Collaboration Energizer | #混ぜなきゃ危険 | 八木橋パチ

コラボレーション・エナジャイザーとは、コラボレーションの場を作り、場のエネルギーを高め、何かが生みだされることを支援する人

今、求められている理想のコミュニティー

 

イメージ先日ブログに『グループとチームとコミュニティーの違い』というタイトルで、「コミュニティーとチームとグループの違い」を見ていくことで私の感じている「コミュニティーってなんなのさ?」を炙り出そうという記事を書きました。

そして、ここで一度アウトプットしたものをベースに、東京でEGMフォーラムをはじめとした仲間たちとがっつりディスカッションをしたり、関西でソーシャルシフトに取り組んでる仲間やお客様とも意見交換をしたりと、インプットとアウトプットを、オンラインとオフラインを、そして集団脳と個人脳を行ったり来たりしながら考えを深めさせています。

こうして高速スパイラルさせていると、私の小さな脳ミソではスイッチングの際に、どうしてもいろんなものを落としたり抜かしたりしてしまいます。

なので、小まめに何らかの形にアウトプットをしていく必要があるんですよね。そして、大きなものや深いものはブログが一番しっくりきます。

今回は、インプットの量が莫大だったこともあり、アウトプットに相当な時間がかかってしまいました…。

でも、じっくり形式化してアウトプットすれば、次の発想やチャレンジにつながる意見やアイデアが集まってきやすいものだと経験的に感じています。

きっと、みんな、このエントリーに対して意見やコメントをくれることでしょう(いや、ほんとお願いします!)

というわけで、今回は前回に続きもう一度グループとチームとコミュニティーを再整理し、そこからなぜ今そうなっているのか、そしてこれからのコミュニティーの行き先を考えていこうと思います。

私のイメージするグループとチームとコミュニティーの特徴です。

例外的なものやバリエーションを考え出すときりがないので、ここではシンプル過ぎるほどシンプルにしています。


●チーム

  • 機能体として、達成しようとする目標や目的を共有したメンバーから成っている。イメージ
  • リーダーは、目的達成を第一に考えて動く。
  • 典型例: プロジェクトチームやなでしこジャパン

●グループ

  • 2人以上の集団はすべてグループ。自己保全を目的としているケースも多い。
  • リーダーは、波風を立てないことを第一に考えて役割を演じる。
  • 典型例: 仲良しグループやサークル、班

●コミュニティー

  • 3人以上の集まりで、機能体や共同体、グループやチームを内包している。
  • リーダーに命令権限はなく、グループとチームの層の間は簡単に越えられる。
  • 典型例: んー、わかりません。今、新たに生まれてきているいろいろな「垣根」を越えようとしている数々のコミュニティー、あるいは新しい企業や事業、でしょうか?

上記の特徴を元に「今、求められているコミュニティー構造」として考えてみた図が以下です。

イメージ

3点だけ図を解説します:

  • コミュニティーは、チームとグループを包含しています。場合によっては、グループが複数の層から成ることもあります(例: 深く関与しているグループと、広義のステークホルダーからなるコミュニティー)。
  • チームやグループ間の層の垣根は低く、各メンバーの意思や意識、置かれている状況によりゆるやかに出入りできます。その流動性が沈滞感を遠ざけます。
  • 「コアな部分」とはいえ、チームはときどき真ん中からズレていきます。そんなときにはグループやコミュニティーの声や意見を聞き、調整や置き直しを繰り返します。

今の、コミュニティーへの注目やコミュニティーのあり方の変化は、「人のつながり」や「コラボレーションの母体」に対する人々の期待の変化を映し出しているのではないでしょうか。

これだけ複雑性が増している世の中で、「これはゲマインシャフトだ、ゲゼルシャフトだ」と簡単に区別できるコミュニティーも少ないでしょう。

ほとんどのコミュニティーが自身に多面性を持っていると思います。

良いなのか悪いことか、という話ではなく、一人ひとりが求める内容も期待も違えば、求め方も変化していくというのが前提であり、その上でつながって共働・協働していこうという人々の増加の表れだと思います。

そして、そんな人々がチームリーダーやグループリーダーに求めるのは、肩書きや権限でリードするリーダーではなく、メンバーそれぞれに異なる(心理的・物理的)立ち位置、視点の取り方、距離感を、リーダーが行動や態度で示す「意識の向き」を舵として形作られるコミュニティーではないでしょうか。

こうした変化の背景には、インターネットやソーシャルウェブにより、時間軸の捉え方が変わった今(なんのこと? という方は前回の記事『グループとチームとコミュニティーの違い』の前半をもう一度チェックです!)、「関係性の構築」を時間や場所に縛られる必要がなくなった今、これまでとは違う人間関係と、自分たちの力を発揮できる可能性を多くの人が感じているんだと思います。

念のために書きますが、もちろん、すべてのコミュニティーがそうであるとか、こうあるべきだとか言っているわけではありません。

「貢献せよ、さもなければ去れ」というスパルタ型コミュニティーや、「楽しければそれで良し」とか、「テストをパスした人だけが参加でき、常に中間チェックをクリアしなければならない」など、いろいろなタイプがあって良いと思うしあるべきだと思います。

イメージ

今、日々たくさんのコミュニティーが生まれ、日々たくさんのコミュニティーが廃れていくのも「今のコミュニティー」の特徴かもしれません(近いうちに改めて「エンゲージメント社会におけるコミュニティー」を深堀りしたいと思っています)。

その裏側にあるキーワードは「多様性と流動性」ではないでしょうか。

「多様性がいかに重要か」は、ここでは論じるまでもないでしょう。

これはコミュニティーをはじめ、あらゆる組織にあてはまることだと思います。

ただ、多様性を支えるのが流動性であり、移動の自由のないところに流動性がないことはあまり意識されていない気がしてなりません。

移動の自由とは、出入りのしやすさです。

出入りのしやすさがなければ、移動の自由は成り立たちません。

極端に言えば、ドアに固く鍵をかけ、合言葉の復唱を求め、人質を差し出せと求めながら「私たちは多様性を重視しそれを追い求める集まりです」と言われても、そこに移動の自由がないのは自明で、そのために流動性が生まれず多様性も花開かないのは想像に難くありません。

とは言え、常にドアを開け放し、完全に出入り自由な場とするのが難しいのも事実です。

実際にどのような形で進めて行けば「今、求められている理想のコミュニティー」が生まれ、育っていくのか…。

残念ながら、私たちにできるのは試し続けることだけだと思います。

そして私も、コミュニティーとコラボレーションの可能性を信じるチームやグループの仲間と一緒にそれを試し、積極的にその経過や考察をシェアすることでコミュニティーを形づくっていこうと思います。

Happy Collaboration!