Collaboration Energizer | #混ぜなきゃ危険 | 八木橋パチ

コラボレーション・エナジャイザーとは、コラボレーションの場を作り、場のエネルギーを高め、何かが生みだされることを支援する人

ウェルビーイングとジャーナリズムとLGBTQアライ | #混ぜなきゃ危険 @WORK MILLのふり返り

WORK MILLでの連載も15回目を超えました。読んでいただいている方、ありがとうございます。まだ読んだことない方やしばらくご無沙汰な方、直近の3つを振り返ってみますので興味を惹かれるものがあったらぜひ試しに読んでみてください。

 

私のウェルビーイングサステナビリティ | 八木橋パチの #混ぜなきゃ危険

もくじ

 

「未来デザイン調査室」というIBMの社内オンラインイベントでスピーカーをやった後、「時間あったらもっとこの話ししたかったなぁ」と思ったことを書いています。

まずは献血。いいですよー。おれもそろそろ前回の献血から3カ月経つのでまた行ってこようっと。

そしてボランティア。これまでのボランティア活動の体験から「自分に合うものに出会うまで、ゆっくりじっくり探すのがいいんじゃないかな?」ってことを書いています。
そしておれが出会ったのが、さぽうと21という、外国にルーツを持つ子どもへの勉強サポートを中心に活動している団体で、週に1〜2回勉強を教えています。


 この団体の特徴の1つが、世界の災害や紛争地域の最前線で支援活動を行なっているAAR(難民を助ける会)という歴史ある姉妹団体があること。合同での取り組みやイベントなども頻繁にあり、国内での支援とと海外での支援が地続きなことを感じさせてくれるんですよね。

おれにとってそれは、自分の身近なところでのボランティア活動が、世界をマシな場所へしようという大きな活動の一端となれているって感じさせてくれるのです。

 

そして最後に「自分自身のサステナビリティ」について。なぜか結構多くの人がサステナビリティという言葉を「自然環境に対する概念としての持続可能性」と感じているようですが、それだけではありません。もっと、自分自身や周囲の人のサステナビリティについて考えた方がいいと思います。

そして自分自身のサステナビリティを考えるということは、自分自身の回復力(レジリエンス)を考えることでもあります。

<疲れたら休めばいいと思う。ほんとうは疲れる前に休むほうがいいけど、休むのがへたくそな人って多いから>
<がんばりどころと、そうでないところを間違えてはいけない(…)働くのは、食うためだ。食うのは、生きるためだ。生きるための仕事で、死ぬな。>

寺地はるな 著『ミナトホテルの裏庭には』より


会社員とジャーナリズム | 八木橋パチの #混ぜなきゃ危険

もくじ

 

メインテーマは「会社員よもっと声を上げよう」ということなのですが、これはずーっと昔から考え続けていることだったりします。

ここ10年ほどで「パーパスやミッション」と「D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)」を謳う企業が大幅に増えましたよね。

それ自体は決して悪いことではないですが、その多くが社員に対して「自社のパーパスやミッションを理解し、それに合わせた実践をしてください」というところで止まっていないでしょうか?

本来であれば、「会社としてはこれです。皆さんそれぞれのパーパスやミッションはなんですか?」と、自社社員それぞれに見つめることを推奨すべきだし、それが会社として共感できるものであれば、積極的に応援するべきじゃないでしょうか。

「こちらはあなたのそれに何もしないけど、会社のそれは支援せよ。」はおかしいですよね。

 

「D&I」も同じです。

それを大事にする会社であるなら、社員個々人に自身の多様性をもっと社内で発揮してもらいやすくした方がいいし、「インクルージョン(包摂)が重要です」とフワッとした言葉で終わらせるのではなく、具体的に何がどうなっているのが「インクルージョンが具現化されているのか」をみんなで考える機会があって然りではないでしょうか(その取り組み自体が「インクルージョン実現の一部」じゃないかなって思う)。

 

ところで、本文中でチラッと触れている第一生命保険さんの「なりたい職業ランキング」、調査対象が「全国の小中高校生」となっていて、じっくり見ているといろいろおもしろいです。

たとえば

  •  男子は「鉄道の運転士」が少しずつ割合を下げながらも小学生から高校生までランクインしている。
  •  女子はYoutuberが圏外になるのが中学生からで、男子は高校生から。
  •  女子は小学生中学生と「漫画家」が同レベルで推移しているのに、高校生でいなくなる。
  •  男子も女子もなりたい理由上位に「誰かの役に立ちたいから」が小学生のときからあり、高校生になるまで割合は増え続けている
  •  男子はなりたい理由Top5に「収入が良さそう」が小学生からあり、女子は高校生で初登場する。
  •  小学生のときはTop3の合計割合が男女共に28%程度と同じくらいなのに、高校生ではそれぞれ44%と35%に。
  •  男子で1度だけランクインするのが「料理人/シェフ」「警察官」(小学生)、「eスポーツ選手」(中学生)「その他スポーツ選手」(高校生)
  •  女子で1度だけランクインするのが「Youtuber」「歌手/アイドル」(小学生)、「獣医」(中学生)、「ITエンジニア」「薬剤師」「トリマー/ペットショップ店員」(高校生)


LGBTQアライとして。ノンバイナリー(仮)として。 | 八木橋パチの #混ぜなきゃ危険

もくじ

 

「アンチLGBTQ」の流れが一部で強まっていると耳にしたとき、おれは「え? それってどこの国の話?」と最初に思いました。だって「不公正に虐げられ続けなきゃならない」のも「本当の自分を偽り続けなきゃならない」のも、誰にとってもいいことのワケないのが明白っていうのは、ほとんどの日本人にとっての共通認識だと思っていたから。

ところが…。身の回りの何人かに聞いてみたり話してみたりしたところ、実際に「アンチとまではいかないけれど、積極的に応援しようとは思っていない」という意見や、「なんであの人たちだけ特別視しなくちゃいけないの?」など、思っている以上にこうした声が多そうでした。

そっかー。そうなのかー。

 

このエッセイでは、なぜ「反LGBTQのスタンスなのか」の土台をおれなりに想像して以下3つを書いています。

  1.   自分がこれまで築いてきた「常識」、つまり「身の回りの社会や日常の在り方を支えている考え方」が変化してしまうと、自分自身や自分の考え方も危機に晒されてしまうのではないかという不安。
  2.  マイノリティーの権利主張が一体どこまで膨らんでいくのかという不安。それが広がり続けていくと、自分たちに与えられていた権利が削り取られていってしまうのではないか。
  3.   日常的に使っていた表現やユーモアとして楽しんできたものまでも、差別や偏見とされてしまう息苦しさ。非難がじき自分たちにも向かってくるのではないかという恐怖。

 

この3つ、実はどれもLGBTQに特有のことじゃないんですよね。あらゆるマイノリティーに対して当てはまるものだと思います。

自分たちが今使っている言葉や表現が使えなくなって、既存の権利も少しずつ減っていって、気づいたら「現在の自分」の存在までが危険な状態になってしまうのではないか…。

これ、今、改めて自分で書いてみると、おれにとってもものすごい恐怖です。っていうか、これが怖くない人っているの!?

 

それくらい、誰もが恐怖を感じ得ることにつながっているのは事実だと思います。

だからアライや当事者は「欲しいのは特別なものじゃない。みんなと同じ権利を同じだけ欲しいだけ」ってことを伝えていく必要があるのかなと感じています。

そしてそれをしっかりやっていくには、知識不足やアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見・思い込み)から表出した失言や表現を、「その言葉は人の心にダメージを与えるものだから、やめましょうよ」って、にっこり笑って指摘していくことなんじゃないかと思うのです。

 

ポイントは「にっこり笑って」(まあ実際にはそこまでにっこりじゃなくても構わないですが)。

要するに、それが剥き出しの悪意や敵意として提示されたものでなければ、的確にしかし柔らかく指摘するということ。

なぜかと言うと、「失敗が許されない」「失言をしたら(叱責)という制裁を受ける」という状況認識が今後さらに強くなってしまえば、おそらくLGBTQなどのマイノリティーに対する恐怖がますます強くなってしまうから。

 

実際にはマイノリティーが恐怖を与えているのではなく、マジョリティーが勝手に恐怖を感じているわけですが、「だから、私たちが変える必要はない。変わるべきはあなたたちだ」とそれに対して正論を言っていると物事は良い方向に変わっていかないんじゃないかなという気がします。

ここで大きな役割を果たせるのは、当事者よりもアライじゃないかな? だって、当事者には相当ツラいことだと思うんだよね。それでなくてもツラく憤りを感じる状態なのに、「もっと柔らかくしましょう」は…。

アライの皆さん、どう思われますか? ご意見お聞かせください!!

 

Happy Collaboration!