Collaboration Energizer | #混ぜなきゃ危険 | 八木橋パチ

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iPhone14 Proを買うときに自分に起こったこと

「それはあなたが高いものを買うのに慣れていないだけでしょう」って声も頭の中で聞こえてはいるんだけど、iPhone14 Proを買うときに自分に起こったことが割と興味深かったのでメモしておきたい。なんだか、いろいろ自分ごとになった感。

これは本題ではないんだけど、まず、なぜ買おうと思ったのか。

おれは道具に対しては「高い満足を得たい」というよりは「強い不満を感じたくない」というタイプだ。そして新しいものに飛びつくタイプでもなく、自分が最新機能的なものを使いこなせるとも思っていない。そんなおれはここ数年iPhone SE(第2世代)で満足していた。

だが、先日iPhone13 Proでテキトーに写真を撮られて、それを見てビックリしたのだ。「え、こんなに雑に撮ってもキレイじゃん!」って。

これまでも何度か「新しいiPhoneの写真はキレイだねぇ」と思う場面はあった。でも、それは撮る人や撮り方に「なるほどね」があったのだ。写真を撮る前の準備や後工程であったり、撮り方の工夫であったり。

でも、その自撮り棒で雑に撮った写真はすごくキレイだった。

 

「よし、じゃあおれも買おう」とこうしてなったけれども、ここでぶつかったのが「高いお金をかけてキレイな写真を撮る必要なんて、おれにあるんだっけ?」という問い。

そしてその問いにはペアとなるもう1つの問いがある。「スマホに15万円もかけるような、そんな価値観で生きているんだっけおれ?」

 

この問いに答えをくれたのが、友人の一言だった。

「僕も違和感を感じていたんです。でも、写真撮ってパッと見せると『キレイに撮れてる!』って相手に喜んでもらえることがすごく増えました。今では、みんなが喜ぶ機会を得ることができたのでよかったって思っています」。

なるほど! みんなの笑顔が増えるならお金かける価値はあるね!!

それに、おれは記者のはしくれで、写真を撮ることも仕事の一部だしね。「え、そのiPhoneで写真撮るんですか?」って、これまでに何人か取材させてもらった方にに言われたこともあったな。
「仕事だから」をいろんなことの言い訳にしてしまうの、本当はよくないことだと思っているんだけど、でも、まだ現実には自分の中でその価値観は決して小さくないんだよなぁ。

 

ということで、昨夜注文しました。

「いや、Appleで注文しても電気量販店で注文しても、納品時期は変わらないと思いますよ。『Appleストアの方が良い点』ですか? うーん、間違って注文してしまった場合、2週間以内だったら返品できるってことくらいですね。値段もかなりするものですから、ポイント還元とかあるならお得なところで買った方がいいんじゃないですかね?」ってAppleストアの店員さんに言われたのでBicカメラで。配達時期不明。

 

それで、実はここからが今回自分にとって1番の発見で、これを書いておこうと思った理由なんですが、色を決めるのに迷う自分にビックリしたんです。

はて、何が自分を迷わせているのか? と考えてみたところ、それが「失敗したくない」だったんですよね…。

 

ディープパープル、ゴールド、シルバー、スペースブラック。

どれもキレイで、どの色にも惹かれます。「一番人気はスペースブラック」「ディープパープルがあるのは14だけ」「上品さで言えばやっぱりゴールド」と、みんないろんな理由を言っています。ただ、ストアで実際に見てみても「この色のがいい!」と心に浮かぶものはありませんでした。

じゃあどの色でもいいじゃんって話なんですが、なぜか、「選ばなかった色の方が良かったって、後から感じたくない。思いたくない。」という意識が強く働いているのだと気づきました。

 

どれ「も」いいは、どれ「でも」いいであり、どれ「が」いいではない…。

選ばなければ、後悔することはないのです。好きなもの1つを選ぶということは、それ以外の3つの可能性を消し去ることであり、正解、あるいは成功が仮に1つだとしたら、失敗する確率の方が3倍高いということになります。

 

…と、ここまで考えた段階で、「これって、最近あちこちで話している『自分の道は自分で決めた方が良い。自分で選択することが大切』って話と同じじゃん」と思ったわけです。

最近の若者は自分で選べないとか、自分の意見を言うのはカッコ悪いとか、そもそも意志表明することがイミフとか、いろんなことが世代論・若者論的に言われているけれど、失敗したくないが前面に出てきた自分となんら変わらないなぁって。

少なくともおれの中にはそういう要素があって、それをネガティブなものとして受け止めている。

みんなはどうなんだろう? 自分の中にそういうのがあるからこそ、それを認めたくなくて否定したり非難したりしている…?

最近読んだ本に<とりわけ人が攻撃的になるのは、守ろうとする信念が間違っていると心の底でわかっている時>という言葉があったのを思い出しました。

さっき、「好きなもの選ぶということはそれ以外の可能性を消し去ることであり、失敗する確率を高めること」と書きました。みんなはそれについてどう思うんだろう?

それから、「好きなものがない中で選ぶということ」についても聞いてみたい。

みんな、どれくらい好きなものがない中で選んでいて、それに対してどんな思いを抱いているのだろう? もはや当たり前過ぎて、なんとも感じない?

 

さて、いつ届くことやら。