Collaboration Energizer | #混ぜなきゃ危険 | 八木橋パチ

コラボレーション・エナジャイザーとは、コラボレーションの場を作り、場のエネルギーを高め、何かが生みだされることを支援する人

失敗ってあきらめることでしょ?

最近、「失敗」が気になっている。

と書くと、「年末のちょっと華やいだ雰囲気がただようこの時期になぜ?」と言われそうですが、、こればっかりはしょうがない。だって気になるんだもん。

■何を持って失敗と判断しているのか? あらかじめ期間や結果判断の尺度が決められている「目標」に対して、それに達しなければ周囲から失敗と判断される。これは仕方のないことだと思う。

でも、「周囲の判断」や「周りに対して失敗を認める」ことと、自分が自分自身に対して「失敗だった」と認める必要があるかどうかは別の話じゃないでしょうか。
「仕事では常にセットした/された目標を上回らなきゃ意味がないだろ。何を甘っちょろいことを言ってるんだ!」 という意見も当然あるとは思いますが、自分が次につなげられる「何か」をそこから得ることができたら、「自分全体ビュー」として見るとそれは失敗じゃないですよね。

ですからもちろん、外に対して「失敗を認める」ことは必要ですけど、それをしているうちに自分自身まで「失敗だった」と思い込んじゃって、なぜか自分への言い訳を探しだすような、そんなことにならないように気をつけた方がいいんじゃない、ということです。 ということで、私は周りには「失敗しました」と言いますが、心のどこかでは「ちょっとつまずいただけさ」と思うようにしています。

■必要以上に急いで「失敗」と判断していないか?

これは前回書いたエントリー『>インフォバーンさん主催のトークセッション"斉藤徹 × 佐藤尚之 × 小林弘人" に参加してきました』のイベントで、さとなおさんが「せんとくん」を題材としておっしゃられていたことでもあるのですが、「当初の評価や反響が180度変わってしまうことも珍しくない」ということです。

pachi.hatenablog.com

著書の『明日のコミュニケーション』でも書かれていましたが、奈良県のマスコットキャラクター、せんとくんが「デビュー」した時の叩かれっぷりっの酷さ、そしてそこからの評価の変化はとても興味深いものでした。 (Wikipediaにも書かれているので、興味のある方は一度読んでみてください。)

ここで言いたいことは、自分自身が諦めずに続けていけば、状況が変わることだってあるさということです。 よく言われる言葉だけど、「失敗とはあきらめること」なんじゃないでしょうか。 ギブアップしなければゲームは続く!

 

社内SNSのブログやグループ(コミュニティー)機能における失敗とは

突然「本業」に関係してくるのですが、社内外でちょくちょく「失敗しないブログのコツってなんでしょうか」という質問を貰ったり、「SNSのコミュニティーで失敗してしまいました」なんて話を聞くことがあります。 そして、相手の方に「失敗って具体的にはどんなことですか?」と聞くと、「スタートしてから1ケ月経つけど、書き込み数もメンバー数も増えないんです」ということを言われます。

これって、失敗ですか?

書き込み数やメンバー数の増加だけがそのグループやコミュニティーの目的だとすればそうかもしれませんが、本当に目的はそれだけだったんでしょうか? グループやコミュニティーで「人のつながりを生み出す~強める」ことができていれば、それは一つの成果ですよね、そしてグループに価値を見出しているメンバーがいれば、それも成果だと思うんですよ。 屁理屈みたいに聞こえるかもしれないけど、「まだ成功していない」だけじゃないか、と。

「失敗しないブログのコツ」とも関係してくるのですが、結局先ほど書いたように、失敗とは「あきらめて止めること」なんじゃないでしょうか。

新たな展開や発想につながり発展的に解消したとか、方向を変えて再スタートしたとか、そういう止めかたは全然OKだと思いますが、「想い」があるものや「自分らしさ」に関係することについては、そう簡単に失敗を認めず「軽くつまずいただけさ」ってうそぶきながら、続けることが大切なんじゃないかな。

ま、一方でどうでもいいことに対しては「早めに見切る大切さ」があるのも事実、だとは感じますけどね。

Happy Collaboration!