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健康と安全 - マインドフルネス4ヶ月目レポート

 

マインドフルネスの瞑想トレーニングを始めておよそ4ヶ月。ほぼ毎日10分、続けています。

さすがに4ヶ月も続いているっていうことは、私の中では「これは効果がある、続ける意義がある」と思っているからなのですが、その効果や意義が何かと聞かれると、説明が難しいんですよね…。そもそも、強く解決したい何かがあって始めた訳でもないんで。

 

というわけで、何か、分かりやすいドラスティックな変化は起きていません。

ただそれでも、日常の中でネガティブな感情を持つ時間が短くなっていったり、迷いみたいなものが減ったりはしていそうな気がしています。

言ってみれば、じわーっとだけれどほんの少し、「在りたい自分」に近づけているような感覚があります。

 

そして4ヶ月続けていると、瞑想トレーニングそのもののやり方や捉え方も、最初の頃とかなり変わってきました。

きっとこれからも変わっていくのでしょうが、後から振り返られるように今回はその変化について、2点書いておこうと思います。

(2ヶ月経過時点で書いたのはこちら:『マインドフルネスって厄介だけど大切だと思う』)

 

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■ 呼吸に執着しない

マインドフルネスの本やウェブページを見ると、やっぱり呼吸に意識を置くことが基本中の基本とされていますよね。実際そうなのでしょう。

ただそのせいで、「集中しなくては。呼吸に集中しなくては!」となり過ぎてたかな、と。特に最初の2ヶ月くらい。

基本に忠実に実施することで、基本に忠実な分かりやすい結果が手に入れられるに違いない、と思い込んでいたのかも。

 

でも今では、「なんか今日は呼吸に集中できないな」と感じたらとっとと諦め、脈拍や音など、違うものに意識を集中するようにしています。

集中力を意識的に出し入れできるようにすることが目的であって、呼吸というのは確かに適したもの(どこにいても誰にとってもものすごく身近なものだから)だけど、それに執われる必要はないんだろうってことがなんとなく分かってきたから。

 

「マインドフルネスは心の筋トレ」というのもよく目にする表現ですが、本当にそんな感じがします。ただ、「ダンベルで上腕二頭筋を鍛える」イメージではなくて、自重を使って体幹を鍛えるイメージです。

 

■ 幸せと健康と安全と平和に集中する

May I be happy. May I be healthy. May I be safe. May I be at peace….

私が幸せでありますように。私が健康でありますように。私が安全でありますように。私が平和でありますように。。。

「Loving-Kindness Meditation」(「慈悲の瞑想」って言うんですかね?)というのが私のお気に入りの瞑想トレーニングです。

 

呼吸や他の何かに意識を集中して、少し心が落ち着いたところで、幸せ、健康、安全、平和に意識を集中しています。

ここでいう「幸せ、健康、安全、平和」は、私なりに捉えている「幸せ、健康、安全、平和」なので、ひょっとしたらみんなとはちょっと違うものかもしれません。

特に、健康と安全については、トレーニングをしていく中で、いろいろ考えが深まってきている部分もあります。

 

■ 健康とは

身体の健康も含んでいて良いのですが、私が心の中でイメージしているのはマインドとしての健康、精神の健康さです。

「持病」みたいなものは実は誰しも心にも体にも持っているんじゃないかと思っていて、それは別に気にすることはないでしょう。ただ、持病を発端に別の病につながったりもするので…。

 

人の幸福を目障りに感じたり疎ましく感じたり。

物事の良い面よりも悪い面ばかりに意識が向いたり。

悪い方へ悪い方へと想像力がネガティブな渦へ飲み込まれだり。

 

こういう状態や要素が強く出てきていたら、ちょっと健康じゃない部分が強くなってきているのかな? と自分で気づけることが大切かなと。

私はかなり打たれ強いタイプだと自覚していますが、そんな私でも打たれる場所やタイミングでは足がもつれるし、打たれた後には十分なリカバリーが必要なんだってことが、最近になってようやくわかってきた感じです。

 

身体の症状と違って心や精神って案外自分ではダメージに気付きずらかったりもするので、ちょっと敏感過ぎるくらいでもいいのかなって思います。

 

■ 安全とは

天変地異が起きないようにとか交通事故に遭わないようにとか宇宙人に拐われないようにっていう安全も含んでいて良いのですが、私が心の中でイメージしているのは意識としての安全です。

「自分の内側から出てくるものをどう捉えるか」が健康だったのに対して、「外部からやってくるものをどう捉えるか」が安全だと捉えています。

 

自分ではどうすることもできない何かが起きたときでも、それをどう受け止めてどう応対するかは自分次第なわけで、その出来事をきちんと受け止められるのが安全ということじゃないかと考えています。

 

突然、愛している人が目の前からいなくなったら…

突然、会社や組織からクビを言い渡されたら…

突然、飛んできたゴキブリが腕に止まったら…

 

怖いものを怖いと認める。でもそれの本当に怖い部分がなんなのかを見つめる。

それができれば、「それでもどうにかなる」と自分を信頼できるようになっていくのかな、と。それが安全というものなのかなって感じています。

 

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ちなみにこの「Loving-Kindness Meditation」という瞑想、いくつかバリエーションがあるようですが、私の場合は「May I be happy | 私が幸せでありますように」の後、「May you be happy.  May you be healthy. May you be safe. May you be at peace… | 私の好きなあなたが幸せでありますように。健康で… 安全で… 平和でありますように」と続き、「May you be happy…. | 私の苦手なあなたが幸せでありますように….」へと、そして最後に「May all beings be happy…. | 私のかかわるすべての人が幸せでありますように….」へと続いていきます。

 

こうして、私は毎日、みんなの幸福と健康と安全と平和を願ってます。 — こう書くのは正直かなり恥ずかしいのですが、でも本当なのです。

そして、この行為自体が私に充足感を与えてくれて、毎日マインドフルネスの瞑想トレーニングを続けたいという気にさせてくれるものになってます。

 

May we be happy and at peace. Happy Collaboration!