Collaboration Energizer | #混ぜなきゃ危険 | 八木橋パチ

コラボレーション・エナジャイザーとは、コラボレーションの場を作り、場のエネルギーを高め、何かが生みだされることを支援する人

救われない話とエンターテインメント、あるいはセルマソングス

uneasy(不安)でありながらuncomfortable(不快)にしないこと。それがエンターテインメントとして恐怖や絶望を描く上でのルールだ。 --そんなことを誰かが書いていて、エンターテインメントにもアートにも漠然と憧れ惹かれる一般人の私は<なるほどそういうことなのか>と思いました。

 

しかし、実際にはこれは何も言っていないのに等しい、とも言えるんじゃないか。

なぜなら、人それぞれの中に眠る不安と不快からは、おびただしい数の紐がさまざまな強度を持って生えていて、その紐たちは複雑に絡み合いながら、その一本一本の逆側にありとあらゆるものを繋げているから。

その一本一本を紐解いて、万人に当てはまるように不安と不快を線引きしようとしたり、不快の側に届くものを根こそぎ取り除いていくと、そこには底の浅いぺらぺらな「エンタメ」しか残らない。

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もやっとしたものを、もやっとしたままで自分の中に置いておけることの大切さが増している気がする。

グレーな部分をグレーなままで置いておき、「(仮)」と書かれたラベルを付けた輪郭だけを描いておく。そして座りが悪くてもそのままにしておくことができること。何らかの判断を下さなきゃいけないときにだけ、そのグレーの濃淡を自分の基準で判断できるように。

 

同じように、「救われない話」を救われないまま自分の中に取り込むことの意味も増している気がする。

世の中にはどうにもならないことがある。そのどうにもならないとどう付き合うのか。どうにもならないとどう暮らしていくか。

 

諦めや無抵抗や見て見ぬ振りをしていこうと言っているわけじゃない。ただ、「その逆だ」と言ってしまうのもまた違う気もする。

「救われないまま終わることはある」し「特段それが珍しいことでもない」と一度理解するということ。その理解の基から歩を進めるということ。それを腹に据え、ときどき意識しながらじゃないと、救われない話を救われないが故に遠ざけたり、非難したり、見過ごそうとしたりしてしまうんじゃないだろうか。

あるいは原則論的なきれいな回答や紋切り型の言葉とセットにして「はい次」と、無理やり終わらせることになってしまうんじゃないだろうか。

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ギャンブルが教えてくれるのは、「なんだよそれ!」とつい声を荒げてしまうほどの偶然が連続して起きることがあり、その結果想像を大きく超えた痛い目に会わされることもあるということ。そして人が(自分が)窮地に立つと、どんな思考回路に入るか、どんな行動を取るかも教えてくれる(他にもあるが)。

子ども時代のケンカが教えてくれるのは、何をどうするとどれくらいのダメージが双方に残るかだ。そして、どんなリスクがそこにあるのかを、失うものがどれくらいの大きさになりそうかを学ぶ。そして自分がどうしたって勝てない相手がいるってことも。

 

「どんどんギャンブルしよう、どんどんケンカしよう」なんて言えない世の中で、私たちにはエンターテインメントとアートがある。

雪だるま式に大きくなっていく恐怖や痛みに絡め取られていく…。あるいは抗うことのできないような大きな力に組み伏せられて飲み込まれていく。そんな不条理を描きだす物語や映画は、それが自分や自分の回りにも起き得ることを教えてくれる。

だけど今、そうした学びを与えてくれる、あるいは思い起こさせてくれるエンターテインメントやアートがはたしてどれだけあるだろうか?

「博打なんていけません。殴り合いなんてダメです。」「努力は報われるべき。弱者は救われるべきです。」 --そんな、どこからか聞こえてくる声にすべてを「こちら側」へと塗り替えた「エンタメ」には、まるでホワイトニングされた前歯のようなハッピーエンドがよく映える。

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長々とポエムを書いてきました。きっかけとなったのは、ちょうど先日、田崎 健太さんの『真説・長州力 1951‐2015』を読み終えた夜に、友人が「映画を二本観てきた。一本は最高でもう一つはなんじゃこりゃってやつ。オデッセイとダンサー・イン・ザ・ダーク。」と書いていたから。

思わず「ちょっと待ってくれ!」と声を上げてしまいました。

私にとってはこの2本が、これまで書いてきたことを表すまさに両極だったからです。

 

ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、私にとって一番重要な映画です。

大の映画ファンというわけでもなく、アートとエンタメにもほどほどの興味しかない私ですが、これ以上に衝撃を受けた映画はありません。映画館で観た後にDVDも買いました。

ただ、DVDは何度となく手に取りそのパッケージを眺めていますが、1度しか観ていません。なぜなら、観たあとに心が揺さぶられすぎて、数日間いろいろなことが手に付かなくなる可能性が高いから…。

でも観たい…となったときは『セルマソングス~ミュージック・フロム・ダンサー・イン・ザ・ダーク』のCDを聴くようにしています。


www.youtube.com

ダンサー・イン・ザ・ダーク』は最高です。おススメしません。

Happy Collaboration!