Collaboration Energizer | #混ぜなきゃ危険 | 八木橋パチ

コラボレーション・エナジャイザーとは、コラボレーションの場を作り、場のエネルギーを高め、何かが生みだされることを支援する人

「好きな自分」になれるように。「好きな自分」でいられるように。

 

昨日(5/14)は、明治学院大学で開催された「セクシュアルマイノリティを理解する週間」の記念シンポジウムに行ってきました。

全編参加したかったですが、ちょっと用事もあり後半の「企業の中のLGBT」という分科会だけの参加となってしまったのですが、いろいろと考えを深めさせてもらえる良い機会でした。

「企業の中のLGBT」セッションはコチ株式会社 代表の東田 真樹さんをモデレーターに、ゴールドマンサックス証券と日本IBMからパネリストの方が出席されていました。 セッション中、本当は質問などもしたかったのですが、前のセッションに参加できていなかったので、「会場の人にとっては同じ話しの繰り返しになってしまうかも?」と思い自重しました。 でも、いろんな思いが頭の中に残ったままモヤモヤ~ってしてるところがあるので、ちょっとここでアウトプットしておきたいと思います。

セッションで主に会話されたのは、セッションタイトルが現している通り、「企業内でLGBTの人たちの扱いはどうなっているか」「それがどう変わってきたのか」「どう変えていくか」といった話しだったのですが、ここで書くのは「何が語られていたか」ではなくて、「それを聞きながら私Pachiの頭の中で渦巻いていたこと」です。 パネリストの意見ではないのでお間違えなく。

■サポーターはきっと増えている

自分の同僚や仲間でLGBTの人たちがいて、その人たちが悩んでいたりサポートが欲しいと思っているなら、喜んでお手伝いさせてもらいたいと思っている人は結構たくさんいると思う。 「根拠は?」と聞かれるとツラくて、少なくとも自分の周りには支援したいと思っている人が増えていることを感じるから、としか言えないのだけれど。

でも、僕らは誰がサポートを求めているのかがわからない。 何をして欲しいのか、どんなサポートが必要とされているのかがわからない。 どんな形での支援が求められているのかがわからない。 そもそもサポートして欲しいと思っているのかどうかがわからない。 単なるおせっかいになってしまうのかも? という気持ちもある。

だから、やっぱり困っているなら、サポートが必要なら「ちょっと手伝ってくれない?」って声をかけて欲しい。 LGBTの人たちがそういう声をかけづらいってのも分かるけど、ニーズがあり、それに応えられる状況(環境・人)もあるのに、どちらもアプローチしないがためにそのままになってしまうなんて、あまりに悲しい…。

■カミングアウトの必要性そもそも社内でカミングアウトする必要性はあるのか」――これは個々人の環境や状況の捉え方によると思う。 もし、本人が「隠していることがツライ」とか「隠していることで困ることがある」ならば、カミングアウトした方がイイと思うけど、そうじゃなければ別段必要性はないと思う。

本当にカミングアウトすることで「仕事が上手くいかなくなる」のだろうか。「職場の人間関係がギクシャクする」のだろうか? これは暴論かもしれないし、「人と動物を同じレベルで語るな!」とお叱りを受けるかもしれないけど、「私は猫が好きな人としか仕事はしません」とか「このプロジェクトは犬好きだけでチームを作る」とか、そんなことってあり得ないですよね。

■カミングアウトのリスクとカミングアウトしないことのリスク 必要性の話しの繰り返しになる部分もあるけど、まずは本人がカミングアウトに対して必要性を感じるかどうかがベースであることは間違いないと思います。 その上で、「カミングアウトのリスク」ばかりが語られているような気もしています。

「カミングアウトしないことのリスク」って結構大きなものだと思うのですが…。 関係性が高いと思うので、以前、『公と私のあり方 - インテグリティーとソーシャル・メディア』というエントリーで書いた一部をコピペします。

pachi.hatenablog.com

… 2つの顔、そして現実にはほとんどの場合、2つではすまない3つ目、4つ目の顔を持っていると思います。でも、それぞれの顔が乖離すればするほど、その違いを感じた相手は、自分の言葉に対して「これはどの顔で言っているのだろう?」と受け止めるようになり、説得力もなくなっていきます。
それよりは、できるだけ同じ顔で過ごしたほうが、結果的に相手からの信用も得られるようになるとは思いませんか?
公と私の二つの顔が近ければ近いほど、使い分けを考えなければいけない機会は減ります。逆に言うと、使い分けをしなければいけない機会が多いほど、そこで「ミスする」可能性は高まります。顔の数が多ければ多いほど、ポリシーの確立や運用は難しくなります。不整合が発生しやすくなり、その人の言葉に対する信頼性や一貫性への疑惑が高まります。

このエントリーでは、主にソーシャル・メディア上での自分とオフラインの場での自分の乖離、個の使い分けにを中心に書きましたが、ソーシャル・メディアから離れて「社内と社外」としても、同じ事が言えると思っています。

  • 隠すためにウソをついていることが、自分自身を傷つけていないか
  • 複数の顔を使い分けていたことがわかると、「ある顔」で築きあげてきた信用や信頼は崩れさる
  • 最初からオープンにしているケースと比べて、隠していた事が表に出たときに人は必要以上にセンセーショナルに扱い、、いわゆる「晒し」的なことが起きやすい

■なんだかちょっとまとまりがないままの気もしますが、最後に一番言いたかったことを。 もし、隠しているがために自分自身を好きでいられなくなりそうなのであれば、それはカミングアウトの必要性があるということなんじゃないだろうか。 「好きな自分」になれるように、「好きな自分」でいられるように。

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ひとまず、今、自分が思っていることをまとめさせてもらいました。 こうしてブログに書くだけでも、多少はLGBTの方たちのお手伝いになっていることを願いつつ。

Happy Collaboration!