WORK MILLに「八木橋パチの #混ぜなきゃ危険」というエッセイを書いています。5月からスタートして半年で9回なので月に1.5本ペースですね。
どんな内容だったか、書き終えると自分でもちょっと忘れてしまうところもあったりするので、改めてここ3回分を振り返ってみようと思います。
「ねえねえ、聞いて聞いて! 僕、今日ね…」
最近、こんなふうに(いや、言い方はどんなふうでもいいんですが)自分のことを語ったのっていつですか? その回数、すっかり減っていませんか?
<この連載をはじめるとき、「自分が強く伝えたいものってなんだろう? その中でも、伝える価値が高いものってなんだろう?」と、私なりに結構深く考えました。>
-- 自分が、これを忘れることのないように書いておきたい。そう思って書いたエッセイです。そして今後、どんなことを書いていくかの予告にもなっています。
「どこかで聞いた、誰かが言ってた正解」を伝えるのではなく、自分の体験、気持ち、出来事を自分で語る。それは、あってるあってないではなく、絶対的に自分だけにしかできない話です。
おれは、そういうものがもっと社会にいっぱいあって欲しいんです。コピペみたいな話が溢れかえる社会ではなく。
もうちょっと丁寧に、自分の体験や見聞きしたことを受け止めてみる。それが、自分にとってどんな意味があるのか、あるいはないのかをあーでもないこーでもないと考えてみる。そこで浮かんできたひらめきや思いつきを蔑ろにせず、追いかけてみる。
そんな経験や時間が大切だとも思うんだよね。
「ワーホリって、行ける国3カ国しかなかったんですか!?」とめっちゃビックリされた方も何人かいらっしゃいました。若者よ、そうなのだよ。あ〜今のU30がうらやましい!
実は3年前、デンマーク大使館に「ワーホリが30歳以下限定って、公平公正を重んじるデンマークには相応しくないとは思いませんか? 私のような、新しい働きかたや生き方にオープンスタンスで向き合おうという人間には、例外的にワーホリvisaを発給してもいいとは思われませんか?」というメールを2回送ったんだけど、完全にスルーされました…。
そのときは「やっぱ無理かー」って諦めたんだけど、今度改めて直談判しに行ってみようかしら?
…と、その話はさておき。この回では、おれが一番「今の自分のルーツ」になっている話かなぁと思うものを書いてみました。ただ、もしかしたら一部「記憶補正装置」が働いている可能性はあります(でも、大きな誤りはないはずです)。
ああ、ほんと懐かしいなニュージーランド、クライストチャーチでの日々。家族とカミさん以外のフラットメイト(2LDKの広めのフラット(アパートのことをニュージーランドではフラットと呼びます))と暮らしたのも、短い期間だったけど外国人(シンガポーリアンのデイビット)と一緒に働いたのも、どちらも初めての経験でたくさんの学びがありました。
あれほどたくさんの「初体験」が詰まった日々は、もう起きないかもなぁ…。
でも、あそこまでたくさんじゃなくても、またどこかのタイミングで海外暮らしは絶対しなくっちゃね。ポーランドかチェコあたり…?
自分が自分を応援しなくて、一体誰が応援してくれるっていうの?
自分が自分を愛せなくって、最後の最後に何にすがれるっていうんだ?
-- これは何年か前からずっと思っていたこと。
人生で「恐怖や不安にどう立ち向かうのか?」を考えたとき、何か頼れるものが欲しいと思うのは自然なことだと思うし、おそらくみんな同じようなものなんだと思う。
自分に常に一番身近で、一番信用できるもの…こう考えていくと、やっぱりそこに在るのは「自分」しかないと思うんだよね。
金なんて、いくら持っていようが、失う心配や紙切れに変わってしまうことへの心配が無くなることはないし。どれほど愛して大切にしている人だって、その人の気持ちをコントロールすることはできない。
自分が最も変えられるもので、信じられるものって、やっぱり自分しかないと思うんだよね。
…ここからは、エッセイに書いた通り。「じゃあ、どうすればこんなロクでもないおれを好きになれるんだろう?」といろいろ探したり試したり。
辿り着いたのが、少し時間がかかるだろうけど、今からは「自分が好きな人がするであろう選択を自分が取っていく」ということでした。
それが、おれの場合はたいてい「どちらが人が選ばない方か」「どちらがよりおもしろがれそうか」という選択基準と一致するものとなりました。
いつか、この選択肢が変わる日が来るのかな?
ということで、年内にあと2,3本は書こうと思っています。
ぜひ、フィードバックをよろしくお願いします。
Happy Collaboration!