自己開示がもたらすもの
昨晩、安田 雪さんの『「つながり」を突き止めろ』という本の中にある言葉
"自分の欲求を他者に分かりやすくしておくと、その情報やモノが集まってくる。他者から分かりやすい存在でいることは力"
に共感してTwitterに書いたところ、幾つかのポジティブな反応を貰いました。 ここではこの言葉をもう少し自分なりにしつこく見て行きたいと思います。
自分が何に興味があって何を求めているか。これをオープンにしておくことで、それに関連するモノや情報が集まる。 →そして集まったモノや情報をただそのまま「集めておく」だけにすることなく、それを自分の物差しで取捨選択したり、洞察したり、組み合わせたり、つなげたりすることで自分なりの捉え方や価値を見つけていく。 →→ 自分が見つけた捉え方や価値をみんなに開示していくことで、自分の興味や求めているものがさらに広くオープンになり、モノや情報がさらに集まる。
自己開示すれば、情報が集まる 自己開示が詳細に渡れば、集まる情報の質と量が高まる
余談ですが、これが最近「キュレーター」とか「キュレーション」と世の中で言われているものの本質だと私は思っています。 「自分の捉え方や価値」が付与されずにただ情報やモノを集めて一カ所に置くだけのものは「コレクター」とか「コレクション」じゃないかなぁ。
さて、ここからは「自己開示すれば、情報が集まる。自己開示が詳細に渡れば、集まる情報の質と量が高まる」にちょっと似ているゆるい仮説、というか私の「そうに違いない」という思い込みのようなものを。
自己開示すれば、相手も心を開く。 自己開示が詳細に渡れば、相手の心の開きも大きくなる
「自己開示することで相手も心を開きやすくなる」という定説はここでは深追いしません。
「自己開示が詳細に渡れば、相手の心の開きも大きくなる」-- 一般的(※)には、自己開示の度合いが高まれば、相手はさらに心を開いてくれるのではないでしょうか。
そして心の開き具合が大きくなれば、もっと早く本音で対話できる関係が、より充実した素晴らしいコラボレーションができる関係が築けるんじゃないでしょうか。
※あまりにもマニアックなものや反社会性が強いものなどへの愛着の開示はインパクトが強く、そのインパクトと比例して相手が拒否反応を起こす可能性も高まるでしょう。 でも、それは自己開示に限らずコミュニケーションにおけるベースだと思うので、開示の切り口ややり方を考える必要がありますよね。
私の考えが正しいのかどうかは分かりません。 でも「自己開示にはポジティブな要素がたくさんありそう」だと思いませんか?
ということで、ここからはオマケ。
私は自己開示の力を信じているので、こんなWebサービスも楽しんでいます。
(え、「ただの出たがりでしょ」って? そうかもww)
ここ3カ月くらいで爆発的に伸びているサイトなので、見たり聞いたりしたことがある方もきっと多いと思います
「匿名(でもユーザー登録は必要)で質問が送れて、相手がその質問に答える」-- ただそれだけのサイトですが、なかなか楽しいですよ。
もし良かったら、ぜひあなたもPachiまで質問を送ってくださいね!
Happy Collaboration!