Collaboration Energizer | #混ぜなきゃ危険 | 八木橋パチ

コラボレーション・エナジャイザーとは、コラボレーションの場を作り、場のエネルギーを高め、何かが生みだされることを支援する人

超私的『ソーシャルコミュニティが社会を創る』読書メモ

 

やれやれ。でも他ならぬ田口さんの…あれ?

正直に言おう。出だしの「はじめに」、そして第一章「なぜ今コミュニティが必要なのか」を読み終えた時点では、「やれやれ。田口さんどうしてこんな『教科書みたいなキレイゴト』の本を書いたのかな? こんなの田口さんがわざわざ本にする必要ないんじゃない?」と思ってしまったのだ。

とは言え、他の誰でもない田口さんの本だ。どれだけつまらなくてもしょーもなくても最後までしっかり読み、「どこがどうつまらないか」「何がもっと踏み込んで書かれるべきだったか」をしっかり本人に伝えるのに、おれ以上の適任者もそうはいないだろう——なぜか、おれはそう思い込んでいました。

 

そんな、おれの薄っぺらい思い込みが覆され始めたのは、45ページくらいからだった。

「対話」を軸とした田口さんと仲間たちの一石を投じる取り組みが、経済・社会・環境のトリプルボトムラインとつながり始め、波紋となって広がっていく——そんな機会がどんどん増えていった、田口さんが3×3Laboをスタートする少し前の時代について書かれていたあたり。

気がつけば、それまでの醒めた視点でページをめくるおれはどこかへ消えていて、田口さんが書き記した言葉に納得したり共感したり、ときに「いや、この部分ずいぶんと端折っちゃったじゃない。まあ文章だけで説明するのはすごく難しいところだからしょうがないか」なんて、すっかり夢中になって読んでいました。

 

昔話 | おれと田口さんのこと

ここで少しだけ、おれと田口さんのことを書いておきたい。

おれが田口さんと出会ったのも、この本で言えば先述の45ページ辺り、2010年だったと思う。当時、おれは「EGMフォーラム」というコミュニティの活動にガッツリと関わっていて、一方で社外の対話やワークショップなどにも積極的に参加していた。

そんなあるとき、「EGMフォーラム」の毎月の会合にゲストで田口さんがワールドカフェを紹介しにやってきてくれた…ような気がしている。実はこの辺り記憶が曖昧で、先にEGMフォーラムの誰かが「ワールドカフェに興味があるなら、田口さんって人が毎月開催しているよ」と聞いて参加したのが先だったのかもしれない。

 

ともあれ、当時の「Future Innovation Cafe」というシリーズタイトルで田口さんたちが主催していたワールドカフェに初めて参加したときの感想を、「ワールド・カフェもやもや賛歌」として2011年の8月におれは書いています(ワールドカフェの後、反省会にも参加させてもらったことも書いてますね)。

 

当時のおれはコミュニティマネージャーとしては経験が乏しかったものの、自分なりのコミュニティ論みたいなものは持っていて、それを実証したり進化させていくのに夢中でした。

ただ、当時のおれが持っていたのはビジネスコミュニティとオンラインコミュニティの経験だけで、オフライン&実社会に開かれたコミュニティーの経験は圧倒的に薄っぺらでした。そんなおれには、田口さんは2歩くらい先を進んでいる感じの人で、ちょっとジェラシーを感じていました。

 

そして少し経ってから「企業間フューチャーセンター有限責任事業組合(LLP)を田口さんが立ち上げたときには、「企業間って言葉、むしろ邪魔なんじゃないかな?」と思ったことを覚えています。それから「田口さんは企業とか産業側に寄るよりも、もっと社会とか民間側にいる方がいいんじゃない?」と思ったことも。

さらに言えば、「おもしろそうだけど、果たしてどうなるもんかね〜?」と、いくらかクールに(そしてちょっといぢわるに)思ったこともぼんやりと覚えています。

とは言え、名前や組織形態は変わっても、田口さんたちが開催するワールドカフェは楽しく、積極的に参加していました。

 

その後、田口さんはエコッツェリア協会に転職。あの当時は3×3Laboが「Future」をまだ名前につけていなかった頃。期間限定で富士ビルや日本ビルで活動していました(この辺りの話は本にも詳しく書かれています)。

そして3×3Laboもだけど、田口さんも、周りにいた仲間たちも、そして何よりもおれ自身がものすごく手探りでいろんなことを試し、吸収していた時間だった気がします。

当時、今後の身の振り方について考えていたおれや企業間フューチャーセンターの人たち、そして田口さん自身の、未来の働き方や雇用主との関係などを、いろいろ対話したり相談したことを今でもよく覚えています。

特に、37歳まで就職というものを経験したことのなかったあの頃のおれは、どんなスタンスと目つきで社会や会社というものと折り合いを付けていけばいいのか、今振り返るとイマイチ掴みきれていなかったような気がします。

それに(今もそうだけどもっとずっと)おれは不器用で生意気でした。

そんなおれを田口さんがガッツリ受け止めてくれて、たっぷりの愛を込めて話してくれました。あのとき聞かせてくれた言葉は今でもしっかりとおれに根付いています。田口さんありがとう。愛してるよ!

 

すっかり年寄りの昔話が止まらなくなっているじゃないか! どこが「少しだけ、おれと田口さんのことを書いておこう」だ。

でもまだまだ書きたいことはあるのでまたどこかで。そして誰か、今度「田口論」をお話ししません?!

これってもう6年以上前なのね。

 

本文からの引用(と蛇足)

さて、本に話を戻して。いくつか引用したい。まずは、おれがしびれたところ。

 

■ よく聞く言葉「コミュニティ作りは儲かるのか?」

社会性を伴う活動は、経済的価値も生み出すということである。ただ少し問題なのは、社会的な活動が「お金」として還元されるには時間がかかるということだ。また自社がまいた「社会性」が実を結んだとき、自社ではなく他社に経済的価値を享受されることもある。そのため、企業がコミュニティづくりに取り組んだり、さらには我々のように交流施設の運営などを目指す際、その有効性は理解されつつも、明確な目標設定やゴールの共有が難しいという壁にぶつかるかもしれない(…)刈り取り(マネタイズ)だけを考えるのではなく、価値の源泉を創る活動が大切だという考え方だ。その結果が出る時期が読めない、あるいはせっかく育て上げたものが他社のものになる、ということを許容すれば良いのである。

 

さらっとすごいことが書かれている。チョーすごいことが。あまりにもさりげなく書かれているので、読み飛ばしてしまう人もいるかも?

ここに書かれているのは、まずは 「コミュニティ作りは価値あるものである」ということ。だがしかし、結果が出る時期は読めず、さらにその上「結果」なるものが自分たちのものになるとも限らないということだ。

「他社のものになるということを許容すれば良い」って、これ、「はい、そうですか。」ってGoサインを出す経営層が果たしてどれだけいるんですか? という話ですよね。

だからこそ、それを進めているエコッツェリア協会(とその中核支援企業である三菱地所)にはリスペクトしかありません。(他の企業もむしろ狙い目ですよ。CSRとしてもCSVとしても、これ以上凄みのある「企業の社会へのコミットの本気度」を示すものありませんよ!)

 

 

■ 物理的な場がある意味と、それがもたらす価値(ストックとインターフェース)

物理的な場があるコミュニティと、そうではないコミュニティでは、制約が異なることを肌で感じていた。当時自らイベントを主催する際は、公共施設や会社のイベントスペースなどを都度借りており、内容に応じた場所の剪定やその交渉の難しさに直面していたのだが、この「借り手」の経験は施設運営を行う立場となった現在、大いに役立っていると感じている(…)アイデアを出し合うときと同様に、「場」があると具体的なアクションに移った際にも多くの人を巻き込むことができる。最初は小さな活動でも、仲間が増えていけばそのボリュームも大きくなる。場には、人と人が繋がる、アイデアを交換し知識を束ねる、そして一緒に行動する人を増やしていく力がある。

 

社会に開かれたコミュニティーを運営している人なら、あるいはある程度の規模のコミュニティーのイベントを開催したことがある人なら、誰もが「自分たちの場所があったら…」と思ったことがあるはずだ。そして場所の問題から活動が停滞していく、消滅してしまったコミュニティーも少なくない。

田口さんには3×3Labo時代、本当に場所のお世話をたくさんしてもらった。その後3×3Lab Futureになった頃からは、自分のコミュニティーのイベントや集まりよりも、3×3Lab Futureの目指す方向性と相性の良い、相乗効果の高そうなコミュニティーのイベント会場として仲介させてもらったり(今後も「場所」の面からサポートしてもらう気満々なのでよろしく!)。

そしてイベントやコミュニティーの主催者は、自分たちが3×3Lab Futureの未来に何を提供できるかって観点で考えてから、3×3Lab Futureに問い合わせてみるのがいいんじゃないかな。

 

■ 社会性を伴う利己(利他的自己中心)

利他を考える上で、まず大切なのは自分自身のことである。利己的な人と利他的な人は対比して考えられることが多いが、理想的なのは利己的なことを追求していたら、自然と利他につながっている状態である。言い換えると、利己の目的が社会性を伴っていることである。自分を知るのは容易いことではない。だが、これをおろそかにするとコミュニティなど他者との交わりの中で、自分は何がしたくて参加しているのかが分からなくなってしまう。自分自身をしっかりと表現して、他者とつながることが大切だ。

 

自分を知るために他者を知る。他者を知ることで自分が見えてくる。

利他と利己ってそんなにきれいに区別がつくものじゃないと思うし、たいていはどこかでつながって循環していたりするものだと思う。一方的に利他だけ、利己だけって行為はそんなにないんじゃないかな? 少なくとも、利他だけ利己だけの人はいないと思うんだ(なので、学術的には動機は問わず他人のためになる自発的な行動は「向社会的行動」と一まとめにされることも多いみたい)。

 

 

ここまで断片的な部分ばかり取り上げてしまったけれど、最後に本全体に対してコメントしておきたい。

この本は、コミュニティ運営の実践者や検討中の人にとっては教科書や手引きみたいな使い方もできるし、コミュニティの研究をしている人にとっては3×3Lab Futureというかなり特殊性の高いコミュニティの歴史とスピリットを掴むのに最適な一冊だろう。

今となっては柔らかく暖かい感じに「エスタブリッシュド」を振りかけたような雰囲気が漂っているあの場所も、一朝一夕に出来上がったわけでないし、田口さんを中心にたくさんの人のたくさんの想いが集積して凝縮して成立し、今も進化・発展を続けているのだ。

 

そしておそらくは、「おれもその進化・発展の一部にかかわってきたもんね。」と言いたがる、おれのような人が何十人も、ひょっとしたら数百人いるのではないだろうか? 実はそれこそが、3×3Lab Futureがこれからも価値創造を続けていく拠点であることの証明なのではないかという気がおれにはしている。

 

あ、最後に蛇足を。

何人かのインタビューが挟まっているのだけれど、松岡夏子さんのそれが秀逸です。

インタビュー内容そのものもなんだけど、それ以上に、インタビュイーとして登場する数人の中で松岡さんが最も「中の人」感が薄いのにもかかわらず、文中で一切3×3Lab Futureと松岡さんのかかわりについて触れられていないのです。

普通なら「で、なぜここでこの人のインタビューが??」となるはずなのですが、なぜかそこに違和感を感じさせません。むしろ、触れられていないところに絶妙さを感じました。これは、松岡さんがおよそ20年一貫して持ち続けているテーマと、そのダイナミックな活動の進化が、3×3Lab Futureの進化と絶妙にシンクロしているからじゃないでしょうか。

 

田口さん、ステキな本をありがとうございました! (ねえ、本には書いていないけど、ドロドロした部分も結構あったよね〜。)

Happy Collaboration!