都会型の会話と田舎型の会話
「すき間時間がなくなった」って声をよく耳にするようになりました。それからちょっとした雑談もずいぶん減ってしまったって。COVIDの関係で、オンラインでの活動が増えたり必要時以外に口を開くことがためらわれたり。
乗り合わせたエレベーターで近況報告。打ち合わせと打ち合わせの間の短い移動時間での会話。ランチで隣のテーブルから聞こえてくる世間話。
こういうオフラインでのつながりの確認とか、偶発的な出会いがなくなったことって、意識していないとなかなか埋め合わせられないですよね。そもそも、失ったことにすら気づかなかったままになっちゃうこともあるし。
人によっては「無駄が省けて効率的になった!」って、キラキラした目につきやすい側だけを見て終わらせてしまったり。
おれもずいぶん長いこと「オンラインだけのコミュニケーション」をしているうちに、自分にもそんな時間の使い方が染み込んじゃっていたことに気がつきました。
「わざわざ人に直接会う」のなら、なんらかの意義が欲しいとか、そこで価値を生み出したいとか。
…昔からそういう傾向はあったけど、それが強くなったような気がします。
唐突ですが、おれは「都会型の会話のしかたをする人」です。
あなたはどうですか? 「都会型の会話のしかた」をしますか。それとも「田舎型の会話のしかた」をしますか?
自分の周りをぐるりと見渡す限り、俺の周りはほとんどみんな「都会型の会話のしかた」をしている人ばかりな気がします。
…「都会型の会話のしかた」って何だろうって気になりますよね…こんな感じです。
ますます分かりづらくしちゃったかな?
シンプルに表現すれば、会話を通じてものごとを進めるたがるのが都会型の会話のしかたで、その場に止まり気持ちを受け止めるのが田舎型の会話のしかただ。
「関係性を深めるための会話のしかた」という言い方もできそうだ。関係性を深めれば、急がなくても自然とものごとは進む、と。
僕たちは、本当はもっとじっくりこの場にとどまり、そんなに急がせず、ゆっくりと話が発酵していくのを待つべきなのかもしれない。
指で突ついたりちょっかい出したりせず、膨らんでくるのをゆっくりと待って。
せめて、もう少しだけでも寝かせてみることを意識するようにしてみてもいいのかも。
とは言え、日々は忙しく時間は1日たったの24時間だ。
必要性も意味も効率も情報も、「そんなの関係ない」と言ってられる時間はそんなにない。
…でも、「そんなにない」のと「まったくない」は大違いだ。
少しだけでもいいから、そういう時間を持とう。本当に何もかも急がなきゃいけないんだっけ?
Happy Collaboration!