スコットランド70日間滞在記番外編 | 仕事に対する価値観の変化
「仕事とは、自分や家族が生活するための金を得るものである。」
「仕事とは、自分の能力や興味、生き様を表現するものである。」
——仕事をしている人もしていない人も、おそらくは上の2つの文章のどちらにも「一定の真実がある」と思われるのではないでしょうか。
こうした、「自分は何のために仕事をするのか」という仕事に対する価値観(職業価値: work value)を、ドナルド・E・スーパーさんという著名な研究者が14の労働価値にまとめています。
少々長いリストですが、1つずつ見てみましょう。
自律性 |
命令や束縛を受けず、自分のチカラだけでやっていけること |
ライフスタイル |
自分の望むような生活を送れること |
環境 |
仕事や活動環境が心地よいこと |
能力の活用 |
自分のスキルや知識を発揮できること |
社会的評価 |
社会に広く成果を認めてもらえること |
愛他性 |
人の役に立てること |
達成 |
良い結果が生まれたという実感を得られること |
創造性 |
新しいものや考えを創りだしたり、デザインできること |
美的追求 |
美しいものを見出し、または創り出すことができること |
経済的報酬 |
たくさんの金銭・物質を稼ぎ、高水準の生活を送れること |
冒険性 |
わくわくするような、あるいはスリリングな体験ができること |
多様性 |
多様な活動ができること |
社会的交流性 |
いろいろな人と接点を持ちながら仕事ができること |
身体的活動 |
身体を動かす機会を持てること |
ピンとくるもの、こないもの、あったんじゃないでしょうか。でも「この中から重要なものを1つだけ選べ」と言われたら、きっと、かなり迷うのでは?
というか、1つだけ選ぶなんて無理ですよね。
おれは以前、大学や会社で何度かこの14個を「総当たり戦」にして、勝ち星が多い順に並べ、周囲の人と見せ合い、対話をするワークショップをやったことがあります。
皆さんもぜひ、この総当たり戦を行ない、自分にとって重要な順番に労働価値を並べてみてください。(ちなみに、総当たり戦の試合数の計算式は「N(N-1)÷2」です。14の場合は14×13÷2で91試合ですね)。
なお、この順位には正解があるわけでも、優劣があるわけではありません。さあ、紙とペンを用意して。早速やってください。
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自 |
ラ |
環 |
能 |
評 |
愛 |
達 |
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美 |
経 |
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………
…………
終わりましたか? じゃあ、おれの順番と比べてみましょうよ。
最初に表示した「自律性」から始まる順番が、おれの総当たり戦の結果順、仕事の価値観順位です。あなたの順番と似ていますか? それとも全然違います?
これまでも年に一度くらいのペースで自分の職業価値の変化をチェックしていたのですが、今年は順位の変動が久しぶりに大きかったです(こちらの『もっと働きやすい会社を選びたいなら | 八木橋パチの #混ぜなきゃ危険』で昨年の結果をご覧いただけます)。
2つ以上順位を上げたものがこちら:
・ ライフスタイル: 自分の望むような生活を送れること
・ 経済的報酬 : たくさんの金銭・物質を稼ぎ、高水準の生活を送れること
2つ以上順位を下げたものがこちら:
・ 愛他性: 人の役に立てること
・ 社会的交流性: いろいろな人と接点を持ちながら仕事ができること
こうして変動したものを見ると、自分でも「エディンバラ暮らしの間に受けた精神的な影響が大きく作用しているからだろう」と思います。とりわけ順位を上げた次の2つには、こうした理由があるのでしょうね。
ライフスタイル: 自分の望むような生活を送れること
——20数年ぶりの海外生活を通じて、自分が「自分らしくいられるライフスタイル」に強いこだわりを持っていることを再発見しました。
経済的報酬: たくさんの金銭・物質を稼ぎ、高水準の生活を送れること
——エディンバラ生活の間、仕事上で価値を発揮できないことに対して感じた不安の一つが「このままでは職を失うのではないか?」というものでした。以前よりも、経済的報酬や職業的安定の重要さを感じるようになったんだと思います。
なお、順位を下げた「愛他性」と「社会的交流性」も、その理由は見当がついています。どちらも、ボランティア活動などを通じてその価値観を満たすことができるので、「仕事を通じてじゃなくても構わない」という意識が高まったのがその理由でしょう。
「自分が大切にしている価値観はxxxxだ」と強く確信を持っている人も、逆に「そんな価値観だのこだわりだの、別にないよ」と思っている人も、実はそれって環境にとても強く左右されているんじゃないでしょうか。
そしてそれは決して悪いことではなく、人はそれだけ状況への順応性を持っているということであり、学びを通じて自らを変化させる力を持っているということじゃないでしょうか。
スコットランド70日間滞在記その8 | 結論 - 試してみて分かったこと
スコットランド滞在記シリーズも今回で最終回。
「おれは今でも海外生活をしたいと本当に思っているのか?」を確かめた結果と、そこから見えてきた自分の未来についてまとめてみます。
- ■ 結論1 | どこにいても「そのままの自分」で生活できる
- ■ 結論2 | 何者か何者でないかはご自由にどうぞ
- ■ 結論3 | 何者であろうとおれは「表現者」だ
- ■ 結論4 | 得意な文章でまだまだ勝負するために
- ■ 最後に | 試しに行ってよかった
■ 結論1 | どこにいても「そのままの自分」で生活できる
「海外で暮らしたい」というバクッとした「望み」。
それに対して、もっと解像度を上げて、海外暮らしに何を求めているのかをはっきり理解できたことが、今回のエディンバラ暮らしの最大の成果だと思っています。
おれが海外で暮らしたい1番の理由は「そのままの自分」で生きていたいから。
そこでの日々は「自分が何者か」を周囲に示す必要を感じない日常。20代後半で暮らしたクライストチャーチとバンクーバーで、おれはその心地よさを強く感じていました。
だから、海外で暮らせば、心地よく自分らしく暮らせるんじゃないかと思っていたのですが、今回のエディンバラでの2カ月強の暮らしで、自分がその「心地よさ」をどこから感じていたのかを、かなりはっきり理解することができた気がします。
結論を言えば、「どこで暮らしているか」と「そのままの自分でいられる」ことには、直接的な関係がないことがわかったのです。
自分の心持ち次第で、どこにいようともある程度は「そのままの自分」でいられるようになったということ。そして自分らしくいることが与えてくれる心地よさは、どこで暮らしていても変わるものではありませんでした。
■ 結論2 | 何者か何者でないかはご自由にどうぞ
若かりし頃のおれは、周囲に「何者かだと思われなければならない」と思い込んでいて、「自分が何者か」をアピールする機会をいつも無意識に探していた気がします。
そして海外暮らしを体験して、「ここでは何者かだと思われなくてもいいんだ」と感じました。
でも、日本に帰ってくると、また再び「何者か」であると証明しようとした時期が続いていました。
…しかしいつ頃からか、「何者か」であるかどうかは、本当はどちらでもよくなっていたのです。いや、正確には、「何者か」であるかどうかを決めるのは周囲であって、おれが気にすべき問題ではないと、心から思えるようになったのです。
自分自身でいること。何者かであること(ないこと)。何者かだと思われること(思われないこと)。——周囲がおれを「何者か」「何者でもないか」のどちらに捉えようとも、おれはおれでしかない。それが伝わっていようといまいと、それが変わることもないから。
■ 結論3 | 何者であろうとおれは「表現者」だ
「何者か」どうかはともかく、おれは自分を「表現者のひとり」だと心から信じるようになりました。表現者とは、表現の上手い下手ではなく、表現せずにはいられない人間だということ。
言葉を使って思ったことや感じることを表現することが特に好きで得意だけれど、それだけじゃなくて。もっと色や音や動きも使って、湧き上がってくるものをなんらかの形にしたい。表したい。
それがどんな形でであれ、表現しないままにしておくことはできないのです。
(と書くと、なんだかかっこいい感じだけど、それは単なる鼻歌だったり、反抗的な態度だったりします。そして別に、オリジナリティーにこだわる気もないのです。)
こうして、自分の根幹に「表現者」としての自分が強く存在していることをはっきり自己認識できるようになったことは、自分がどこにいようと、何をしていようといまいと、「そのままの自分」でいられることに大きく関係している気がします。
■ 結論4 | 得意な文章でまだまだ勝負するために
昔のおれは「手段は問わず、なんでもいいから海外で生活したい」と思っていました。翻訳だろうが畳職人だろうが、蕎麦屋だろうがドライバーだろうが、海外で暮らせるならなんでも良かった。
でも、今はそう思えなくなりました。表現者であることを生活の中心に据えたいと思っていて、できるなら、得意な取材と文章を生活の糧として暮らしたい。なぜなら、それが、おれが幸福感を味わいながら暮らすための鍵を握っているとわかったから。
そしておれは、圧倒的に英語でよりも日本語での方がいい文章を書けます。いつか、英語でも日本語と同じくらいいい文章を書ける日が来るかもしれないけれど、でもそれよりも、おれは自分の日本語の文章力を磨き、もっともっといいものを書き、表現したいのです。
日本語文章を磨き生きていくのであれば、それは海外ではなく、日本の方が良さそうです。そして生活費という観点からも、これだけ日本円が安くなった世界では、日本円で稼いで海外で暮らすことは厳しいというのが現実です。
■ 最後に | 試しに行ってよかった
ここまでいろいろと並べてきましたが、「海外で生活する」ことの意味は、「そのままの自分」で生活したいおれにとってこの20数年間で大きく変化していました。
今後、もしかしたら、海外で生活することになるかもしれません。でも、もはやおれにとっては、「海外で暮らす」は目的ではなくなりました。
「暮らしてもいいし、暮らさなくてもいい」——たくさんある選択肢のうちの一つでしかなくなりました。
やっぱり、試しに行ってよかった。スッキリ。試さなきゃわからないことばかりだったよ。
スコットランド70日間滞在記その7 | 「レモネード」と「飛行機の中のパイロット」
スコットランド到着後の1週間ですっかり弱ってしまったおれ。でもその理由がわかれば、あとはやるべきことをやるだけです。
・ 必要以上に自信をなくさない。
・ そのためにも自分で物事を決定していく。
・ 自分が決めたことを楽しみながらやっていく。
おれに一時的に不足していた自己有用感と自己効力感、そして自己肯定感を取り戻すために、この3つを意識して着々と行っていきました。
…と書くと、なにか特別なことを始めたのかと思われてしまうかもしれないけれど、実際に行ったことはシンプルな次の4つ。でも、こんなシンプルなことでも、意識して行なうことでかなり大きな違いをもたらしてくれました。
- (雨が降っていない日は)長めのウォーキングをする
- (短くてもいいから)知らない人とも積極的に会話する
- (簡単そうな)料理に挑戦する
- 「弱った自分」を包み隠さず積極的に開示する
ところで、突然ですが皆さんは「エフェクチュエーション」という言葉をご存知ですか?
元々の英単語Effectuationは「達成」や「実行」を意味する英語の名詞。でも日本では数年前から、「優れた起業家の思考プロセスや行動特性。それを体系化した意思決定理論」という、ビジネス用語としてよく知られるようになりました。
でもこのエフェクチュエーションという行動特性、おれにはビジネスにかかわらず、主体的になにかに取り組みたい人にとっては常に役立つものに映ります。そして今回の自分の心境の建て直しも、エフェクチュエーションなアプローチだったのかな、と思うのです。
エフェクチュエーションの特徴である5つの特性を簡単に紹介します(詳しく知りたい人は、ぜひ「エフェクチュエーション」で検索してみてください)。
・「手中の鳥」(Bird in Hand)の原則
今、確実に手中にあるもの(アイデンティティ・知識ベース・社会的ネットワーク)から組み立てる
・「許容可能な損失」(Affordable Loss)の原則
失敗したとしても致命傷にならない、自分にとって許容範囲のリスクをあらかじめ設定して挑戦する
・「クレイジーキルト」(Crazy-Quilt)の原則
関係し得るあらゆる人や組織を「一緒になにを共創することができるだろう?」という視点で捉え、積極的に関わる
・「レモネード」(Lemonade)の原則
予期せぬ事態は絶対に起きることと考え、起きたときにはそれすらもテコとして前向きに活用しようとする
・「飛行機の中のパイロット」(Pilot-in-the-plane)の原則
どのような状況でも常に「コントロール可能なものはなにか」に焦点を合わせ、臨機応変に望ましい未来へと近づこうとする
エディンバラで暮らしていた間、特に自分にとって役立つと感じていたのは、「レモネード」と「飛行機の中のパイロット」でした。
「今、この精神的に弱っている状態のときじゃないと味わえないものを味わおう」という「レモネード」の原則から、自分がここ何年も経験していなかった精神状態に向き合い、それを未来に役立てることにしました。
そして「飛行機の中のパイロット」の原則から、自分の意思だけで続けられるものを見つけて選び、未来の自分にとって役立つ学びや経験を手に入れることに集中しました。
皆さんも、「今、厳しい状況にいるな」と感じたときこそ、ぜひこのエフェクチュエーションを意識してみてはいかがでしょうか。
(とはいえ、いきなりこの行動特性を導入するのもそれほど易しいものでもないので、普段から少しずつ取り入れていくことをオススメします。)
スコットランド70日間滞在記その6 | 有用感と効力感と肯定感
・ 自分の価値を、仕事を通じて発揮できない
→ 他者からのポジティブなフィードバックや評価を受けられない
・ 仕事に身の入らない人間に、給料を貰い続け資格はあるのか
→ そもそもの自分の能力や実力に疑念を持つ
・ 価値を発揮できない自分を受け入れられない
→ 自身の存在そのものに対して疑念を持つ
スコットランド到着後最初の1週間で自分が襲われたのは、この3つの不安だった。
心理学的な言葉で表現すると上からそれぞれこうなるのだと思う。
・ 自己有用感欠乏 | 自分が役に立っている、有用である、と信じる感覚。およびそれを感じる機会の減少から生じる状態
・ 自己効力感欠乏 | 自分の能力とポテンシャル、遂行能力を信じる感覚。およびそれを感じる機会の減少から生じる状態
・ 自己肯定感欠乏 | ありのままの自分の存在を受け入れる感覚。肯定的に自分を捉えられる機会の減少から生じる状態
pachi.hatenablog.com
前回、エディンバラ到着後わずか1週間でこの3つが自分に起こった原因を、「日本語でのフィードバック不足」「英語力不足」「慣れない居候暮らし」だと書いた。
今回、そこをもう少し深掘りしてみようと思う。もしまたいつか、同じようなことが起きたときに、教訓として活かせるように。
■ 自己有用感欠乏 | このままじゃきっと「お役御免」だ…
こう見えても、おれは「大丈夫。おれの仕事や活動に価値や意味を見出してくれている人がいる。今のおれには居場所がある」と感じられる機会がないと、不安になりがちなタイプなのだ。
そんなふうに「自分は価値を発揮できている」と感じたがる部分は、仕事以外にも及んでいて。日本では毎週数時間、おれは海外にルーツを持つ子どもの勉強のお手伝いをボランティアとして行っている。
でも、時差の関係もあり、エディンバラで暮らしている間はその活動を停止していた。
その結果、おれは「自分は会社に対しても、社会に対しても、意義や価値のある活動ができている」と実感できる時間を失くしてしまっていた。子どもたちやボランティア仲間から感謝して貰えるという「ご褒美」を、手に入れられなかったのだ。
今思えば、どうして短期間でも短時間でもOKのボランティアを現地で探そうとしなかったのだろう。
■ 自己効力感欠乏 | 英語力不足で臆病に
前回書いたように、自分の英語力不足を正しく把握できていなかったことがもたらしたものは小さくなかった。
そしてここ数年、仕事で使う英語は「間違っても、気づいたらすぐにその場で誤りを修正できる」通訳などのリアルタイム性の高い仕事よりも、翻訳などじっくり一つひとつの言葉に取り組む仕事の方が多かった。
さらに、スコットランド英語特有の発音や言い回し…。自分の耳がニュースなどで聞く「きれいな発音のきれいな言い回し」にすっかり慣れきってしまっていることを実感させられた。
英語に対する自信のなさが、おれを臆病にしていきました。今思えば本当に大失敗だ。
もっとちゃんとチャレンジして、もっとちゃんと失敗すればよかったのにおれ。
■ 自己肯定感欠乏 | 自己否定感は打ち消せたけれど
誰かの家で暮らしていると、どうしてもその誰かに合わせなければいけない。
仲の良い姪っ子夫妻とはいえやっぱり気は使う。キッチンを使う時間も、トイレやシャワーを使う時間も、リビングで過ごす時間も、彼らの邪魔はしたくない。迷惑はかけたくない。こんなおれでも、大好きな相手だからこそ気を遣うのだ。
ただ、もともとのおれはかなり「自分流」にこだわりが強いタイプだ。何をいつどのようにやるか。あるいはやらないか。それを自分で決められないことに、強烈なストレスを感じる。つまり、自分が意思決定することを通じて、自分自身の存在意義を感じることができるのだ。
ありのままの自分の存在を受け入れ、肯定的に自分を捉えるには、おれには自己決定の積み重ねが必要だった。
■ 自己決定と実行と自信のループ
どうやら、エディンバラでの最初の1週間は、そんな自分を思い出し、じっくりと見つめ味わい、理解するための時間だったようだ。
最初は打ちのめされたけれど、自分がどうして弱くなっているのかその理由をはっきり掴めてからは、ペースを取り戻すことができた。
足りなかったのは自己決定する機会。そして決定したことを実行して楽しむこと。周りに振り回され過ぎず自信を持つこと。
この3つはそれぞれつながっている。自信があれば自己決定できる。自己決定したことはやりたくなる。楽しくやれれば自信がつく。
スコットランド70日間滞在記その5 | 人は環境が9割
周囲からのフィードバック不足。自分の英語力不足。さらに、慣れない居候暮らし(パートナー以外の人と暮らすのは、ワーキングホリデーでルームメイトと暮らしていた25年ほど前が最後)。
はたして、自分はどれだけ「意味のあること」を行えているのか。どれだけの「価値」を、雇用主であるIBMに提供できているのか…?
そこに居たのは、急速に自信を失い、我ながら驚くほど不安を感じている自分だった。
こんな仕事に身の入らない人間に、会社は給料を払い続けてくれるのだろうか?
そもそもそんなおれに、給料を貰い続ける資格なんてあるのだろうか?
エディンバラ到着後すぐ、そんな思いで胸が一杯になってしまっていた。
こんなにも、自分の価値を発揮できないなんて。そして仕事上で価値を発揮できない自分を、こんなにも受け入れ難いなんて…。
そこに居たのは、急速に自信を失い、我ながら驚くほど不安を感じている自分——。
負のスパイラルに飲み込まれ、まったく仕事に身が入らなくなってしまった自分に、自分自身が驚いていた。そしてそのまま1週間ほど、不安を抱えて過ごしていた。
「ビビっているときやネガティブな気持ちのときに、未来のことを考えてもろくなことにならない。」
「未来は誰にもわからない。それなのに未来を心配して悲観していたら、悲観する理由がない現在まで台無しにしてしまう。」
——ある朝目が覚めると、自分がよく人に言っていたそんな言葉が、急に頭の中に浮かんできた。
そう。ただ心配して不安に思い気を揉んだところで、何も変化を起こすことはできない。なるようにしかならないのだ。
アクションを伴わず、未来を心配するのは、無駄だ。
集中すべきは「いまここ自分」。いまを、ここを、自分を、より味わって、より楽しもう。
やれることにだけ意識を集中し、楽しめるものを楽しむ。ここ10年は、そうやって暮らしていたじゃないか。
自分がこの1週間、冷静さを失っていたことに気がつきました。
海外で暮らせば、周辺環境が変わるのは当たり前です。きっと、海外暮らしの夢を忘れて、日本での日々の生活や仕事に馴染み過ぎていたのでしょう。
仕事内容にかんしてはそれなりにアンコンフォタブルなことも敢えて選び、やったことないこととかにも挑戦するようにしていたけど、「海外で働く」という周辺環境の変化は未経験ゾーンでした。
どうやら、自分でも意識しないうちに「コンフォートゾーン」(心理的な安全領域)にすっかり染まってしまっていたようです。
それにしても、不慣れで落ち着かない環境に踏み出した直後に、こんなにも精神的に大きく揺らぐとは…。
仕事や生活で主導権を持てない状況がわずか1週間続くだけで、おれはこんなにも簡単に自信を失い、自分自身に対する主導権すら失いそうになってしまう人なんだな。そして、パートナーとこれから2カ月以上別々に暮らすことへの不安もあったと思います。
…だって、寂しかったもの。
…我ながらシンプルだなと思います。
でも、考えてみれば昔からそう、隠しきれずに分かりやすい反応を示すタイプでした。
とはいうものの、これほど「弱い自分」をしっかり味わうのは久しぶり。なんだかちょっと懐かしいかも。
「よし。せっかくだから、少し『弱っている自分』を観察して楽しもう。」
そんな風に自分をちょっと俯瞰してみたら、少し、楽しくなってきました。
「人は環境が9割」。そんな言葉を聞いたことがある人も多いと思います。
あれって本当ですね!
スコットランド70日間滞在記その4 | 到着1週間で「不安」に飲み込まれる
エディンバラでの生活がスタートするひと月ほど前、勤め先であるIBMでの所属部門が変わった。主な仕事の内容はそれまでと変わらない。インハウスのライター兼編集者として、取材し記事を書き発信する。そのための事前の段取りであったり、公開後の関連作業を行ったりということだ。
だが、仕事内容自体に大きな変更はなくても、仕事を通じてやりとりをする社内の関係者や仲間の顔ぶれやコミュニケーションの仕方は大きく変わることとなった。
そしてその変化は、自分が想像していたよりも、遥かにずっと大きな違いをおれにもたらすものだった。
部門が変わる前は週に1度、いつものメンバーとオンラインで45分のミーティングをしていた。そこでは、自分が直接は関わっていない件についても話を聞いたり、それに関する意見を交換したり、ときに雑談や近況報告なども頻繁に行っていた。
「パチさんのあの記事を読みましたよ。締めがよかったです。」「あそこであのエピソードはちょっとしつこい気もしました。」——そんなふうに、自分の文章へのちょっとしたフィードバックをもらうこともしばしばあった。
ところが、時差9時間(10月最終日曜まで。それ以降は夏時間が終わり時差8時間)のエディンバラで仕事を始めて、そうした「ちょっとしたコミュニケーション」や「フィードバック」をもらう機会が激減した。
専用のひと部屋を貸してもらっているとはいえ、日本時間に合わせて現地で真夜中にオンライン・ミーティングに出る気はしなかった。
また、チャットツールなどでの「軽いコミュニケーション」も同様で、時差の関係ですぐに返事がすぐにもらえないタイミングだからと、こちらからチャットを送ることもしなくなっていた。
また、エディンバラ到着後の最初の1週間で、自分の英語力不足を感じるシーンが何度かあった。
普通に会話するだけなら問題はなくても、込み入った話を聞き相手の感情の深いところを探る——そういう「取材」には英語力が足りていないことを実感したのだ(スコットランド訛りも難しかった…)。日本語で取材して作っている記事を10としたら、今の状態では、英語では3や5がいいところだろう…。
日本にいるときに思い描いていた飛び込み取材は、取りやめることにした。
周囲からのフィードバック不足。自分の英語力不足。さらに、慣れない居候暮らし(パートナー以外の人と暮らすのは、ワーキングホリデーでルームメイトと暮らしていた25年ほど前が最後)。
はたして、自分はどれだけ「意味のあること」を行えているのか。どれだけの「価値」を、雇用主であるIBMに提供できているのか…?
そこに居たのは、急速に自信を失い、我ながら驚くほど不安を感じている自分だった。
スコットランド70日間滞在記その3 | 「旅行者」ではなく「生活者」として
「去年は2週間ペットホテルに預けたんだ。でも、帰ってきたら、なんだか少し元気が無くなっていた感じがして…ちょっと心配なんだ。だから、今度私たちが日本に行くときは、ペットホテルじゃなくて家で過ごせるようにしてあげたいんだよね。」
「じゃあその間、おれが面倒を見るよ! おれが大の猫好きなのは知っているよね? ところでさ、せっかくなら、2週間だけじゃなくてその前後もしばらく暮らしたいなあって思っているんだけど…。」
「じゃあ、うちでしばらく暮らしなよ。狭い部屋だけど、パチさん用に一部屋空けるからさ。」
「マジで! ? 本当にいいの?? やったー!! じゃあよろしくね。」
はたして今も、「海外で暮らしたい」とおれは本当に望んでいるのか。それとも昔の自分が描いた夢を、今も手放せずにいるだけなのか。
それを確認する一番の方法は、実際にしばらく海外で暮らしてみることだ。大昔に、ワーキングホリデーで海外生活をしていたときのように。
そうすれば、今の自分がどれくらい本気で海外生活をしたいと思っているのかが、きっと見えてくるはずだ
「とにかくもう一度海外暮らしをしよう。」そう決めてから数カ月、おれはスコットランドで暮らす姪っ子夫婦の来日スケジュールが決まるのを待っていた。
「猫シッター」として、彼女たちが日本に里帰りするタイミングに合わせて、おれが彼らの家に居候させてもらう——。
それからしばらくが過ぎ、結局、10月上旬から12月中旬までの2カ月強、おれはエディンバラの姪っ子夫妻の家で居候することとなった。
旅行者として「訪問」するのではなく、生活者として「日常生活」を暮らす。
おれにとってその意味は、「生活費を稼ぎながら日々を過ごす」ということだ。
毎日、自分の部屋で起きて、食事をして、仕事をする。そこに特別な非日常があるわけではなく、普通に日々を過ごすということ。
つまり、日本にいるときと同じように、現地でも日々仕事をしながら過ごすということ。
そんなわけで、勤め先の日本IBMには「休暇ではなく、しばらくエディンバラで働きます」と伝えた。
多くの会社がコロナ禍で「リモートワーク」を導入していた。IBMはそれより遥か昔からリモートワーク制度を取っていたし、コロナ禍を機に、出社を前提としない働き方を全面的に取り入れていたから、70日程度なら出社しなくたってなんら問題ないはず。
ところで、「エディンバラ」と聞いて、どれくらいの人が街の場所や雰囲気をイメージできるものだろうか。
「ハリー・ポッターの聖地ですよね!」という人と、「それってどこでしたっけ? アフリカ?」という人と。おれの周りでは同数くらいの気がします。
エディンバラは、イギリス(UK)北部のスコットランドの首都で、ユネスコ世界遺産にも登録されている美しい都市です。
上の写真は、180年前に建てられてたエディンバラ新市街地の目抜通りにそびえ立つスコット記念塔。こういう雰囲気の建築物がなんの違和感もなく、存在しています。
「ハリポタの聖地」としても知られていて、原作者のJ・K・ローリングさんが長年過ごしていた街ということで、ハリーたちが活躍する場所の多くが、エディンバラのさまざまな場所をモデルとしています(…と、まるで知っているかのように書きましたが、おれはシリーズ3作目くらいまでしか知りません)。
そんなわけで、おれのエディンバラ暮らしがスタートしました。
スコットランド70日間滞在記その2 | 「いつかまた」と15年が過ぎていた
「パチも、もう30代半ばも過ぎたんだし、就職した方がいいって絶対。派遣の仕事は辞めてうちの会社に就職しなよ。パチにやって欲しい仕事があるんだ。」
たしかに、こんないい条件でおれを誘ってくれる会社なんて、金輪際もう2度とないだろう。なんといっても、おれはこれまで一度も就職したことがないヤツなんだから——。
そのときのおれは、日本IBMというテクノロジー企業で派遣社員として働いていた。
そしておれは、36歳で生まれて初めて就職した。日本アイ・ビー・エムとも取引のあるインターネット関連の会社で、Webプランナーの仕事だった。
その翌年、おれはその会社を辞めて日本IBMに転職した。今度は派遣ではなく一般社員としてだった。
派遣社員として5年働き、その後も取引先だった会社だ。IBMの文化は理解していた。それに「あたしの下で働きなさいよ。あんたみたいな暴れん坊が必要なの」と上司に声をかけられての転職だったから、おれはおれらしくやればいいってことだ。
それにそもそも、周りは優秀なエリートばかり。おれが彼ら彼女らと同じようなことをやろうとしたって、できることなんてたかが知れている。
SECIモデル(SECIプロセス)で世界的に著名な野中郁次郎氏を仲間たちと囲んで
そんな風にスタートしたIBMでの仕事は、もちろん大変なところもあったけれど、やればやるほどおもしろくなっていった。
そして気がつけば、海外暮らしのことを考えることがどんどん減っていった。
パートナーとはときどき会話するものの「きっといつか、そのうちチャンスが来たら…」と口にはするだけで、具体的には何も行動していなかった。口先だけだ。
IBMに転職して10年が経ったころ、一度だけ海外転勤的な話が出たことがあった。
アジア某国でのプロジェクトマネージャー的な仕事。得意な仕事ではない。頑張ればどうにかやれそうな気はするけれど…積極的になれなかった。不安も大きかった。
結局、話はまとまらなかった。ほっとしている自分もいた。
その後、IBMを辞めてデンマークの学校に入学することを真剣に考えた時期もあった。
でも結局、自分のやりたい仕事をできる環境をIBMで手に入れることができたので、そのまま日本に残ることを選んだ。
それからさらに数年。
コロナ禍でしばらく旅行ですら海外に行けなかったこともあり、おれは海外に飢えていた。そして考えていた。「一体いつになったら、おれは海外暮らしをしようとするのだ?」と。
あれはなんだったのか。
あれほど強く想っていたのに、願望をただただ口にしていただけだったのか。このまま若かりし頃の思い出話にするのか。
「いつかまた」って言いながら、おれは逃げているんじゃないのか。あるいはすがりついているだけなんじゃないのか——。今も昔も口先だけか。
「とにかくもう一度海外暮らしをしよう。」
自分の気持ちをもう一度ちゃんとたしかめてみよう。短くてもいい。暮らしてみよう。
スコットランド70日間滞在記その1 | はじまりは20世紀終わりのワーキングホリデー
「パチさんって、もう、仕事そのものに対して悩むことなんてないんだとばかり思っていました。でも、そんなことないんですね…。ちょっとびっくりです。
でも、こうして『弱い自分』を包み隠さず伝えてくれるのは、嬉しいしとてもありがたいです。だってみんな、弱いところってどうしても隠そうとするじゃないですか。だから、こうやって振り返って伝えてもらえると、自分の未来に役立てることができるからとっても嬉しいです。」
日本に帰ってきてから何度か、昨年の秋から冬にかけてスコットランドで70日間働いていたときのことを話したところ、何人かの方にこんなふうに言ってもらいました。
…そうか。ダメなおれの話も、そうやって誰かの役に立つのか…。
それなら、振りかえりをちゃんと発信しよう。
でも、ちゃんと順を追って話をしないと、うまく伝わらなさそう…。よし、長くなってしまうけど、腰を据えて書くとしよう。
まずは、おれがなぜ、長期間スコットランドで働こうと思ったのか。時計の針を20世紀の終わり頃に戻して。
おれは20代の後半、ワーキングホリデーVisaを取得して海外暮らしをした。
ニュージーランドのクライストチャーチと、カナダのバンクーバー。2回。それぞれ1年弱(正確には11カ月)。1年間有効の航空券を買い、日本帰国前の最後の1カ月はオーストラリアとアメリカを旅行した。
2度の海外生活はどちらも金がなくて、贅沢なことはまったくできなかった。それでも、日本とは異なる生活習慣や考え方をする人たちに囲まれた暮らしは、控えめに言って最高だった。
おれがおれになったのは、間違いなくあの日々があったからだ。
クライストチャーチにもバンクーバーにも、すっかり惚れ込んでいた。
「仕事を見つけて移住したかったなぁ…。夢は叶わなかったけど、いつかまたここで暮らしたいね。いや、世界にはまだおれたちが知らない、もっといい街もあるのかもしれない。とにかく、絶対、もう一度海外暮らしをしよう。」
現地で同棲していたパートナーとは、そんな話をしながら一緒に日本に帰ってきた。
でも、おれには貯金も学歴も職歴も特別なスキルもコネも、何もなかった。
そんなおれが海外暮らしをするには、金を稼ぎながら暮らす以外に方法はない。仕事が必要だ。現地で金を稼ぐ方法を手に入れる必要がある。…でも、どうやって?
日本帰国後は、海外求人情報に目を通しながら「どうすれば海外暮らしを実現できるか」をいつも考えていた。
学歴も職歴もないおれでも身につけられそうな「手に職」ってなんだろう? 畳職人、ヒヨコの雌雄鑑別士、日本庭園の庭師…。日本ではあまり注目されないものの、海外では結構稼げる仕事らしい。でも、どれも不器用なおれには難しそうだ。それに時間もかかりそう…。
文章を書くのは昔から好きだった。英語はずいぶんできるようになっていた。翻訳も「なんちゃって」ではあるものの少しはできる。…よし、それなら特許翻訳だ。
翻訳単価も高いし、エンタメ系の映画や小説の翻訳と違って志望者もそれほど多くなさそうだ。イケるかも。そして日本で「お得意さん」を見つけてから海外移住すれば、特許翻訳を通じて日本円で稼ぐことができる。それならいい暮らしもできるぞ——。
今となっては考えられないことだろうけれど、21世紀初頭の日本円は、バブル崩壊後とはいえまだまだ強かった。円で稼げば世界のどこの国でも、そこそこいい暮らしができるレベルには。
おれは派遣社員の仕事をしながら特許翻訳の勉強をし、ときどきアジアを旅行したりして、海外暮らしのチャンスを狙っていた。
そして時間は過ぎていった。
2023年(少なめ)読書棚卸し
今年は読書量少なかったよなー。きっと例年の3/4くらいかな? と思いつつ数えてみたらドンピシャ。74冊でした。エディンバラで暮らしていた2カ月半の間、1冊しか読まなかったからね。
ということで、例年よりもグッと少ない中から、特に印象に残った本をピックアップして2023年の読書を振り返ってみます。なお、「おれが読んだのが今年」なだけなので、むかーし出版された本なんかも混ざっていると思います。
- 『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』奈倉 有里 著
- 『私がつかんだコモンと民主主義』岸本 聡子 著
- 『ノーマル・ピープル』サリー・ルーニー 著、山崎 まどか 訳
- 『学校で育むアナキズム』池田 賢市 著
- 『みんなの「今」を幸せにする学校』遠藤 洋路 著
- 『コミュニティの幸福論 助け合うことの社会学』桜井 政成 著
- 『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる ―答えを急がず立ち止まる力』谷川 嘉浩 & 朱 喜哲 & 杉谷 和哉 箸
- 『両手にトカレフ』ブレイディみかこ 著
- 『15歳からの社会保障 人生のピンチに備えて知っておこう!』横山 北斗 著
- 『エネルギーをめぐる旅――文明の歴史と私たちの未来』古舘 恒介 著
- 『私の半分はどこから来たのか――AIDで生まれた子の苦悩』大野 和基 著
- 『カレーの時間』寺地 はるな 著
『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』
奈倉 有里 著
30の断片的な時間や出来事が、平和と不安と騒乱を見事に表す。…おれも、もっと言葉に誠実でいよう。いつか言葉の魔法を手に入れられるように。分断する言葉よりもつなぐ言葉を。
まず、ひとりの女性が、「アルメニア人が殺されるなんて世も末だわ、キリスト教徒が殺されるなんて!」と嘆いた。ロシアではソ連崩壊後、急激に宗教の復権がなされ、ロシア正教が事実上の国境となっている。しかし「キリスト教徒が殺された」という嘆きには、別の宗教――当時のメディアで朝から晩まで騒がれていた「イスラム教」への意識が感じられ、では殺されたのがイスラム教徒であればこの人はなんとも思わないのだろうか、と思っていたところで、別の初老の女性が「つい最近までは同国人だったのよ!」と続けた(…)すると私のすぐ側にいた教師風の中年男性が「そもそもロシア語を学んでいた青年だろう、それなのに殺されるなんて」と主張した。途中で、私と目が合った(…)そのとき、小柄なおばあさんがひとり歩み出て、言った――「みんな、なにを言ってるの? キリスト教徒だ言語だっていうなら福音書を読みなさい――すべての人類は兄弟なの、すべての、あらゆる人が!」と。それきり、誰もなにも言わなかった。
『私がつかんだコモンと民主主義』
岸本 聡子 著
「杉並区長になる前からずっとファンだったんだよね」といつも自慢してしまう、現杉並区長の岸本さんのこれまでにの本。ますますファン度が上がりました。かっこいいなぁ。
国家的保護主義の危険性や旧ソ連的なトップダウンの計画経済のアンチテーゼとして、個人の自由と競争を出発点とする自由主義が広く深く人々に支持された理由を無視することはできない。人は自由を希求する存在だし、私もそうだ。ただ誰にとっての自由なのか、少し慎重に見極めなくてはいけない。自由に移動できるのは国際資本だけで、労働者や家族は国境を容易に超えられるわけではない。ビジネスをしやすくるためにどんどん国境を低くしてルールが変えられていくのに、国際的な税金や最低賃金や環境規制といった、環境や人を守るルールづくりはいっこうに進まない。
『ノーマル・ピープル』
サリー・ルーニー 著、山崎 まどか 訳
2人のどちらかに、もっと決定的な酷いことが起きてしまうのじゃないか、それが次のページなんじゃないか…そんな不安に付き合いながら本を読み進めたのは、なんだか久しぶりな気がする。
残酷さはその被害者だけではなく加害者も傷つけるが、後者が負った傷の方が深く後を引く、マリアンがそう考えるのは初めてではない。ただいじめられただけで人間は自分の暗部をのぞきこんだりはしないが、でもいじめた側はその行為によって一生忘れられないような自分の一面を知る。
『学校で育むアナキズム』
池田 賢市 著
「フランスにおける移民の子どもへの教育」の実践の場から築き上げられた、「教育と学校の見つめ直し」に溢れた本。直接お話聞いてみたい。
「自分の意見を言う」ことを重視する教育実践は多い。特に、民主主義を大事にする意識の下で実践しようとすれば、なおさら強調される。しかし、もしそれが、「ちゃんと自分の意見を言わないと置いていかれるぞ」という意味だとすれば、どこかの段階で「声の大きい者が勝つ」という発想に近づいていってしまうだろう。つまり、「意見を言う」ことを大事にした実践が、安心して話を聞いてもらえるということではなく、「何も言わなければ、誰もお前のことなんか気に留めてくれず、ものごとはどんどん決まっていってしまうぞ」という弱肉強食の、一瞬も気を抜けない環境を肯定していくことになってしまう
『みんなの「今」を幸せにする学校』
遠藤 洋路 著
「日本の教育は周回遅れもいいとこだ」って言葉を聞き飽きて、実践している人の言葉とアイデアとアクションを聞きたい人に超おすすめの一冊。
「すべては子供のために」という言い方があります。「組織としての学校」に関してはそのとおりですが、「個々の教職員」に関してはそうではありません。学校は子供のためにつくられた施設ですから「すべては子供のために」でいいのですが、教職員は全人格が子供のために存在するわけではありません。そこを区別しなければ、働き方改革はできません。
『コミュニティの幸福論 助け合うことの社会学』
桜井 政成 著
遅すぎる出会いな感じ。トロントでの暮らしが言及されるシーンの多くに、「おれもバンクーバー暮らしの時代にもっと観察しておけばよかった」と思わされます。
「当事者ではない私」が他人のまま、生きづらさの問題(あるいは社会運動)に関わることで紡ぎ出せれる小さな物語もあるのでしょう(…)「当事者」という型通りの言説に回収されない、一人ひとりのかけがえのない固有性をもった小さな物語の共有(シェア)と、それによる互いの自己の捉え直し、それこそがコミュニティの中での生きづらさの解消、あるいは緩和する可能性をもっていると言えるのだと思います。
『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる ―答えを急がず立ち止まる力』
谷川 嘉浩 & 朱 喜哲 & 杉谷 和哉 箸
「陰謀論とナラティヴ」「アテンションエコノミー」「徳とプライバシー」について、3人が立ち止まって周囲をじっくりと眺めてから話し始める一冊です。
政治学を学んでいる北欧の大学院生二人に、「北欧と比べて日本の政治教育はダメだ」みたいな話題をふると、「カズヤの話もよくわかるんだけど、私たちは政治しか共通言語がないところもある」と言うんです。
まず、「昨日の○○って番組見た?」みたいなのと同じノリで政治の話をしていて、必ずしも深いことを話しているわけではないし、受け売りも多いんだと。政治っていうのが、いい意味でも世間話の一つになっているから、ジャパニーズが思っているほど、極端に優れた何かが展開されているわけではない、と彼らは苦笑交じりに言うんですね。これは、結構いい指摘だなと私は思ったんです。
『両手にトカレフ』
ブレイディみかこ 著
この本を読むまで、金子文子にもケイ・テンペストにもブレイディみかこにも興味なかった。でも大丈夫。今からでもここからでも、こことは違う世界になるかもだから。
……ねえ、誰かに死にたいって言うってことは、助けてほしいってことなんじゃないかな(…)つまり、もっと生きていたいから、 そのために助けてってことじゃないの?
『15歳からの社会保障 人生のピンチに備えて知っておこう!』
横山 北斗 著
ふとしたはずみで「社会的弱者」となってしまった登場人物を、社会制度がいかにサポートできるかを物語仕立てで紹介しています。あらゆる学校図書館に置かれていて欲しい一冊。
自分や自分の身の回りの人の生活を守るために、一人ひとりが社会保障制度について知ることはとても大切です(…)個人が社会保障制度を知ることと同じくらい、いえ、それ以上に、国や自治体が社会保障制度の情報を必要な人に届け、利用しやすくするための取り組みを積極的に行うこと、つまりは社会保障制度を申請する権利の行使をサポートする施策が重要なのだ。
『エネルギーをめぐる旅――文明の歴史と私たちの未来』
古舘 恒介 著
エネルギーをめぐる旅――文明の歴史と私たちの未来eijipress.co.jp
自分がエネルギーについて、とりわけ歴史的な部分をどれだけ理解していないかを教えてくれる一冊。知識欲をたっぷりと満たしてくれます。
農耕、すなわち土地を開墾し田畑を整備して農作物を育てるという行為が意味することは何か。それはその地に自生している植物をすべて追い出して、その土地に注ぐ太陽エネルギーを人類が占有するということです。この壮大な試みは、人類がそのパートナーとなる植物を見つけたときに始まりました。中近東においてはムギ、中国においてはイネ、メキシコにおいてはトウモロコシと、いずれもイネ科の植物がそのパートナーに選ばれています。いずれも栽培が容易で、保存に長けるという特長がありました。
『私の半分はどこから来たのか――AIDで生まれた子の苦悩』
大野 和基 著
「子どもには知る権利がある」と直感的に思うものの、それにまつわる現代の課題を自分はきちんと理解できているのだろうか? という疑問から手にした一冊です。
AIDとは、「Artificial Insemination by Donor」の略で、日本語に訳せば「非配偶者間人工授精」、つまり、夫のものではない精子を子宮に注入して、妊娠・出産する方法で、海外ではDI(Donor Insemination)と呼ばれることが多い。日本では1949年8月に慶應病院で、初めて提供精子による子供が誕生した。それ以来、もっぱら男性側に原因がある不妊カップルを救済するために実施されてきた(…)最近になって先進国においてAIDで生まれた人が声を上げ始めた。なかにはこの技術の全面禁止を訴える人もいるほどだ。すべての家庭に当てはまるとは限らないが、親がアイデンティティ形成の根幹にかかわる、最も重要なことで子供に真実を伝えていないため、家庭内に説明のつかない違和感や緊張感が絶えず漂っているという。
『カレーの時間』
寺地 はるな 著
人は、相手の嫌な部分を憎みながらも愛せる。許容しないまま受容し愛することができる。そんな話。おれは寺地はるなが大好きです。
おれはむずかしいことはわからない。でも人を飢えさせる類のものはぜんぶ悪いことだ。戦争もそう、貧乏でもそう。ぜんぶいけない。
ぱちはらダイアログ71〜75
#75からもうひと月近く経ってしまいました。「5回やったらまとめ記事を書く」つもりなのですが、相変わらず毎回「で今回は何回目だっけ?」となってしまってついつい…。
ともあれ、ご登場いただいた田村 祥宏さん、あらい靖行さん、 森 啓子さん、鈴木 省吾さん、ほんっとありがとうございました!
- ぱちはらダイアログ Vol.71 「民主主義と映像表現」田村 祥宏さん CEO, EXIT FILM inc.
- ぱちはらダイアログ Vol.72「民主主義と地域政治」千葉県白井市市議会議員 あらい靖行さん
- ぱちはらダイアログ Vol.73 「民主主義とリベラルアーツ」FICC inc. 代表取締役 森 啓子さん
- ぱちはらダイアログ Vol.74 「民主主義と日本人」JustCo DK Japan 株式会社 VP & Head, Japan 鈴木 省吾さん
- ぱちはらダイアログ Vol.75 「民主主義と戦争」
ぱちはらダイアログ Vol.71 「民主主義と映像表現」田村 祥宏さん CEO, EXIT FILM inc.
最近かなりのハイペースでお会いしているEXIT FILM代表の田村さん。先月は「Learn by Creation (ラーン・バイ・クリエイション)」というワンデイ・イベントで田村さんがファシリテーターを務めた「映画的なシナリオづくり体験ワークショップ」に参加してきました。これが想像よりはるかに素晴らしかった!!
正直、短時間の「シナリオづくり」でこれほどまでに「意識下の自分」と「無意識下の自分」の違いみたいなことを深く考えられるとは思っていませんでした。
ぱちはらでも語っていますが、田村さん監督作品の上映もいよいよ間近ということで、おれは一足お先に、来週シークレット(?)試写会に行ってきます!! 楽しみ〜♪
ぱちはらダイアログ Vol.72「民主主義と地域政治」千葉県白井市市議会議員 あらい靖行さん
「命の恩人」といつもおれのことを呼ぶあらいさん。まあ大袈裟に言っているだけだけど、エピソードトしてはおもしろいよね(詳しくは本編で!)。
おれが一番印象に残っているハノイでのあらいさんは、結構夜遅く、小さなカフェみたいなところで3人で小一時間ほどおしゃべりしてたときのこと。あのとき「この人は人の話をすごく真剣に聞く人だな」って思ったのを覚えている。その人の「言葉」だけじゃなくて、「言おうとしていること」を聞き取ろう、理解しようとしながら聞く人だなーって。
それにしても、あらいさんがこれほどまでに「是々非々」を貫き、「誰がではなく何を」にこだわった「理想的な形での民主主義」を実践される議員さんになるとは…。
いやー、人ってやっぱりひとときの姿だけでは分かりませんな!
あらいさんの活動はこちらのサイトでご覧いただけます。正直、こういう議員さんがいる白井市の人が羨ましいです。
早く、「こういう議員さんじゃない方が珍しい」って世の中になって欲しいです。あらいさん、議員候補者や検討されている人へのそうした呼びかけもよろしくです!!
ぱちはらダイアログ Vol.73 「民主主義とリベラルアーツ」FICC inc. 代表取締役 森 啓子さん
ここのところいろんな場所でご一緒させていただいている啓子さん。カッコイイんだよなー、啓子さんはいつでもどこでも。憧れちゃう。
とはいえ、おれはそういう人にほどついついいろんなツッコミをして「あまり見せることのない姿」を見ようとしてしまうタイプなんだけど、啓子さんはやっぱりブレることなく啓子さんなのです。
やっぱり、生き方と仕事が無理なくスーッと一致している人はカッコイイです。憧れちゃう(あ、さっきも書いたねww)
おれは「経営」という言葉にどうしても「管理」みたいなものを感じてしまい、どうしても自分がそっち側に近づくことにこれまで抵抗感が拭えず来たんだけれど、啓子さんと話していて、おれにとっての「リベラルアーツ経営」が理解できた気がしました:
「人が自分自身のまま大切にしたい価値観を直視しながら働ける場所を守り広げること」
これはあくまでもおれ流の解釈だけど、それならおれもやってみたいと思ったし、とても大切な仕事だなって感じました。
いつか、なにかコラボしたいなぁ。そのためにも、おれはもっともっと「リベラルアーツライフ」を大切にした「リベラルアーツ日常」を磨いていかなくっちゃ。
ぱちはらダイアログ Vol.74 「民主主義と日本人」JustCo DK Japan 株式会社 VP & Head, Japan 鈴木 省吾さん
省吾さんともコラボしたい! おれは来月から2〜3カ月日本を離れてしまうけれど、帰ってきたら、人権に関するイベントを一緒にやりたい。
LGBTQ+、障がい者の雇用と生活支援、移民難民とその家族の支援、ホームレスや生活困窮者の支援、元受刑者の支援、死刑制度、同和問題(部落差別)…。挙げていけばキリがないけれど、これら一つひとつの根幹にある問題をしっかりと見つめて、みんなが「もっときちんと理解したい」と思える環境づくりが大切なんじゃないかと思っている。
もちろん解決策を考えて実施するのも大切なことは言うまでもない。でも同時に、「どうしてこういう問題が起きているのか。表層的なところだけではなく、その根幹にアプローチするにはどうしたらいいのか」を考えたくなる、さらには考えずにはいられない社会が必要なんじゃないかと思っている。
ところで、省吾さんとの出会いでもあったJustCo(ジャストコ)でのジェンダー平等イベントで、はたしておれはどんな「めんどくさい質問」をしたんだっけか?
ひょっとしてこれを見たら分かるかな? と思ったけど、残念ながら…。うーん、なんだったんだろう??
ぱちはらダイアログ Vol.75 「民主主義と戦争」
おれはすべての戦争に全力で反対します。そして、戦争を未然に防ぐためのすべての活動を全力で肯定します。
世界中の人が、自由と人権と平和をしっかりと味わえますように。
Happy Collaboration!
バックステージレポート |イベント「B Corp認証のこれまでとこれから」
この春、B Corp認証を取得したUMITO Partnersとハーチを中心に、B Corp関連のイベントを2回開催し、イベントレポートとして以下の2つの記事を書きました。
今回はその裏側というか、イベントそのものではなく、イベントの準備から実際にやるまでの間に思ったことや感じたことを書いておきたいと思います。
まず最初に、一番書きたいと思っていることを。
やっぱりいい仲間とやるリアルイベントは、サイコーに気持ちいい!!
一緒に作ってくれたみんな、心から本当にありがとう!!
「準備もけっこう大変だし、最近はいろんな人がいろんなタイプのリアルイベントをやってくれているし、別におれがやらなくてもいいよね。」
——コロナ禍でしばらくリアルイベントを開催していなかったおれは、すっかり「準備ミニマム」でも開催できるオンラインイベントの「楽チンさ」に過適応していました。
そんなある日、おれが前から大好きで、勝手に応援していUMITO Partnersとハーチという2つの会社が同時期にB Corp認証を取得したことを知ります。そしてなんと、その両社の認証取得を支援したのが、ちょっと前に友だちになったばかりの岡さんだということも。
そんな! 昔から好きで追っていたB Corpが、急におれの身の回りに溢れているだなんて!
両社のB Corp認証をお祝いしたい。そして同時に、最近感じているB Corpに関する心配についても、多くの人と話し合うちょうどいい機会なんじゃないだろうか?
それならば、少し前から「一緒に何かコラボしたいね」と話していた廣畑さんと吉備さんともご一緒するちょうどいいチャンスでもあるのでは? そしてリアルイベントをやるなら、コロナ前から「おれが最も信頼しているワークショップデザイナー」と公言し続けている我有さんにも加わって欲しい!
…と、そんな感じでみんなに話を持ちかけてみたところ、全員からご快諾いただきました。
Facebookメッセンジャー・グループを作り、あとはみんなで内容を決めていこうと、以下を最初に投げかけたのが5月中旬です。
狙い | 「B Corpムーブメントをもっと『開いて』いくために」
B-Corp取得企業が日本に増えているけれど、リアルな変化を感じている生活者は少ないのではないか? 過渡期だから? 放っておいても今後変化していく?? 本当かな…。
『B-Corpが「一時のムーブメント」となり、「選ばれしものたちの秘密結社クラブ」的な存在となってしまって、なんら社会変革につながらない』 ——そんな最悪ケースシナリオを避けるためには何が必要か、そんな話をみんなでしよう!
要検討事項 | 規模? 日程? オンラインも同時開催? 懇親会? 告知ページ?
ほとんどの登壇者同士が「はじめまして」の中、みんながおれの投げかけに対して、自己紹介を兼ねてアイデアをどんどん出してくれました。
そして「ひとまず6月下旬をめどに準備を進めていこう」と決まったのが5月の下旬。
まずは日程と場所を決めようということで、廣畑さんが英治出版の「EIJI PRESS Lab」を、吉備さんが日建設計の「PYNT(ピント)」を使用できる候補日を確認してくれました。
ここまで決まった段階で、6月上旬の朝、参加できるメンバーで初めての「オンライン顔合わせ」を行いました。
ちなみに、この段階でおれはもうウキウキです。だって、自分が好きな人たちを集めてイベントをやるんですから、楽しいに決まってます。あとはみんながみんなのことをちゃんと知ることさえできれば、どう転んだってイベントは順調に進むはずです。
そんなわけで、この日は細かいことよりも、どんな人がどういう理由で参加しているかを知り合うことができればそれでOK。そして同時進行的に進んでいたメッセンジャー・グループでの話し合いで以下が決まりました。
◎ 集客準備&方法 - 既存のPeatixアカウントを活用して会場提供者がページ作成
◎ 参加費用は無償(飲食実費は参加者に任意で「投げ銭」してもらう。)
◎ オンライン配信は主催者の負担が増えるので今回はなし
◎ 全員主催者
そして何よりも、一番大切なグランドルールが決まりました。
◎ 登壇者全員が楽しみながら準備して、当日を迎えられるようにすること
そのためには、誰も必要以上に無理をしないこと——。やらなくても済ませられることはやらない。苦手なことは最小限にする方法を考える。自分だけでは大変と思ったらサポートをお願いする。
誰にも「どうして私がこれをしなくちゃいけないの…」と思って欲しくなかったのです。もちろん、おれ自身も。
そんなわけで、参加者向けのオンライン配信はしないけれど、登壇者は無理せず都合がつく人は会場で、難しければオンラインで登壇としました。
そしてここでちょっとこだわったのが、「せっかく2回開催するのだから、せめてどちらかには参加できるようにしたい」ということ。
なので、場所を変え、時間帯を変え(業務時間内の方が参加しやすい人と業務後の方がいい人がいるので)、せっかくならと曜日も別にして、以下日程での開催とすることを決めました。
- 6月22(木)夜@恵比寿 EIJI PRESS Lab
- 7月7日(金)昼@飯田橋 PYNT
一つだけすぐに決まらなかったのは「せっかくだから、興味関心度合いが高い人に来てほしい。でもどうやってそれを確保する?」ということ。
結局、これは申し込みの際に、「B Corpの何に興味があるのか。このイベントで何を聞きたいか」を必須項目として(選択式ではなく)フリーコメントで書いていただくことにしました。
個人的には、これは大当たりだったかなと思っています。おかげで、質問に対するそれぞれのメンバーの考えを事前に確認することができたし、それによってイベントの中心に何を置くかが、オンラインで話し合いを通じてかなり明確になりました。具体的には、以下が整理されました。
「イベント当日になにが語られるべきなのか」「メンバー内で、意見が共通しているところと異なっているところがどこなのか」「限られた時間の中で何を削ぎ落とすのか」などなど。
そしてここからは当日に向け、じわじわと話し合いを進めて中身を詰めていきました。
でもグランドルールがあったので、スローペースではあったけれど、変な焦りとかはなかったんじゃないかな。
迎えた当日、UMITO Partners編では藤居さんが、ハーチ編では松田さんが、事前確認をバッチリ活かしたプレゼンをしてくれました!
そして「なぜ、この会場でB Corpイベントをやる意義があるのか」という話をしっかり語ってくれた廣畑さんと吉備さん。
会場で参加者を置いてきぼりにしないよう、適宜B Corpの解説を差し込んでくれた岡さん。
思いつきでドンドン進行を変えるおれの面倒をしっかりと見てくれた我有さん。
そんなみんなのおかげで、おれは目一杯楽しみながら、会場の空気と自分たちのテーマをシンクロさせながら進行させてもらいました。
いやー、本当にいいイベントでした。
いい人たちが集まっていい気持ちで仕事をすれば、自ずといいイベントになる。
必要なのは、登壇者全員が楽しみながら準備をして、当日を迎えられるようにすること。
再び自画自賛させていただきますが、久しぶりにそれを実感できた、と〜ってもいいイベントでした。このメンバーを軸に、また何かやれたら嬉しいな!
そしてこういう「誰も搾取されることのないイベントやプロジェクト」が、もっと社会にたくさん拡がるといいな!
UMITO Partners 藤居 料実さん
ハーチ 松田 共代さん
B Corp認証取得支援コンサルタント 岡 望さん
英治出版 廣畑 達也さん
日建設計(PYNT) 吉備 友理恵さん
脱炭素DX研究所(メンバーズ)所長 我有 才怜さん
みんな本当にありがとう!
Happy Collaboration!