偽の合意効果と会社とコミュニティーの5つの仮説
「仮定」とか「仮説」とかって言葉を見聞きしたとき、脳がどういうモードになるかって、その時その時でかなり違うものですね。
例えば、上のツイッターに書いたように「よし崩してやろう」という感じで、仮定や仮説が成り立つ条件をチェックする検証思考モードに入る時もあれば、まずは仮説に乗って考えてみよう、となる時もあったり。
もちろん、それはその仮説が与える最初の印象が大きいのでしょうが…。
なぜこんなことを書いているかと言うと、昨夜のEGMフォーラムの集まりで、プレゼン資料『会社って「アキラメ生産工場」なの?!』をベースに話したのですが、自分の思惑とまったく逆の展開になってしまったなぁ、と反省してるからなのです。
最初にきちんと説明せずに始めてしまったのが最大の失敗要因だったかなと思っているのですが、私の「仮説」に対する脳モードって、まあたいていは「ひとまず乗ってみるか」なんです。
なので、「きっとみんなもそう受け取ってくれるだろうな」と思い込んで話を始めてしまったんです(「偽の合意効果」として知られている認知バイアスですね…)。
そのせいで、「仮説として成り立たない」とか「自分が参加しているコミュニティーは違う」だとか、その辺りにとらわれがちな議論になってしまいました。
違うんです!
- 仮説1 コミュニティーとは"リソース"を共有する場である。
- 仮説2 リソースを消費するだけでなく継続的に生み出せるコミュニティだけが持続性を持つ。
- 仮説3 会社は社内外のコミュニティーが集まり繋がるためのプラットフォームであり、かつコミュニティーである
- 仮説4 柔軟性を実現するのは、"制度 x 道具 x 意志"である
- 仮説5 コミュニティーが継続的にリソースを生み出すには、メンバーの活動の公開性と透明性が必要である。
この5つを「仮説」として書いたのは、断定を避けたかっただけなんです。
「エンタープライズ・ソーシャルは持続性とイノベーションをもたらすためにある」とか「新しい働き方はコミュニティー的価値観の上に成り立つものだ」とか、断定的な物言いのせいで、反論や理解できない気持ち悪さを抱えながら話を聞いてもらいたくなかっただけなんです。
この5つの「仮説」を自分の会社やコミュニティーにあてて、ちょっと想像力を高めて話を聞いて欲しかったのです。
「もしそうだとしたら、自分の会社やコミュニティーはどんな場所になるだろう」
「もしそうだとしたら、自分の会社やコミュニティーは何を生み出すだろうか」
「もしそうだとしたら、柔軟性のある新しい働き方が実現するのだろうか」
そんなことを想像しながら、聞いてもらったら、自分から行動を起こそうという人たちを応援することができるんじゃないかと思いながら作った資料だったのですが、言葉足らずでした。
うーむ、もっと勉強せねば。こういうのにピタッと来る言葉ってなんですかね?
◇
ということで、こういう学びができる場がEGMフォーラムでして、毎月のオフラインの定例回は毎回なかなかの濃さなのですよ。
例えば昨日は、他にこんな話をしたのでした。
社会の広がり・開放性・多様性と文脈依存性に関する考察(EGMフォーラム月例会)
「興味がある」「見学・参加してみたい」という方はご連絡ください。