コミュニケーションと情報共有は切ったら切れる仲なのか?
ループスの斉藤さんの『企業内にソーシャルの仕組みを ~ エンタープライズ・ソーシャルネットワーク導入の要諦』というエントリーを読み「私もちょっと書きたいことがあるな」と思っていたら、仲間の大川さんが、『ループスさんも企業内ソーシャルに注目』というエントリーをすでに書かれていました。
最初に書きたいなと思った部分とかなり重なっていたので「じゃ書かなくていいや」と思ったのですが、大川さんのエントリーを読み直していたら、最初とはちょっと違う書きたいことが出てきました。 (内容的にはおそらく多くの人に「ブログじゃなくて自分の手帳にでも書いておきなよ」と言われてしまいそうなものなのですが。) 大川さんの『コミュニケーションと情報共有はごっちゃにされがちですが、企業内においては、明確に分けるべきだと僕は思っています。』という部分です。
まず、コミュニケーションとは何でしょうか。Wikipediaの説明を参考にすると
コミュニケーション(英: Communication、交流)とは、複数の人間や動物などが、感情、意思、情報などを、受け取りあうこと、あるいは伝えあうこと。 ・・・ たんに情報の伝達にとどまらず、情動的な共感、さらには相手の行動の制御をも幅広く含んでいる
とあります。私的にこれを解釈すると 情報や意思を相手と伝え合い、そこから何らかの感情や行動につながっていくこと がコミュニケーションということです。
それでは情報共有はどうでしょうか。 私の解釈では、情報共有とは「事実や出来事、存在などを知ってもらう」ことを主目的としたものだと思います。 そしてある事実や存在にまつわる自分の意見や思い、感情も含めて知ってもらう、あるいは知ってもらおうとすることがコミュニケーションではないでしょうか。
「僕はそれを好きじゃない」と思ったという事 - これ自体は情報。 そしてこの情報を共有するには、何らかの形で相手にそれを理解できるようにする必要がある。
そう考えると、情報共有というのはコミュニケーションと切り離すのが非常に難しいものだと思うのです。もちろん、情報が単なる情報として置かれていることや場合もありますが、多くの場合は、情報共有とコミュニケーションはセットで発生するものだと思うのです。
なんだか、ちょっと大川さんのエントリーへの反論っぽくなっちゃったかも…。 でも、そうではなくて、「コミュニケーションと情報共有の切り離しの難しさ」について自分の思考を整理したかっただけなんです(整理しようとして整理できてないけど)。
Happy Collaboration!