暗闇が伝えてくれたもの:「DIALOG IN THE DARK」
昨日は、とても貴重な体験をしてきました。
視覚以外のさまざまなコミュニケーション手段を使って、仲間と一緒に何かを考えて前に進んでいく
知っている人はこれだけでピンとくるんじゃないか? とも思いますが、「DIALOG IN THE DARK(ダイアログ・イン・ザ・ダーク / DID)」という、世界的な規模で実施されている体験型イベントに参加してきたんです。
プログラムは、目を開けていても閉じていても全く同じという本物の暗闇の中で、簡単なものから少しずつ難易度の高い課題にチームで取り組んでいくというワークショップが中心でした。
こちらは受付ロビーです。なので暗闇じゃありません(でも、結構照明を落としてあり、ちょっとボケた写真になってしまいました、と言い訳)。 実際の会場の写真は…真っ暗闇なので撮れません(カメラやケータイの持ち込みは禁止で、ロッカーに預けてから入場します)。 私が参加したのは、企業向けの研修プログラムとして提供されているもので、通常の90分程度の長さのDIDメニューよりもずっと長い、4時間にわたるものでした(暗闇でのワークショップはそのうちの約3時間)。
■ 相手を信頼するところからスタートしたほうが、ずっと深いコミュニケーションができる
「そんなの当たり前」とか「むやみに信用しろなんて」とか、そういう意見も当然あると思います。 でも、相手が自分を分かろうとしてくれていることを感じたら、そして相手に自分を分かって欲しいと本当に思っているのなら、少し大胆なくらいに、もう一歩相手の心に自分を近づけて、メッセージを伝えていった方がいいんだと強く思いました。
「傷つきたくない」という自衛の心を無くすことはできないと思うけど、率直に「今、自分はどういう気持ちで、どういうものを求めていて、どうして欲しいんだ」ということを自分から伝えていくことが、お互いの「傷つきたくない」という鎧を外していくことにつながっていくと改めて感じた経験でした。
■ 本物の傾聴がなければ本物の共感も生まれない
自分は普段、全身を使って相手のメッセージを受け取ろうとしているのか -- もちろん、忙しい日々の中で常に100パーセントを使うことはできないし、五感すべてを相手に向けられる時間はそう多くはありません。 でも、大切な場面ではやっぱり相手のメッセージをすべて受け止めようとする気持ち、理解したいという想いがあるとないとで大きな違いが生まれると思います。
人への興味、知りたいという欲求を強く持ち続けることで、本当の意味での「傾聴」ができるし、本物の傾聴がなければ本物の共感も生まれないのではないだろうかと考えさせられました。
■ 体の触れ合いは心の触れ合いの増幅装置
「心」や「想い」の触れあいがもっとも大切だという考えは、DIDを経験する前も後も変わっていません。 でも、大きく変わったのは、身体的な接触の持つ意味が自分の想像を遥かに上回るものだということに気がつけたこと。
「いい歳したオッサン」の自分は、相手が嫌がるんじゃないか? とか、変な誤解を与えるんじゃないか? とか、そんな心配がどうしてもあって、これまで相手の身体に触れることに必要以上に身構えていたんじゃないかと思います。
でも、ほんのわずかであっても、相手の手や腕、肩に触れていること、そして腕や肩、背中に触れられていることが伝えてくれるもの、ことの大きさときたら!
他にも、いろんな想いがあるけれど、一番強く「伝えたい」ってことを3つ書きました。
DIDのそもそものスタートや、IBMが研修としてDIDを取り上げることのベースには「視覚障がいを持つ人たちと同じ立場に身を置くことで、ダイバーシティをもっと身近なものとして考えよう」ということがあるのだろうと思いますが、障がいを持つ人やダイバーシティという観点だけではなく、「人としてのコミュニケーションそのもの」についてこれまで以上に広く、深く考えることができるようになったような気がします。
そして、「日本(人)には合わない」って意見もあるとは思うけど、握手やハグって文化を日本にも広げていきたいな、とも思ったり。
相手の気持ちが真っ先に来るのはあたりまえです。
でも、押し付けがましくない程度に、先陣を切ってみよう。積極的に握手を求めていこう、と思っています。
Happy Collaboration!