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ダイバーシティーが育たない本質はそういうことなんじゃないかな

 

ダイバーシティーに関するとてもすてきなブログを読みました。

ダイバーシティの本質はそういうことじゃないんじゃないかな

ネット上でも話題になっていたので、ダイバーシティーや職場環境などのテーマに興味を持っている人の中には、読んだ人も多いんじゃないでしょうか。

縁あって、どうやらこんど筆者の牛尾さんとお話しできる機会がありそうです。やった!

でもその前に、まずは自分の感想や問題意識を書き出しておこうと思います。

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■ 「日本人の美徳」 - 材料はなんでもOK。圧力鍋で簡単クッキング!

「これぐらいはやって当然だろう」という暗黙の話などもありません。おもんばかるに近いのですが日本人の「相手を優先し思いやる」という感覚はある意味美しいのですが、仕事においては鏡の法則が発動され、「これぐらいやってくれて当然」という空気を作ってしまうこともよくありま す。そういう変な「深読み」は必要ありませんのでシンプルです。

(『ダイバーシティの本質はそういうことじゃないんじゃないかな』より)

 

勤勉性だとか時間に几帳面なところ、それから「おもてなし」や「阿吽の呼吸」などは、一般に日本人の美徳として、日本の善を表すものとして広く知られています。

でも、これらの善や美が現在の形に育ってきた背景には、日本社会の長年の「均一性信仰」と、同調圧力の高さがあるんじゃないでしょうか。

  • 大きく異なる文化や相容れない習慣に直面する機会が少ないため、人々の考え方や行動様式がどんどんと似通っていく。
  • たまに異質な行動や意見が出てきても「周囲と同調して、目上の人に言われた通りに従えるのが美徳」と子どもの頃から周囲の大人や教師に教え込まれる。
  • 個性よりも均一性が重視される中で、「お約束」の思考・行動パターンが良しとされ、さらに均一性と同調圧力が高まっていく……。

なんだか、あらゆる素材を一からげに高温圧力釜に放り込んで、柔らかくなったらしょう油振りかけてハイ出来上がり! なんて感じの絵が頭に浮かびます。

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本当に、日本人が美徳としている「勤勉性」や「おもてなし」は、それほどすばらしいものなんでしょうか。

多くの人が誇り、大切にしている日本的「善」って、ひょっとしたら均一性や単調さをデフォルメして具現化しただけのものに成り下がっていたり…しませんかね?

勤勉性の裏の「相互呪縛」や、おもてなしに潜む「過剰期待」が、勤続疲労でメリットよりもデメリットをもたらしていないかを構造チェックするときなのかも。

 

■ あかあおきいろ、まるしかくさんかく - 自分の「無意識」を疑う

「すべての事が多様で違いがある事が当然」と考えることが重要だと思います。すべての人が、世界のコミュニティの「一部」にすぎず、マジョリティなどいません。 それは国籍の違い、人種、性別の違いだけではありません。人間は、すべての要素が違っていて当然という前提で考える事がダイバーシティのポイントじゃないでしょうか?

 

(『ダイバーシティの本質はそういうことじゃないんじゃないかな』より)

先月、こんなブログ記事を書きました。 多様性あれこれ(イノベーションと礼拝とフォルトライン理論)

この記事では「ダイバーシティーってめんどくさいし最初は非効率です。そこをちゃんと意識し覚悟した上でチャレンジしましょうよ」と書いています。

中途半端な意識でスタートして「大変なばっかりで、ダイバーシティーなんて本当に意味があるのか!」と誤解したまま途中で投げ出されてしまうくらいなら、手をつけずにいられた方がマシなんじゃないかという気がしたからです。

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でも、やっぱり本当は、牛尾さんが書かれているようにダイバーシティーってすごく楽しいし、多くの人に生きやすさを与えてくれるものだと思っています。

単 一の集団と思い込んでいる人々も、本来は、伝わったと思っても、本当は伝わっていないのではないでしょうか?それは難しいことなのではないでしょうか? だから、ダイバーシティの環境でそれが崩れることで、本来の「効率的なコミュニケーション」について必死で考えて実践するから、生産性が向上するのではな いでしょうか?

(『ダイバーシティの本質はそういうことじゃないんじゃないかな』より)

 

あかあおきいろ、まるさんかくしかく。

パッと見て分かる違いを「いろいろあってすばらしい」と捉えるだけじゃなくて、一見同じ色や形に見えても、その中のそれぞれの違いを見分け聞き分け感じ分けられて、その違いを楽しめるようになることが大切なんだと私も思います。

先入観に囚われたコミュニケーションから一歩踏み出してみませんか?

まず、「普通はこう考えるだろう。こう行動するだろう」という自分の「無意識の予測」に疑問を持つことからスタートしてみませんか?

自分の意思や考えを「みんなとは違いそうだから…」と発せず飲み込んでしまうことをよしとぜず、「こういう意見もあるよ」「こう考えることもできないだろうか?」と伝えていくことで、みんなが住みやすい社会に近づいていくんじゃないかなって思っています。

そしてなにより、自分がそんな社会に住みたいのです。

Happy Collaboration!