お節介と親切、あるいはお世話と余計なお世話
あれですね、お酒もなしでまじめな顔で言ったり書いたりするのはちょっと恥ずかしいところもあるんですが、親切が行ったり来たりする世の中はいい世の中ですよね。
でも、今あんまりそんな世の中ではない気がします。じゃあ、どうすればいいんだろう? なんてことを。
- 「お節介」 - 出しゃばって、いらぬ世話をやくこと。また、そういう人や、そのさま。(三省堂の大辞泉より)
- 「親切」 - 相手の身になって、その人のために何かをすること。思いやりをもって人のためにつくすこと。また、そのさま。(同じく三省堂の大辞泉より)
わざわざ辞書の定義を持ち出すまでもないくらい、お節介と親切の間には大きく深い溝が違いがありますね。
個人的には、こちらからの申し出が相手に望まれていたことであれば親切。不要なことでかつ「出しゃばり」と感じられたらお節介。
セクハラとかパワハラとかと同じで、相手がどうそれを感じるか/捕らえるかで決まるものだと思っています。
でもね、相手に望まれているかどうかを推し量るのって、難しい…。
時に、本人ですら相手から差し出された「申し出」に対して、自分がそれを望んでいたのかどうかもわからなかったりすることもあると思います。
下手をすれば、その時には「余計なお世話だよ」と思っても、後からじわじわ「いや、やっぱりあのおかげだったな」とか「今思えばありがたかったな」って感じてくること、日常的にありませんか?
ところで、「干渉」という言葉もこの話にちょっと似たところがあるものですよね。
ここで再び:
ということなのですが、この「他人のことに立ち入って」のところまでは、個人的にはそんなにネガティブな感じはうけません。
問題なのは、その先の「自分の意思に従わせようとすること」のところです。こいつは全然いただけない。
ということで、長々と書くまでもないのでここで結論。
■相手も差し出されてみないと分からないケースも多そうだから、ますます「どっちか」を見極めるのは難しい。
■お節介と思われるのはいやだけど、押し付けようとしなければそんなに迷惑だとは捕らえられないのではないか。
■(唐突だけど)申し出の差し出し方やしまい方を間違えなければ、相手に迷惑をかけないだけじゃなく、自分も心地よいはず
と、ここまで書いてちょっと「親切とお節介」でググってみたら、ACのこんなラジオ広告を見つけました。なんだか、これを紹介すればそれだけでよかったような気も…。
『AC おせっかい編』
ついでにコレも見つけちゃった。『余計なお世話だバカヤロウ / RHYMESTER』
Happy Collaboration!