 | 八木橋パチ

コラボレーション・エナジャイザーとは、コラボレーションの場を作り、場のエネルギーを高め、何かが生みだされることを支援する人

苦手とか嫌いとかじゃなくて「あまり得意じゃない」だけじゃん?

「集団行動が苦手」という人は少なくないだろう。

「集団って一体何人以上?」とか、そういう細かいところはともかく、程度の差を別にすれば「集団に自分をフィットさせるのが苦痛だ」とか「どうしても居心地の悪さがいつまでも残る」という人はむしろ多数派かもしれない(違うかな?)。

でも、それにしては、苦手な「集団行動」に絡め取られてしまっている人が多くはないだろうか? 

 

…と、こう書きだしたけれど、ちょっと我ながら大袈裟な気もする。

別にそんなに大上段に集団行動を糾弾したいわけではないのだ。ただ、ちょっとした発見の話を書こうと思ったのに過ぎない。

要するに、おれは「集団行動が苦手」で、でもそれに対してそれなりに理由や向き合い方みたいなものを持っていて、今、それを披露したくなっているというだけのことに過ぎないのだから。

あなたは集団行動が苦手ですか?

 

それに対して、有効な手段…要するに自分を鎮め、周囲をくさしたり煽ったりせずに穏やかなまま過ごす方法をお持ちですか?

 

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「集団でいると、なじめない自分をちょくちょく感じさせられる」 -- よく聞く話です。でも、細かくつっこめば、「感じさせて」など誰もいません。自分が勝手に感じているだけで、それを「感じさせられている」と言っているだけです。

「なんだかフィーリングが合わない」とか「ノリについていけない」とかも同じです。
自分が自身に対してセットしているフレームとの差異を、合わないとかついていけないとかの表現で表しているに過ぎない。

ちょっと違う言い方をすれば、ノラない自分や合わないフィーリングを自然と受け止めることさえできれば、集団に対して気持ちをささくれ立たせることもなく、ただ単に「ああ、違うな」という感覚を持つだけの話なのだ。

力をかけられているわけではないから「させられる」こともない。ただ「違うな」というだけであって、なじめないと「感じた」自分がそこにいるだけです。

とは言え、なじめないこを実感するのは悲しいことではあるけどね。(でも、だからと言って感じさせ「られた」わけじゃないということは改めて指摘しておきます)。

 

ちょっと違う話かもしれないけれど、僕らには反応を期待し過ぎてしまうところがあって、それゆえに「反応が起きやすい言葉」をつい選択してしまいがちなのかもしれない。

「集団が苦手だ。…好きじゃない」って。

 

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「苦手」も「好きじゃない」も、別に本当はなんてことない言葉で、別に「強い」言葉ではない。

ただ、これがそこに意識を置き取り組んでいる人や、状況に意識を強く向けている人にとっては、強い言葉に聞こえるのだ。

特に、「コミュニティー・ビルディング」を、「ネガティブなものが出てこないこと」で測る人にとっては、自分にとってムードを測る言葉や態度を超えたものを出してくる人は「テロリスト」のようなものなのだ。(言い過ぎか??)

 

それでは一体どうすればいいのだろう? おれもはっきりとは分からない。

でも、最近は自分なりのやり方が確立できてきている気がしています。かなりシンプルなので、真似しやすいものなのじゃないかな。

集団行動にどこか同調圧力的なものを感じる人には、ぜひこの方法も試してみて欲しい。

嫌いとか苦手という言葉の代わりに「あまり得意じゃない」と言う。

 

集団の「中の人」にニュートラルに伝えるには、「好き嫌い」の話ではなく「得手不得手」の話で伝えようとするのがいいんじゃないかな。

嫌いなんじゃなくて不得手。苦手なんじゃなくて不得意。それを、相手が受け取りやすいタイミングと雰囲気で伝えるってこと。

 

言葉で書くと、あまりに「まっとう」過ぎて抵抗すら感じるのだが、人というものは…いや、あなたやおれは、他人に気を遣い過ぎて自分に気を遣わな過ぎになってはいないだろうか? (なお、ここで急いで書き加えるけれど、おれは、人は他人に気を遣った方がいいと思っています。ただし適度なレベルで。)

人は、他人に遣うのと同じくらい、自分にも気を遣った方がいいと強く思っています

自分も同じくらい大切にしてあげる。

今風に言えば、誰一人取り残さないようにするには、自分自身も取り残してはいけないってことじゃないかな。

すっごくシンプル。周囲に気を遣うときは、同じレベルで自分自身にも気を遣ってあげればいい。

 

この辺りの「相手に合わせ過ぎない」という感覚 -- 「自分を大事にする」と「周囲を大事にする」のバランスが絶妙なのが、デンマークの人たちじゃないかな?

個人それぞれが、自分の「好き」に妥協せず追求する。それがぶつかって何か面倒につながってしまいそうとなったときには、キチンと相手と向かい合って解決策を話し合う。

…実際のところ、その話し合いが「解決」に至らないことも多い。でも、それでいいのだ。

それぞれの考えをちゃんと伝え・共有することによって、納得してもらうことはできなくても、理解はできるし、理解してもらおうという姿勢やプロセスが伝えるものがそこにはある。

その姿勢が、「この人は私に対して、そんなに酷いことはしないはず」という信頼を生み出すのだ。

 

想像以上に、ながーい文章になってしまった。

でも、どうしても今日のうちに言語化しておきたくなっちゃって、それがとりあえずはできたので嬉しいな。

実はまだまだ伝えたいことが自分の中から湧き上がっているのだけど、まあ急がずにゆっくりやっていこっと。

Happy Collaboration!