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『Weの市民革命』読書メモ

佐久間 裕美子さんの『Weの市民革命』をようやく読んだ。

数カ月前に書店で手に取り、いきなり冒頭にギル・スコット・ヘロンの『Revolution Will Not Be Televised』のことが書かれていて、なんとなく「ああ、この人とは気が合うかもしれない」と勝手に親近感を覚えつつも、でもなんとなくまだ読む気がしなくてそのままになっていた。

そして数日前、明け方に目が覚めてしまい一挙に全部読んだ。

 

第1章の『消費はアクティビズムになった』を読んでいる間は、「なるほどそうか。この5〜6年の動きを一連の大きな流れとして捉えるとそういう感じだな。」なんてことを思いながら読み進めていた。

特にこの辺りについての話は、自分も見聞きしたり感じてきたことを紡いでくれているかのような気持ちになって、勝手に著者に強いシンパシーを感じながら読んでいました。

 

シェアリング・エコノミーが見せてくれた儚い夢があっという間に従来の資本主義の手先へと変化していったこと(2017年に書いた『シェアリング・エコノミーつらつら』を思い出しました。)

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CEOアクティビズムや企業アクティビズムという、そろそろ日本にもやってきて欲しい流れ。 (なお、個人的には、ボイコットやバイコットという消費者サイドからの外圧に負けて仕方なく…ではなく、企業にはそれを自主的にやって欲しいし、自主的にそれをする企業こそが選ばれる企業であって欲しいと思っています。

  ・ ステイクホルダー資本主義やB-Corpの潮流とか、日本には拡がらないままおわっちゃうのかなぁ…とか。(2016年に『B Corp調査レポート – B Labが提供しているサービスと「相互依存宣言」』を書いた頃からずっと追っかけているけど、日本で認定を受けている企業って、この5年で3社くらいしか増えてないよね…)

 

pachi.hatenablog.com

 

第2章から先へと読み進んでいく中で、「そうか。こうしてマクロとミクロの世界を、グローバリズムローカリズムを、彼女自身が媒介となってつなげていく本だったのか」と、すっかり夢中になっていました。

著者のアーバンヒッピー的な資質やこれまでの生活スタイルが、こうした形での市民生活の浮かび上がらせ方に、ピタッとはまっているのだろう(少なくともおれには「ピタッ」と感じられるものだった)。

気がつけば、すごくたくさんの付箋を貼っていた(今数えてみたら、25枚)。

 

そして最後の章『自分ごとのサステイナビリティ』と『おわりに』を読む頃には、著者ご本人に、「あなたは、自分のことをジャーナリストとして捉えていらっしゃいますか? それともアクティビストと捉えていますか? あるいは…」なんてことを聞いてみたくなっていた。 (自分が「両方」という言葉を聞きたいから、こんな質問が頭に浮かぶのだろう。以前『ジャーナリズムとアクティビズム』に書いたように、「この2つは両立する」と思っているけれど、でもそれを自分ごととして「どうやって?!」となると、ギクシャクしたものが引っかかっているのだ。)

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…なんてことを思っていたら、著者ご本人が以下のように書かれていました。

ジャーナリストと呼ばれることもありますが、ドナルド・トランプが大統領になった時点で、その肩書と決別しました。中立性とかもうどうでもいいやって思っちゃったんです。

note『はじめまして 2019年2月バージョン』より

note.com

 

ところで、おれはここ数年はわりと、ABCだったりPBSニュースアワーとかをちょこちょこ観ていて(って言っても、週に2-3時間程度だけどね)、なんとなくアメリカでの大きな出来事は押さえているつもりでいた。 でも、やっぱり報道だけでは暮らしている人たちの声やら息遣いというのはまったくわからないままで、ぼんやりと想像することしかできずにいた。

そういうおれにとって、この本は「現地からのレポート」としてもありがたい一冊でした。少し肌感を掴めたし、おそらくは年代や生き方など、ちょっと近いところもある(であろう)日本人の著者の目を通して見れることで、なんとなくこれまで掴みきれずにいた部分がはっきりした感じもありました。

ただ一方で、この著者の目に映っているのは、「ここのところ青色の方が若干目につきやすくなった、まだら色のアメリカ社会」の一部でしかないこともしっかり意識しておきたいです。 …そんなのは至極当然で言うまでもないことかもしれないけれど、ついつい簡単に一括りに捉えようとしてしまいがちな自分を知っているので、ここは改めて。しっかりと。

 

さて、本の内容についてももう少しちゃんと触れたい気もするけれど、すでに多くの書評が出回っているので、内容を知りたい方にはそちらを読んで貰おう。

それ以上にここでおれが触れたいのは、本の中で取り上げられている、著者が知人や友人から聞いた言葉だ。 どれも、ズシンとくる強烈なボディーブローのようなパンチ力を持っている。

最後に、いくつかの引用を。  

アーティストのアトリエは、突然の訪問が申し訳なく思えるほど荒廃していた。踏み込んでしまったような気がしてお詫びの言葉を発した私に、彼女がこう言った。 「いいの。こうやって見てもらうことが大切だと思う。ふだん使っているモノがどうやって作られているか、ほとんどの人は考えたりしないでしょう?

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ふたりは向いに並んでいた長屋のような建物が取り壊されて大型コンドミニアムの建設が決まったときに、店を売ってマサチューセッツ州のヒッピータウンに移住した。クリスはブルックリンを去る際、こう話していた。「店は僕らの夢の実現だった。チーズとビールを愛する人たちがいて、店もうまくいってる。でも僕らふたりともほとんど休むこともできずにいつも働いている。僕らが店に出ないシステムにしようとすると、店の利益は人件費に吸い取られてしまう。こんなギリギリでやっていくのにも疲れたよ」

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「何のために?」 この10年ほどの間、ニューヨークを出ていく友人たちの口から何度も発せられるのを耳にした言葉だ。高い家賃を払って、高い物価に耐え、何のためにこの地で暮らしているのか。とどまるところを知らないインフレは、いつか終わるのか。何度も繰り返されてきた会話の背景には、「このシステムはサステイナブルではない。自分の生活もサステイナブルではない」という共通認識があった。

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Happy Collaboration!