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『「わかりあえない」を越える』読書メモ

翻訳者の1人、今井さんから献本いただきました。ありがとうございます! 

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わかりあえない」を越える――目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC

 

ここ数年、各所でいろんな文脈から話題になっている「NVC」(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)。

おれは、2018年に今井さんからその存在を教えてもらい、ちょうどその時期ハワイから来日していたNVCレクチャラーの「合気道NVCを学ぶ」(正式タイトル忘れました)ワークショップに参加して、それから『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』という本を読みました。

それ以来「もう少し理解を深めたいなぁ」とずっと思っていたので、今回は本を頂き、すぐに読みはじめました。

そんな、NVC初中級者(?)であるおれの『「わかりあえない」を越える』の読書メモをシェアしますね。

 

ただし! この本に対してはこれからたくさんの書評が出まわることでしょう。そして、そのほとんどは賞賛に溢れたものとなるでしょう、きっと。

おれも強く推奨します。すでに、数人の友だちには「読んだ方がいいよ」と勧めています。

でも、ここでは、案外読み飛ばされてしまうのではないか? 特にNVCを「救い」としてだけ捉えたい人にとっては、「あれ、今なんかザラっとしなかった?」と言われなければ見過ごしてしまいそうなところを意識的にピックアップしています。

それは、おれにとってそこが気になった部分だから。おれにとって、NVCが大切な手法だと感じた部分だからです。

 

…と言うわけで、おれにとってのこの本の最大のメッセージと、おれにとってこの本からの最大の学びをシェアしてから読書メモに入りましょう。

 

最大の学び

「表面的な言葉や態度で判断したり、それを批評することに意識を向けるのではなく、相手の本当のニーズに耳を傾けよう。」

…そしてそれだけじゃなく、自分が受け取った相手のニーズを、しっかり相手に確認しよう。そして相手のニーズに耳を澄ませるだけではなく、自分の本当のニーズにも耳を傾けよう。そして自分に対しても確認しよう。

 


 

■ まえがき(デヴィッド・A・ハート | 紛争解決協会(ACR)CEO)

対立や紛争は人生の自然で健全な一部であると認識しています。

わたしたちは決して対立や紛争を根絶しようとはしません。なぜなら、対立や紛争は個人や社会を成長させるものだと信じているからです。対立を根絶するのではなく、わたしたちが追求しているのは、もっと効果的な対立への向き合い方です。

<対立や紛争は個人や社会を成長させるもの> -- 著者ではなく賛同者の声ではありますが、この言葉にグッと期待が高まりました。

「対立はない方が良いもの」あるいは「ないに越したことはない」という意見を耳にする機会が、ここしばらく増えている感じがあって、自分的にはしっくりきていませんでした。摩擦があるから熱が発生する。そして熱がなければ、物事は進化していかないと思うのです。

 

■ 1万年前、人類は「善人が悪人を成敗すること」という善き生き方の神話を生み出した

その神話が、専制的な体制、つまり、王や君主を自称する人々による支配に甘んじて生きることを助長してきた(…)そして人類は、報酬と懲罰の両方が正当化されることをほのめかしながら互いを決めつける、という思考法を発展させました。「ある人が報酬や懲罰を受けるに値する」という考え方を強化するような、「報復的」正義にもとづく司法制度を作り出したのです。

これは「NVCに興味を持っている」人にとって、結構意見が分かれるところかもしれません。そして「本をわかりやすく説明して、手に取ってもらいやすくする」という狙いのもとに文章を書くのであれば、ここには触れない人が多そうな気がします。

ただ、おれにとっては、この神話に対する批判とそれに対するカウンターこそが、NVCの真髄なのではないか? という気がしています。なので、これについてはここでも触れておきたいです。

 

■ 絶望のワーク | ギャングに対して感じている苦痛と向き合い、「敵」というイメージを変容させる

どのようなレベルの社会の変化を目指しても -- たとえ相手が政府や多国籍企業のような巨大ギャングであっても -- 基本的に勢いと数の問題である、ということです。ギャング内の十分な数の人がものの見方を根本から変えて、「人間としてのニーズを満たすうえで、ギャング的な行動よりもっと効果の高い方法があるのだ」と理解したとき、変化が起こるのです。

これも掴みづらいところかな、という気もします。「ギャングってなんのこと?」って思いますよね?

この本で言うところの「ギャング」は、私たちがイメージする肉体的なバイオレンスで街を我が物顔で闊歩する半グレ集団やチーマー的なものではありません。「人々の好まない行動をする集団」を指していて、その代表例として挙げられているのは「多国籍企業」や「政府」です。

「えっ!?」っとなる方も多いですよね。でも、そうなのです。著者は政府や多国籍企業を「人々の好まない行動をする集団」であると書いています。

 

これを読んで、おれはNVCの「非暴力コミュニケーション」という言葉の持つ、どこか「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」というキリスト教的な、あるいはガンジーの「非暴力不服従運動」的な、よく言えば「ピュア」悪く言えば「キレイごと感」に対する違和感がかなり晴れました。

 

非暴力とアナーキズム。スピリチュアルとパンク。日常と世界情勢。

こうした、多くの人が距離を感じているであろうものを、同じ地平線に並べる。なんならすぐ真隣にくっつける。この感覚は身の回りにあまりないものじゃないでしょうか。

ここにも、NVCのスゴさの一端が現れているような気がします。

 

■ 「よくやった」「優秀だ」と褒めることは、「愚かだ」「自己中心的だ」と言うのと同じ型

「あなたはよくやった」と褒めたり、「あなたは優しい人だ/優秀な人だ」と称賛したりすることも、やはり道徳的な判断や決めつけだと言えるでしょう(…)称賛や褒めるために評価するような言葉は、「あなたは不親切だ/愚かだ/自己中心的だ」と言うときと同じ型なのです(…)つまりある種の操作であり、人に何かをさせるひとつの手段なのです。

 


 

実は数日前、民主主義ゆるユニットによるトーク番組「ぱちはらダイアログ」のゲストに、翻訳者の1人である今井さんに来ていただき、「NVC x民主主義」をテーマにお話しさせてもらいました。

その際、せっかくの機会ということで、いくつか本を読んだ後に引っかかっている疑問をぶつけさせてもらいました。

ここで、その中の1つを。

 

NVCというのは、その手法と考えのすべてを受け入れて実践しなければいけないものなのでしょうか? 『今の自分にちょうどいい/都合いい』部分だけを抜き出して活用するようなやり方ではダメなのでしょうか?」

 

今井さんの回答は…気になる方は、下記のYoutubeにてご確認ください。


www.youtube.com

 

それにしても「評価・診断・決めつけ」をせずに、相手や事態を受け止めるっていうのは本当に難しいですね。この難しさを完全に打破することは無理なような気も。

おれは、「打破できたかも?」って感じられる回数が今よりも増えれば、それでいいのかなって気がしています。そして「Power」とはなんなのか。じっくり考え続けよっと。

 

What you say next will change your world, and our world.

Happy Collaboration!