しきい値の美とテセウスの船とフューチャーズデザイン。
Threshold ≒ しきい値 ≒ 境目となる値。何かが変わる分岐点。そのギリギリのところ。
人によって、最初に頭に浮かぶものがかなり違う言葉ではないだろうか。
・ 水が氷に、あるいは水蒸気に変わっていくような、そんな物質変化や化学変化を頭に浮かべるヒト。
・ こちらの世界からあちらの世界へと、意識がぶっ飛んでいく『ファイトクラブ』的なトランジションが浮かぶヒト。
・ 常識が非常識に、非常識が常識へと変わる変節点が浮かぶヒト…
最近の自分の興味エリアだと、thresholdと聞いて最初に頭に浮かぶのは「テセウスの船」です。
Wikipediaのテセウスの船の説明は、以下となっています("テセウスの船"でググると、テレビドラマばかりが出てきますね…)。
ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題(同一性の問題)をさす。
ロボットやAIが生活内部にどんどん入りこんでくる中で、ときどきこんな「テセウスな問い」を見かけます。
人間の脳が100個のパーツでできているとしよう。そしてあなたの愛する人が、不思議な脳の病にかかってしまった。
病の進行を遅らせるため、毎週1つづつ脳のパーツを人工物に取り換えていく。
…2年後、愛する人の脳は100パーセント人工物に取り替えられた。
さて、その人はあなたの愛する人だろうか? そもそも脳がすべて人工物となった場合、その人は…人なのだろうか? アンドロイドではないのか?
ではもしアンドロイドだとしたら、いつアンドロイドになったのだろうか? 最後の100個目のバーツが交換されたとき? それとも半分を超えた51個目? それとも…
ちょっと厨二病的な話、あるいは古典的なSFだと思われたかもしれない。でも、こういった話がそろそろ現実味を帯びてきているんじゃないだろうか。
ここからが今回の本題だ。
Bespokeのファウンダー、ニックが『Taking Dreams Seriously: The Future As A Collective Exercise.』(日本語訳: 集団的実践としての未来 | 夢を真剣に受け止める)に続き、Mediumに新しいテキストを書いている。これがまたなかなか興味深い。
The Beauty Of Thresholds.
ただ少々難解な言い回しも多くて、日本語に翻訳するのは結構大変だし、しっかり訳していくことが重要というものでもないかな? という気もするタイプのものだ。
そんなわけで、いくつかポイントを絞ってお伝えしようかなと思う。
ニューヨーク市マンハッタンウォール街のマネー・エリートから日本のレストランのオーナー、ブラジルのデザイナーからインドの科学者まで、その人がどこで何をしようとしているかに一切関係なく、世界中が同じ脅威に一斉に面するという人類史上初の出来事に我われは見舞われた。
この小さな小さなRNAという核酸の複製に、世界はこれ以上ないほどの巨大な影響を受けている。
私たちは皆、病そのものだけではなく、それが生みだす不確実性、恐れ、不安という濃い霧に、未来が包み込まれることに震え上がったのだ。
データ駆動社会と呼ばれる中で、私たちはまるでそれだけが唯一の頼りであるかのように、データから生まれる洞察に秩序、自信、確実性を求め、ひたすらそれを追求することを余儀なくされてきた。未来はまだ決定していないにもかかわらず。
未来は微妙なニュアンスの中にあることを、混沌と曖昧の中に漂っていることを、灰色に包まれたグラデーションの分岐点「スレッショルド」にあることを忘れてしまったかのように。未来は予測できないということを忘れてしまったかのように。
自分たちが「まだ知らない」ということを認めることは、確実性や自己表現・主張と同じくらい重要だ。無知を認め、コントロールできないことがあることを受け入れる。
そしてときには、地震や台風などの自然に進路を明け渡しすように強大な力に降伏し、再び太陽が昇るそのときまで準備をしておくことも大切なことではないだろうか。
今、我われの世界がこの混沌と曖昧の中に集合的に沈み込んでいくこのときこそ、この状態をそのまま受け入れ、直面している未知の問いかけを歓迎し、抱いている恐れと明日への希望を丸ごと抱きしめるときなのかもしれない。
なぜなら、私たちも世界も、すでに以前のそれとは異なるものとなったものの、まだ何か新しいものになれてはいないのだから。私たちは今、なんと美しくエキサイティングな場所に存在しているのでしょう!
こうした精神に則り、私はこのパンデミックが招いた、加速化するある特定の観察可能な傾向について、皆さんにシェアしたいと思っている。
これらはプロジェクトの中から浮かび上がってきたもの、あるいはさまざまな分野で活躍する知人や友人たちとの対話の中で明らかになったものであり、明確な答えがないものばかりだ。
どれも将来や未来の予測を意図するものではない。むしろ、思索を深めていくために、はっきりとした形を取らせることなく、ただ未来の上に漂わせたままの姿でお伝えすることを意図している。
では始めよう。
興味が湧いただろうか?
次回は、以下をテーマとしたニックのしきい値に関する「問い」を書くつもりだ。
Happy Collaboration!