飼い馴らされない野鴨インタビュー
— 反応はいかがでしたか? インタビュー記事への。
なんか、すごい「良かった!」ってフィードバックが多くて、すっかり嬉しくなっちゃいました。 インタビュアーがソフィアの森口さんで、久しぶりに会えて嬉しかったんだよね。それに、ライターさんもカメラマンさんもいい人たちで、すごくリラックスしたインタビューでした。
— ご家族の、特にお母様のエピソードに感激された方も多いようです。
うん。あの「おふくろが先生に食ってかかった」っていう話はおれ自身も大好き。昔、自分でも『ろくな大人』ってブログに書いたことがあって、今でも思い出すと込み上げるものがあるの。 多分、その思い入れの強さがライターさんにも伝わったんじゃないかなぁ。
— インタビューはどれくらいの時間されたんですか?
2時間以上。おれって、ものすごいおしゃべりなの。知ってた?
— …それはもう、よーく知ってますよ。。。
でしょ(笑)。だから、ライターさんは相当大変だったと思うよ。どの話を記事にするか。
— 読んでいて、なんだかパチさんと話をしてるような気分になりました。
それ、何人かの方にも言われたの。多分、普段話していることを普段話している調子で語したからじゃないかな 真面目な調子でかたく話すの好きじゃないし。っていうか苦手。っていうかできないww
— よく読むと、一人称に「ぼく」と「おれ」とが混ざってますよね。
おお! よく気がつきましたねさすが! そうなんです。記事の公開前にソフィアさんから内容確認の依頼をもらったんだけど、そのとき唯一リクエストしたのが一人称の変更だったんです。 元原稿では、「ぼく」に統一されてたんだよね。それで最初、全部「おれ」にしてもらったんだけど、それはそれでまたなんか違和感があって。で、結局この形に落ちつきました。
— 今回は全部「おれ」ですね。
そう。このインタビュー記事を境に、一人称の基本形をひらがなの「おれ」にしました。おれ自身これまであんまり「俺」にしっくりきてなくてさ。
— そうだったんですか。あ、それから「勝手完璧主義」とか「足すくみ屋さん」とか、聞き慣れない言葉も…
あれねー。おれが使ったのかな? 両方とも最初に言い出したのは森口さんだったような気もする。
— 「こんなに丸いパチ、おれの知ってるパチじゃない!」みたいな声も聞こえてきました。
いやー、どうなんだろ。でも、1対1で話をしているときは、だいたいいつもこんな感じだと思うけどなー。集団でのディスカッションとかじゃないときはさ。
— それってどういう意味ですか? グループのときと2人で話すときと、話し方とか人格とかを変えてる?
そんなことないそんなことない。ただ、おれのことを「空気を読まない人」って思っている人も少なくないみたいなんだけど、おれは「おれの空気の読み方」をほぼ無意識にしちゃうくせがあって。
— …なんだかよく分からないんですけど…
あのね、おれ、同調圧力的な空気が漂い始めたり、行儀正しいことを言わなきゃいけなさそうってムードを感じると、必ず一度はぶち壊したくなるの。で、そういうディスカッションの拡げ方…まあ、「お前のは壊し方だろ」っていう人もいるんだけどさ、それがうまくいかなかったり、あとは単純に調子にノリ過ぎたりすると、ドンドン尖っちゃうこともなくはないかな。 でもさ、そういう空気って普通1対1とかの場では生まれないじゃない? それに、今回はディスカッションじゃなくて自分語りに近かったからね。
— 自分語り。なるほどたしかに。
あ、でも、幸福とかwell-beingという概念とか、それが意味することやもたらすものについては、結構熱く語ってたかも。
— どんな話だったんですか?
自己呈示と自己開示。この両方が揃っている状態が深い幸福感につながるんじゃないかっていう仮説をおれ持ってるの。 今、ソーシャルウェブの発達やつながりの時代みたいな言われ方をする中で、自分がどれだけgoodかをアピールする場が増えているじゃない? それから別にオンラインだけじゃなくて、職場でもみんな「私は仕事できますよ。やってますよ。頑張ってますよ」っていうアピールを常にしていなきゃいけない感じになっているでしょ。
— たしかに。出る杭になれ、アピールしないと損するぞ、みたいな言説が目に付きますね。
これは受ける側の視点に立つと、他人のgoodな部分ばかりが目に飛び込んでくる時代になっているってわけ。ある意味「盛った人物像」に囲まれ生活している状態。 それに対してライバル心とか嫉妬心とか持っていたら、そりゃ焦りとか劣等感を感じるよね。「やばい、おれ負けてる。なんとかしなきゃ!」ってさ。そうじゃなくて、周囲の人たちの「盛られた姿」を一緒に喜んだり楽しんだりできる気持ちの持ち方を手にした方がいい。「へー幸せそうでいいじゃない。よかったねー」って。 だって別に、その人と数少ない幸せを取り合ってるわけじゃないんだから、誰かが幸せになったって自分が不幸になるわけじゃないんだからさ。あ、ちなみに周囲に幸せな人がいると、自分が幸せになる確率が25%上がるっていう研究データもあるの、知ってる?
— はい。物理的な距離が近ければ確率がもっと上がるんですよね、たしか。
おー詳しいね! そうそう。でね、じゃあ自分も負けずにってアピールしようとする、つまり自己呈示する側に回って、同じように盛ろう盛ろうとばっかりしているとね、やっぱり疲れちゃうんだよ。それに、思うように受け取ってもらえなかったり、いいねがつかなかったりすることもあるわけさ。 でね、こうやって周りに盛ったり盛られたりしている時間や関係性が増えてくると、人が欲しくなるのは、というか必要としてくるのは、盛る前の本当の姿だったり、むしろ盛るとは反対側にある隠している姿を受け入れてもらうことだと思うんだよ。弱さとかダメさとかを開示して、それでもいいんだよって認めてもらいたくなる。 でも、それにはまず自分自身が自分の弱さを認める必要がある。そしてそれを開示して伝えて認めてもらって受けとめてもらって、自己受容だとかそこからくるより深い本当の幸福感を手に入れられるんじゃないかって。これが、今っている時代性が、自己呈示と自己開示の両面を必要性を高めているんじゃないかっている仮説。 まだ、十分うまく言語化できないところもあるん
— …あのー。そろそろ…
あ! …森口さんのときもこんなだったかもww
— 最後に、インタビュー記事について「これはぜひ言っておきたい」ってことがあればお願いします。
このシリーズの<遊撃手人材>ってネーミングがいいよね。野球にはあまり詳しくないんだけど、ポジション名として圧倒的にカッコいいよね遊撃手。他は投手だの二塁手だの、左翼だ右翼だって。
あ、そうだっけ。ほら、おれ野球詳しくないから。ともあれ、スポーツのカッコいいポジション名決定トーナメントがあったら、決勝戦でサッカーのリベロとあたるよね。
— …なんか、もっと締めにふさわしい話ないんですか?
うーんとうーんと、あ! そうそう。取材後期で<Happy Collaboration!>っていう締めの言葉を取り上げてもらったんだけど、これ、おれ自身への言葉でもあって儀式でもあるの。
— 儀式?
ブログってさ、場合によっては辛辣な見方を提示したり非難のメッセージも書くじゃない? でも最後にHappy Collaboration! って書いてさ、「ちゃんとHappyになろうっていう気持ちだったり、そのための言葉がここにあるか」を見直すというか、問い直すっていうかさ。
— 最後にふさわしい、いいお話ありがとうございました。
まあ本当は今、思いついたんだけどね(笑)。
以上、自作自演インタビューでした。
なお、この記事とは違って「第3回日本アイ・ビー・エム株式会社・八木橋 パチ 昌也さん “飼い馴らされない野鴨”の精神をつらぬく」は本当のリアルなインタビューですのでお間違えなく!
Happy Collaboration!