気候危機とSDGs | 先進テクノロジーが実現すべきビジネス(その1)
2020年、人類のほとんどが予測していなかった形で、世界中の人びとの暮らしが大きく変化した。これが一時的なもので元に戻るのか、あるいは新たな社会へとつながっていくのか…さまざまな組織や機関が独自の視点から未来予測を語っているが、ひねくれ度合いと天邪鬼さが過ぎるせいか、筆者にはあまりしっくりくるものはない。
特に、ビジネス界隈で語られているものは、そのほとんどが「直線型経済発展(採取-生産-消費-廃棄)」をいまだに前提とし、その延長線上に未来があるとして描かれており、「そこで生みだされてきた社会課題がより浮き彫りにされたのがCOVID-19なのに、なぜ?」と思わずにいられない。
これから数回にわたり書こうと思っているのは、目の前に鮮明に浮かび上がっている現代社会が抱えている問題に対し、どんな意思と方法で行動を取っていけば良いのだろうか? AIやIoT、5Gやエッジコンピューティングなど、先進テクノロジーが生活を支援するサービスやプロダクトの基盤となっていく中で、人びとがより暮らしやすく、持続的な幸福感を持って生活できる社会へとつなげていくために、ビジネスはどう進化していくべきだろうか?
-- そんな問いに対する、筆者なりの現状における答えである。IT業界に身を置きながらも、テクノロジーではなく人間にアプローチし続けてきた者として、そこから見えているものや考えさせられることを示しておくことにも、いくらかの意味があろうことを期待し考察してみる。
そしてここ20年、市場原理主義により拡大し続けてきた格差と、少なからずそれが引き起こした人口や資本の集中化、そして気候変動という現象に対する「新しい経済モデル」の在り方について、多くの方との対話や意見交換につながることを願っている。
■ 2030年までに人からも地球からも搾取しないビジネスを
新型コロナウイルスはたしかに世界を一変した。だが、パンデミックにより目を逸らそうが逸らすまいが、それ以前から目前に突きつけられていた課題は何一つ変わらずそのままそこに残っている。いや、実際には、この数カ月間は課題をより深刻にし、残された時間をさらに短くしてしまった。
皆さんは覚えているだろうか。2020年初頭まで、政界や経済界の地球温暖化に対する取り組みが不十分だと、若者を中心としたグローバル気候デモやマーチがヨーロッパから世界へと広がり続けていたことを。その背景には、「もはや気候変動ではなく気候危機である」と誰もが実感できる大きな気候災害が世界で頻発するようになっていたことを。
それだけを対象としたものではないが、全人類的な問題に対して包括的に取り組もうというのが、2015年に国連サミットで採択された2030年までに達成すべき17の目標SDGs(Sustainable Development Goals: 持続可能な開発目標)だ。
日本のビジネスパーソンのほとんどが、日本を代表する経済人や政治家が、SDGsの17のゴールを彩った鮮やかなピンバッジを胸にした姿を何度となく目にしているだろう。
では、実際にご自身がお勤めの企業や組織、あるいは取引先の企業や団体で、SDGsの中心理念である「誰ひとり取り残さない(Leave no one behind)」を実現するためのビジネスの実践を目にしている方はどれくらいいるだろうか?
誰ひとり取り残さないためには、人口や資本の集中化、そして気候危機のしわ寄せを誰かに被せるわけにはいかない。そのためには、人びとの環境知性を向上させることで自然環境のダメージを減少させる行動へとつなげ、「人からの搾取」「地球からの搾取」に頼らないビジネスを実践する必要がある。
果たして、「2030年までに」という危機感を持ってそれを実践しようとしている企業が、一体どれだけあるのだろうか?
SDGsの17の目標は、大きく分けると「環境」「社会」「経済」の3層から成っており、「SDGsウェディングケーキモデル」と呼ばれている。その考え方は、生物が暮らせる大気、水、土壌などの環境基盤があり、その上に健康や教育、平等や都市などの社会の土台が乗り、そこで初めて事業の成長や技術革新という経済が成り立つというものだ。
世界各国がこの考え方に則り進めていかなければ、どこかの誰かが犠牲となり食い物とされる。そこで生まれる経済格差は、VUCAとも呼ばれる社会経済環境の予測不可能性をより一層強める。
「誰ひとり取り残さない」という中心概念は、どこか遠い世界の誰かのためではなく、より良い世界でより良い市民としてより良く暮らしたい私たち一人ひとりのためにあるのだ。
■ そもそもビジネスとは誰かの課題を解決するもの。だが…
「そもそもビジネスというのは誰かの課題を解決するものであり、ビジネス規模が大きくなれば、解決する課題も同じように大きくなる。すなわち、既存ビジネス自体は既になんらかの社会課題を解決しているのだ。」
-- こうした言葉を耳にすることは少なくない。だが残念ながら、これは現実からはかけ離れている。なぜなら、現在私たちの身の回りで巨大化し続けている社会課題のほとんどが、既存ビジネスの発展から生まれてきているのだ。とりわけ、そのスピードは1990年代後半の市場原理主義の加速とほぼ同期して増している。
既存ビジネスをそのままSDGsの17の目標にマッピングし、「社会に貢献するビジネスを行なっています」と統合レポートなどを通じて伝えたところで、これまでと同じことをしているだけなら課題が解決するわけははない。酷くなる流れを食い止めることにも、問題の進行スピードを遅くすることにも役立たないだろう。なぜなら、そのビジネス自体が問題発生に加担しているのだから。
「私たちのビジネスは違う!」という人もいるだろう。ただそのビジネスは、目の前に差し迫りつつある課題を止める、あるいは弱めているだろうか? もはや「悪化させてはいないんだからいいだろう」という状況ではない。それが「課題山積社会」を作り上げてしまったのだから。
■ デジタル・トランスフォーメーションとCSV
前段がすっかり長くなってしまったが、言いたいことは非常にシンプルだ。
「2025年の崖」というバズワードを生み出した経済産業省の通称「DXレポート」以降、営利組織にとってデジタル・トランスフォーメーションや先進テクノロジーの導入は、もはややって当然で、「やらなければ生き残れない」と考えられるようになった。
だが、なぜやらなければ生き残れないのか。それが十分理解されていないのではないだろうか。
DXは、ビジネスの世界で生き残るための免罪符ではない。
DXは「現代へのアップデート」であり、その中心は企業ではなく社会だ。生活にデジタルがしっかりと組み込まれ、社会基盤となるのだから、企業もそれにアジャストするのは当然だ。だがそこからさらに一歩踏み込み、企業は時代の要請に追いつくためだけではなく、社会モデル変革の一旦を担える存在へと変革しなければならない。
なぜなら、先進テクノロジーは、新たな価値づくりという目的を達成するための道具に過ぎず、市民は、その目線で企業を評価するようになってきているからだ。
組織は、その道具を用いて市民が求める新たな価値を、市民と共に作り上げていかなければならない。
生活の足元を支える環境も経済もボロボロと崩れ落ち始めていて、それに対してアクションを取ろうとする組織が支援され、アクションを取らない者は退場を迫られる。2011年に経営学者マイケル・ポーターが提唱した「共有価値の創造 (CSV: Creating Shared Value)」が、いよいよ本格化していく時代となったのだ。
「それは日本ではまだまだ先のこと」 -- そんな風に考える人もいるかもしれない。
しかし経済的にも社会的にも多くの面を諸外国とのバランスで成り立たせている日本社会は、むしろその影響を早く受けるであろう。
次回は「グリーンニューディール」と「第三次産業革命」というキーワード、そして「格差を広げる独占から、調和に近づく共有型競争へ」という視座から、今後のテクノロジーとビジネスの関係性を見ていく。
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八木橋パチ(やぎはしぱち)
日本アイ・ビー・エムにて先進テクノロジーの社会実装を推進するコラボレーション・エナジャイザー。<#混ぜなきゃ危険>をキーワードに、人や組織をつなぎ混ぜ合わしている。
運用サイト: AI Applications Blog
某サイトに寄稿したものの、ボツになってしまいました…。そんなわけで、いつもとは違うトーンになっております。
Happy Collaboration!