九州ふっこう割で大分旅行に行ってきました
旅は日常の延長線上にあるのか。あるいは日常とは旅と旅をつなぐ線でしかないのか。 --失礼。旅は、凡人に詩人を気取らせます。
「九州ふっこう割」というお得なプログラムを利用して、夫婦2人で別府の温泉街に宿を取り、レンタカーで大分県のあちらこちらを周ってきました。
あー楽しかった。また行きたい!
さて、地震からの復興支援を目的とした九州ふっこう割を使い楽しい思いをさせていただいたのですから、私たちが見た大分の様子を紹介します。
まず、地震の爪痕を外見から感じるのは、まれに屋根にブルーシートを張った家を見かけたときくらいでした。
後もう一つは、乙原の滝という別府の隠れ名滝への山道が、地震の影響で通れなくなってしまっていたことくらいです。
それ以外で地震の存在を思い出したのは、地元の商店の方たちとおしゃべりをしていたときだけでした(ところで、大分の人たちってみんなとっても話好きじゃないですか? ちょっと話しかけると、びっくりするくらいみんないろんな話を聞かせてくれました)。
「大分は九州の中でも際立つ観光県だから、やっぱり人が来てくれなきゃ元気になれないの。どんな仕事も、相手がいるからやりがいを持てる。地震があって、どれだけ来てくれることがありがたいことかを、改めて思い出したわよ」 --こんな言葉を何人かから聞きました。
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さて、話は少し変わりますが、皆さんはどんなスタイルの旅が好きですか?
ちょうど旅行中に読んでいた、行動経済学の権威であるダン・アリエリー教授が書いた『アリエリー教授の人生相談室』に、「旅に何を求めるか」について書かれていました。
「なるほど」ととても共感できたので、ここで少し紹介します。
旅先なのにおなじみのチェーン店に行き、おなじみの料理やおなじみのアイスクリームさえ注文してしまうのは、私たちが確実な物事に惹かれるからだ(…)
「利益の喜びより、損失の悲しみの方が大きい」という損失回避の心理法則を考えると、惨めな経験をする不安が重くのしかかり、リスクを冒して新しいことを試す気にはなかなかなれない(…)
休暇は職場を離れる二週間だけのことじゃない。どんな旅行になるだろうと心待ちにし、想像をめぐらせながら過ごす時間も、帰ってから旅行中のすてきな瞬間を思い返す時間も休暇のうちなんだ。休暇の三つの楽しみ方--期待に胸をふくらませ、旅行そのものを楽しみ、あとから思い出をかみしめる--のうち、一番時間が短いのは、実際に旅行している時間だ。
旅先で、ついつい無難なものやことを選んでしまいそうなときには、この「休暇を思い返す時間も休暇のうち」という言葉を思い出そうと思います。次のエピソードと一緒にね。
ダンへ 腹ぺこのときに、サンドイッチを二個食べるとする。一個がとてもおいしくて、もう一個がイマイチなら、どっちを先に食べるべき?パブロより
(…)
この思考実験は要するに、どんな経験からもできるだけ大きな楽しみを引き出そうとするタイプなのか、それとも経験のどん底の部分--最低レベル--を避けたいと思うタイプなのかを尋ねている。 君の質問に答える前にもう一つ、感受性の低下について説明しておこう。どんな料理を食べるときも最初の一口(一番お腹が空いているとき)が一番おいしく、二口めはおいしさがやや薄れ、最後の一口は一番喜びが少ないんだ(スペインの作家セルバンテスも『ドン・キホーテ』のなかで、「空腹は最上の調味料である」といっている)。(…)
私としては「一番よいものは最後にとっておく」なんて教えは無視して、一番楽しみが大きい部分に集中し、おいしいサンドイッチを先に食べたい。
旅をしながら生きたいと思っていました。でも、そんなの無理だって思うようになっていました。
でも、よく考えたら、物理的な移動をともなわなくても、旅するように暮らせそうな気もします。
何度も何度もその幸福を反芻できるよう、一つひとつの幸せを最大化しようと暮らしていけばいいんだ、きっと。
大分に滞在中、強力にネガティブな出来事が一つありました。でも、それですら苦々しい気持ちとどう向き合って折り合いをつけ、どう脳内に残すかは自分次第だと今は思っています。
いくらかのネガティブは、旅に奥行きや深みを与え、幸せを引き立たせるスパイスに過ぎないって。
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