Collaboration Energizer | #混ぜなきゃ危険 | 八木橋パチ

コラボレーション・エナジャイザーとは、コラボレーションの場を作り、場のエネルギーを高め、何かが生みだされることを支援する人

煮え煮えフードロス

 

先週、東京都庁でのイベント「TOKYO×SDGs 都市における美しい資源循環モデルとは?」に、テーブルファシリテーターとして参加してきました。

プログラムディレクターの松尾 沙織さんが紹介した世界と日本の新しいフードロスへの取り組み事例は初めて見聞きする情報に溢れていました。 そして3人のゲストスピーカー、世界のエコビレッジに深い知見を持つ谷崎 テトラさんIBMの同僚でブロックチェーン技術を用いてより良い社会に近づけようと行動されている水上 賢さん、そして業界の常識を覆す完全予約制で「捨てないパン屋」を実現したパン屋「ボングー」坂巻 達也さんの話は、短い時間ながらとても本質的な問いを投げかけるものでした。

多くの参加者がフードロスに対する新しいアプローチやアクションプランを考えることができるイベントになったのではないかと思います。

 

で、ここからは内容についてではなく、イベントが始まるまでおれがずっとモヤモヤしていた点と、イベント中に頭の中で広がっていった考えについて書きます。

 

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■ 「美しい」資源循環モデルってなんだろう?

「都市における美しい資源循環モデルとは?」というイベントタイトルになんだかモヤっとするものを感じていたのですが、当日の朝、自分が引っ掛かりを覚えているのは「美しい」に対してだということに気がつきました。

その美しさは、誰が感じる美で、どこにつながる美なんだろうか。資源循環モデルに美を求めることは、もしかしたらその実現を遠ざけてしまうことになるんじゃないだろうか? -- そんなことが頭から離れませんでした。

 

そこからさらに「そもそも美ってなんだろう?」「多くの人びとに共通する美の基準があり、個人それぞれが持つ美の基準がある」とか、「1人の個人の中にも対象により異なる複数の美の基準がある」とか、そんなことを考えているうちに「あらゆる状況に適用される美も美の基準も存在しない」をスタート地点としようという考えに行きつきました。

さらにさらに、「アーティストとデザイナーとエンジニアの違い」というここ半年ほど繰り返し考え続けていることへと意識は流れ、現時点での仮定に行き着きました。

アーティストは、自身の中にある美を追求してコンセプトを立てる。 デザイナーは、そのコンセプトをさらに良くする方法を具現化する。 エンジニアは、具現化されたその方法を実装して使えるようにする。

 

人は誰でもアーティストでありデザイナーでありエンジニアです。その3要素をゆるやかに混ぜたりつなげたりしながら、時間を過ごしています。

とは言え、すべてをスキ無くこなす人はそうはいません。そもそも、そうする必要もできる必要もないでしょう。むしろ、1つしかできない人の方が、そこにおいてスペシャルな力を発揮しそうな気がします。

 

おれの中のアーティストが思う。

調和は美であり、調和しにくいものから成れば成るほど、その美しさは増す。

おれの中のデザイナーが思う。

「サーキュラー・エコノミー(循環経済)モデルをデザインするって、無数の大小さまざまな循環のデザインと、それを連ねるより大きなサーキュラーのデザインとからなるような気がする。

おれの中のエンジニアが思う。

サーキュラー・エコノミーをすばやく実装するには「それを実現させたい」と自らアクションを取る人を早く20%にすること、それからそんな彼らが大多数の人たちに好意的に受け止められる環境を作る必要がありそうだ。その2つを結ぶものはなんだろう?

 

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■ 「もったいない」ものだらけの地から

と、上に書いたことがイベント会場に着くまでに考えていたことでした。

ここからは会場に着き、イベントがスタートして、スピーカーたちの話やテーブルワークをしながら頭の中に広がっていったことを書きます。

 

フードロスを解消する一番のモチベーション、あるいはキーコンセプトはどうやら「もったいない」のようだ。でも、「食べ物を無駄にするなんてもったいない」をどれだけ訴えても、それだけで人々に迫っても、大多数の人たちの行動変容にはつながらないと思う。「もったいない」という気持ちが働く対象は食べ物だけではないから。

例えばコンビニや食品メーカーは、「機会ロス(販売チャンスを逃してしまうこと)」に対する「もったいない」と食べ物への「もったいない」の、どちらを取るかというジレンマに陥り、後者を選んできている。

多くの消費者は、冷蔵庫の奥に入れてその存在を忘れてしまったり、野菜の芯や葉などの一手間かければ美味しく食べれる部分を捨ててしまったりという、「自分の意識や手間にかける時間に対するもったいない」との板挟みだ。

 

そうした他の「もったいない」と食べ物に対する「もったいない」の関係性に変化を与えるもの -- 強制力を持った制度かもしれないし、新しいテクノロジーかもしれないし、価値観の軸をずらす出来事かもしれない -- が必要だ。

でも、それがなんだか思いつかない…。 もしかしたら「もったいない(失いたくない)の対象」をたくさん書き出していって眺めていたら、新しいつながりや関係性が浮かび上がってくるかもしれない?

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Happy Collaboration!